前に進めるかは知らないけど進もうとはする

これも以前どっかのお店で食べた粗汁で今関係ないけれど、嫁さんが焼き魚にするつもりで買ってきた鰤を私がこんなだからと味噌汁に入れて出してくれたのが美味かった・・それだけ。
あぶら物はひかえ柔らかくした野菜を中心に・・食べると具合が悪くなるので死なない程度に量を減らしていたけれど気が付けば少しづつその量も増えて来た。
考えてみれば救急車に乗ってからもう一月以上。
職場では無理をしないでいいと言ってもらい通常許されない状況を許してもらっているけれど、それをありがたく真に受けていられるのは実はごく短い期間でしかないことも知ってる。
楽器、完全に組み立てるのではなくリードをマウスピースと楽器のある部分だけで鳴らしてみる・・をやろうと思った。
まず自分に強く言いきかせる。
絶対に練習しようとしてはいけない。ただやってみるだけ。
どんな結果が得られても、心で受け止めない。
必ず短時間でやめる。
とか考えてると電話が鳴って楽器店からだった。
契約というか金銭問題的に今後どうするのかを早めに決めてくれないと困りますよという話だけど先生の名前も出たところでそうだ退院したことだけ報告してある先生はもうじき出てくると思ってるのか・・で実際俺はどうなんだやれるのか?
電話を切ってさっそく楽器のケースを開け・・
どうだったかを細かくここに書くと意識しちゃって後に悪影響が出るのだあれだけど、思ったほどひどくはなくまた明日少しやろうと思えた。
6月もダメだななんて思っていたけど少なくとも6月後半はレッスンに復帰したいという考えが頭に浮かぶ。
実際は今後の成り行き次第だけど、どうしようかとりあえずなんか連絡しないとな・・と考えていたところ先生からメールが来る。
もはや私にメールを送ってくるのは楽器の先生だけとなった・・とそんな話はいいけど
6月後半にはレッスンお願いしたいとお伝えする。
ある程度目標たてないといつまでもなんにも進まないしね。
たてても進まない人だけどさぁ

一時期はまって常態化しそうになっていたコンサート通いをパタッとやめてしまったのはコロナがとかじゃなく、私の変態的コンプレックス思考による。
なんであれそれは自分の大事な人生を無駄にし自分で損することを選んでいるわけで解消しなけれならないと思っている。
心の不具合を直そうと思うとやるべき対策はその原因をつぶしなくしていくという事だと思う。
具体的にはいま楽器を習っていることがそれに相当するのだけれど、ことがすすまなくて・・・
https://www.youtube.com/watch?v=mQO7XnL7oqs
このマーラーの交響曲第9番という曲はこの後作者がすぐ亡くなってしまったという事実のほかから作者の死への恐怖とこの世への別れのようなものが強く表現されているのだという解釈が昔から‥まあいいんだけど自分は少し違うと思ってる。
最後は死ぬし、死に至らしめるような恐ろしいしネガティブが何度も人の努力やしあわせ、生きたいと願い進もうとする力をつぶしに来るさまが描かれているのは間違いないけれど
それはまさに人生そのものなのであって、テーマは告別というより人生そのものなんじゃないかと思うんだけど。
伝説と違い実際の本人は全然死ぬ気もなかったらしいし。
それはいいとして私はこの曲が大好きで先ほども専用部屋にこもってこれを聴いた。
聴いてる間は音楽のことで頭がいっぱいで今幸せだなんて思わないけど、後で振り返ればあの時間私は幸せ。
私は子供の頃からいろいろおかしく一人の世界に閉じこもっていたのだけど、思春期の入りくらいに知った音楽というものを人間から独立した別世界に存在する何かという風にとらえてしまったところがあって・・
それはそれでいいんだけど、音楽ほど人間と強く結びついたものはないと再認識するのと自分の強い人間コンプレックスを再認識することが同時に来ちゃったもんだからなんだか音楽まで自分を拒否し愚弄する敵なんじゃないかと・・
なんだそりゃ
私は音楽が好きかもしれない。
好きだという事を具体的に形にしよと思うと聞くだけでは気が済まず、
やっぱり自分でやりたいと思う。
思うから楽器を・・
どんなに進まなくてもいいから、またやりたいと思う。
そうだこれだ俺の今言いたいことは。
誰に向けるわけでもなく。

ボンタン咲始めたななんて思いつつ調子悪くあんまり眺められずにいたらあっという間に終わってた。
いまは大雨の中で小さな実を結んでる。
時間はどんどん進んで、みんなやることやってどうにかなってくんだよね。