薬も大事だけど
日本中が大雨で大変なことになっていると思います。
どうか少しでも被害が少なく済みますように。

退院翌日の朝。
お客のお犬は何でそんなに?というくらいなついて甘えてくれるのはいいけれど主張をしない私の犬の手前それに全開で答えるわけにもいかず・・
私の犬は心を半分閉じてしまっていたけれどそれでもこの後の2日くらいで自分の立場と居場所を見つけたみたいかな。
この時私は、
直近の身内が数日前に大きな後遺症が残る病に倒れたこと、
仕事で逃げ場のない危機を目前にしていること
別な家族にも心の疾患のようなものがあるのだけれどそれを誘発するような要素が動き始めたこと
もう一つ、直近の身内に精神疾患を抱えた人がいて・・
等々が重なっているのと、
一般的によく言われる発達障害というのとは少し違うDCD(発達性協調運動障害)というのがあって、その症状を持った人の多くは成人して以降うつ症状を併発しているという。
その話を適用すると自分のこれまでの人生上の不可解な点がすっと腑に落ち私はそれに該当しているのではないかと考えているのだけど、なんであれ私は常時ネガティブな思考に支配されていたし今まさにそれが強くのしかかって
・・などで心の状況があまりいい状態ではなかった。
苦労なんて誰でもしているだろうし何か書くと待ってましたとばかりに変な鍵コメントがかみついてきたりするので抱えた不安とかをちゃんと書かずにほのめかしたりしていたんだけど、でもちゃんと書いたって通じないものを察してもらいたいなんて思ってた自分も馬鹿かなと思ったり

雨が降って気温が下がったのもあり音楽をちゃんと聴きたくなったので久しぶりに音楽部屋へ入った。
久しぶりに火を入れたのと湿度のせいもあるか装置は鳴りが若干悪く・・と思ったけどすぐに音楽に引き込まれる。
ブラームスやマーラーを聴きながら私には音楽があったんだよなと思うと同時に、へたくそでも真似事でもふざけててもいいけどそれをやってみるという事をいつまでたっても許されない自分を思う。
しまいには音楽自体が私を愚弄しあざ笑う敵のように思えても来る。
音楽なんて知らなければよかったかもしれない。
もともとそのつもりだったのに。

雲間からちょっと光が見えかけてきた。
どうせ閉じちまうんだろう俺の楽器と同じだとか書こうと思いながら写真を撮ったりして。
もし音楽を知らなかったら今頃何をしてただろうか?
自暴自棄の末もう死んでたかもしれないな。
https://www.youtube.com/watch?v=RyfPpwZe0_U
入院中雨が降った日にはフォーレのこれが頭の中にで鳴ってた。
第1楽章だけが気に入って後続楽章は全く聞かないんだけど。
考えてみると気に入った第1楽章だってそんなにわけがわかって聴いてるわけじゃない。
でもこれはそれでいいのか、ドイツ・オーストリア系作曲家の曲みたいに今この音符はこういうことを言ってるとかそういうんじゃないんだろうな。
風に吹かれながら、分厚い雲の間に時々青空が見え隠れするのを眺めているような・・

これまで長らく意味が分からなかったり貶していたような曲に突然共鳴してかけがえのないものと感じるようになることが何度もあった。
今は全然聞く気がしない残りの楽章も10年とか20年後に急に好きになるかもしれない。それが音楽だと思う。
そんな楽しみがこの先あるかもしれないというだけでも生きている理由はあると言えるかもしれないか。

いろいろあるけどそれでも時々とてもうれしくありがたいコメントを頂けるので
ブログをやっていてよかったなと思う。
午後からブルックナーとチャイコフスキー。翌日はオネゲルと・・
かなり久しぶりにまとまった量で音楽を真剣に聴いた。
昔ずーっと人生真っ暗闇だった時に音楽を聴くことだけがそばにあったことを思う。
楽器は持たずいつもの椅子に座り呼吸の練習だけをちょっと・・練習とは言えないなちょっとやってみただけ。
ああ大丈夫だから大丈夫と自分に言い聞かせる。
退院はしたけど腹の患部はまだ炎症していて、嫌なことを考えるとほんとにすぐ反応するから自分でもびっくりだわ。
抗生剤の副作用が少し出てきたかな。でも前の半分の量だしちょろいわ。
災害をもたらすような雨は困るけれど、雨のおかげで詰まってるような自分の心は少し落ち着いた。
私の犬はまたすぐそばにくっついてくれるようになった気がする。ぐわぁーとか言って寝てるだけだけど。
どうか少しでも被害が少なく済みますように。

退院翌日の朝。
お客のお犬は何でそんなに?というくらいなついて甘えてくれるのはいいけれど主張をしない私の犬の手前それに全開で答えるわけにもいかず・・
私の犬は心を半分閉じてしまっていたけれどそれでもこの後の2日くらいで自分の立場と居場所を見つけたみたいかな。
この時私は、
直近の身内が数日前に大きな後遺症が残る病に倒れたこと、
仕事で逃げ場のない危機を目前にしていること
別な家族にも心の疾患のようなものがあるのだけれどそれを誘発するような要素が動き始めたこと
もう一つ、直近の身内に精神疾患を抱えた人がいて・・
等々が重なっているのと、
一般的によく言われる発達障害というのとは少し違うDCD(発達性協調運動障害)というのがあって、その症状を持った人の多くは成人して以降うつ症状を併発しているという。
その話を適用すると自分のこれまでの人生上の不可解な点がすっと腑に落ち私はそれに該当しているのではないかと考えているのだけど、なんであれ私は常時ネガティブな思考に支配されていたし今まさにそれが強くのしかかって
・・などで心の状況があまりいい状態ではなかった。
苦労なんて誰でもしているだろうし何か書くと待ってましたとばかりに変な鍵コメントがかみついてきたりするので抱えた不安とかをちゃんと書かずにほのめかしたりしていたんだけど、でもちゃんと書いたって通じないものを察してもらいたいなんて思ってた自分も馬鹿かなと思ったり

雨が降って気温が下がったのもあり音楽をちゃんと聴きたくなったので久しぶりに音楽部屋へ入った。
久しぶりに火を入れたのと湿度のせいもあるか装置は鳴りが若干悪く・・と思ったけどすぐに音楽に引き込まれる。
ブラームスやマーラーを聴きながら私には音楽があったんだよなと思うと同時に、へたくそでも真似事でもふざけててもいいけどそれをやってみるという事をいつまでたっても許されない自分を思う。
しまいには音楽自体が私を愚弄しあざ笑う敵のように思えても来る。
音楽なんて知らなければよかったかもしれない。
もともとそのつもりだったのに。

雲間からちょっと光が見えかけてきた。
どうせ閉じちまうんだろう俺の楽器と同じだとか書こうと思いながら写真を撮ったりして。
もし音楽を知らなかったら今頃何をしてただろうか?
自暴自棄の末もう死んでたかもしれないな。
https://www.youtube.com/watch?v=RyfPpwZe0_U
入院中雨が降った日にはフォーレのこれが頭の中にで鳴ってた。
第1楽章だけが気に入って後続楽章は全く聞かないんだけど。
考えてみると気に入った第1楽章だってそんなにわけがわかって聴いてるわけじゃない。
でもこれはそれでいいのか、ドイツ・オーストリア系作曲家の曲みたいに今この音符はこういうことを言ってるとかそういうんじゃないんだろうな。
風に吹かれながら、分厚い雲の間に時々青空が見え隠れするのを眺めているような・・

これまで長らく意味が分からなかったり貶していたような曲に突然共鳴してかけがえのないものと感じるようになることが何度もあった。
今は全然聞く気がしない残りの楽章も10年とか20年後に急に好きになるかもしれない。それが音楽だと思う。
そんな楽しみがこの先あるかもしれないというだけでも生きている理由はあると言えるかもしれないか。

いろいろあるけどそれでも時々とてもうれしくありがたいコメントを頂けるので
ブログをやっていてよかったなと思う。
午後からブルックナーとチャイコフスキー。翌日はオネゲルと・・
かなり久しぶりにまとまった量で音楽を真剣に聴いた。
昔ずーっと人生真っ暗闇だった時に音楽を聴くことだけがそばにあったことを思う。
楽器は持たずいつもの椅子に座り呼吸の練習だけをちょっと・・練習とは言えないなちょっとやってみただけ。
ああ大丈夫だから大丈夫と自分に言い聞かせる。
退院はしたけど腹の患部はまだ炎症していて、嫌なことを考えるとほんとにすぐ反応するから自分でもびっくりだわ。
抗生剤の副作用が少し出てきたかな。でも前の半分の量だしちょろいわ。
災害をもたらすような雨は困るけれど、雨のおかげで詰まってるような自分の心は少し落ち着いた。
私の犬はまたすぐそばにくっついてくれるようになった気がする。ぐわぁーとか言って寝てるだけだけど。