モモがいない世界へ
モモのことでほんとにたくさんの方からコメントをいただいたんだという事に今更気づきました。
すごいなもーちゃん。
これを書いてる時点でまだお礼をし切れていませんが、皆様のやさしさに救われています。
改めてどうもありがとうございました。
これが公開になるころ、預かり犬は元の家へ帰っているらしい。
みんないなくなって静かになっちゃった家に耐えられるだろうか?は今置いとくとして、最後の思い出にという事だろう嫁さんが長い散歩に行きたいようなことを言うので一緒に出掛けた。

家を出るとすぐ、普段そこに見かけない人が畑にいるので挨拶をする。
このあたりじゃ私なんかよりはるかに有名なモモがいないのを見て声がかかり、
一昨日・・悲しくて・・
その人も3年くらい前に飼い犬をなくしてることを知っているから
そうだったでしょう?と言ってみるとすぐに
うちは1年くらい毎日泣いてた。
自分の親の時は1か月くらい前から心の準備もできてけど・・
ああ、みんな同じなんだね。
普段話すこともない人でなんとなく話しにくいかなと思ってたけどお互い何の壁もなく大声でそうだよねぇ!
再び歩き始めるとすぐに別な人が歩いてくるのが見えた。
この人も飼っていた犬を3年くらい前になくしている。
うちのも・・と話しかけると立ち話になり、自分の犬の最後の話もしてくれたけれどそれより今は自分が死への準備に入っていることを感じているという話をしてくれた。生きられるうちにどう有意義に生きるか・・
と今これを書いてて気づいたけれど、
最初に会った人の犬はすぐ近所なのでうちのモモと互いの家の前を通るときにやたらに吠えあうライバルみたいな存在だった。
そして次に会った人の犬はモモが遊ぼうよ!と誘った唯一の犬。
犬見知りだったモモが深くかかわった犬はその2匹だけ。
その飼い主さん二人と立て続けに出会ったのは偶然だったんだろうか?
モモが知らせてほしいと願ったのかな
更に今思ったけれど、モモから大事なメッセージをもらったのかもしれない。
今思うと偶然じゃないのかもなと思う事がまだあるんだけどそれはまた別に・・

あそこをモモとニコニコ歩いてからまだ一週間たっていないじゃないかと思うとまた泣きそうになる。
最近急に脚力を落とし、もう自力でここまで来れないから車で連れてきた。
だけど足が悪いというだけでまさか最後になるとは全く思ってないし写真を撮ったりもせず。
10年以上何度も何度も当たり前に歩いた道を行く。
当たり前にいてくれたはずのモモは見当たらない。
大きな銀杏を見ながらかつてモモとここで遊んだことを思い出し、今もそばについてきてくれてるかなと考える。

なんでか知らないけど田んぼに水が入ってた。
なんかきれいだけど、もーちと見たかったな。
日差しが温かい。
うつ病の防止法みたいなのに日光に当たって軽い運動をするというのがあったと思う。
思えば10年以上もーさんと日の光を浴びてたくさん散歩をした。
街の中、山の中各方面いろんなところに行き当たりばったりで歩きまくったよね。
若いころはものすごい距離を歩いてたし、ほとんど散歩で終わった日もたくさんあった。
楽しかったよな。
私がまっとうに生きてこられたのは、嫁さんともーちゃんのおかげだね。
お散歩中にいろんな人と出会って話をした。
もさんがいなければ誰とも知り合わなかっただろう。
https://www.youtube.com/watch?v=C_HA8sTjt8w
明るく穏やかな日差しを感じる音楽に乗って「子供たちは散歩に出かけただけだ、もうすぐ帰ってくるだろう」と歌うこの曲は、
亡き子をしのぶ歌
前から知ってはいたけれど、身をもってその意味を知る。
私は喪中。
喪中というのは家で地味に静かにしていることかなと思いつつ、飯でも食いに行こうよと嫁さんに言ってみるといいの?大丈夫なのみたいな返事が返ってきた。
もんちのいない家にいると寂しくて耐えられないから・・
何か思うところがあるのか嫁さんがずっと拒絶していた歩いてすぐの飯屋の名前を出すので行ってみた。

いろんな店でアクリル板見たけどこんなに手作り感爆発なのは初めてだ。
メニューが広告の裏に走り書きだったり窓のところにあんなものが見えるように置いてあったりおかみさんの人柄が・・悪いんじゃないほほえましい人柄が出てると思う。
そのおかみさんとも犬の散歩仲間と言えなくもないか。
ずっと同じ犬種を飼い続けていて、今の子が何代目って言ったっけ?
自分ももう年だからこの子が最後だと言ってたのをもんちといっしょに聞いた。
仕事モードの時は知ってる人の体では話してこないのね。もんちのことは話さなかった。

料理はちゃんとしてて、ハンバーグ定食は鉄板の上でじゅー!とか言いながら出てきたし美味しかった。
私いまたくさん食べられないから定食禁止だったことを頼んでから思い出す。
まあいいや晩飯極端に減らせば。
このあと一つ用事を済ませて喫茶店にも行ったけどケーキは食べなかったよ。

と言いつつこんなの飲んでちゃだめだけど。
この日まだ帰らず遠くの街の商業施設みたいなところに行った。
何を見たいわけでもない。ずっと一人モモの名を呼び続け歩いてるだけ。
すぐそこで聴いてくれてると思いながら。
あのあと2度ほど預かり犬と散歩をしました。違う犬なのに思わず
もんちいこっ!っと声をかけてしまう。
どこをどう歩いても目に入るすべてがモモとの思い出を呼んでしまって実はつらかった。
だけど、3度目の散歩に出かけようとすると玄関でモモが
いっしょにいくよ!
というメッセージを送ってくれてると思った。
何でそう思ったかは書かないけれど大きな別れの後に不思議な体験をされた方が何人もいて、勘違いじゃない事を教えてくださいました。
私が腹を壊して救急車で運ばれるに至るとき、
玄関でふらふらしながら出かける準備をする私の横にぴったりついて
いっしょにいくよ!
と言ってくれたのも忘れられない。
今朝、預かり犬と別れの挨拶をした。
さあやることやったからと出かけるかという時、
もんちいってくるねと
撫でる相手をいつもの場所に探してしまった。
今は何かにすがりたい気持ちだけど、まだそれでいいのかなとも思う。
ただこの先モモに見られて恥ずかしくないように生きて行きたいと思います。
すごいなもーちゃん。
これを書いてる時点でまだお礼をし切れていませんが、皆様のやさしさに救われています。
改めてどうもありがとうございました。
これが公開になるころ、預かり犬は元の家へ帰っているらしい。
みんないなくなって静かになっちゃった家に耐えられるだろうか?は今置いとくとして、最後の思い出にという事だろう嫁さんが長い散歩に行きたいようなことを言うので一緒に出掛けた。

家を出るとすぐ、普段そこに見かけない人が畑にいるので挨拶をする。
このあたりじゃ私なんかよりはるかに有名なモモがいないのを見て声がかかり、
一昨日・・悲しくて・・
その人も3年くらい前に飼い犬をなくしてることを知っているから
そうだったでしょう?と言ってみるとすぐに
うちは1年くらい毎日泣いてた。
自分の親の時は1か月くらい前から心の準備もできてけど・・
ああ、みんな同じなんだね。
普段話すこともない人でなんとなく話しにくいかなと思ってたけどお互い何の壁もなく大声でそうだよねぇ!
再び歩き始めるとすぐに別な人が歩いてくるのが見えた。
この人も飼っていた犬を3年くらい前になくしている。
うちのも・・と話しかけると立ち話になり、自分の犬の最後の話もしてくれたけれどそれより今は自分が死への準備に入っていることを感じているという話をしてくれた。生きられるうちにどう有意義に生きるか・・
と今これを書いてて気づいたけれど、
最初に会った人の犬はすぐ近所なのでうちのモモと互いの家の前を通るときにやたらに吠えあうライバルみたいな存在だった。
そして次に会った人の犬はモモが遊ぼうよ!と誘った唯一の犬。
犬見知りだったモモが深くかかわった犬はその2匹だけ。
その飼い主さん二人と立て続けに出会ったのは偶然だったんだろうか?
モモが知らせてほしいと願ったのかな
更に今思ったけれど、モモから大事なメッセージをもらったのかもしれない。
今思うと偶然じゃないのかもなと思う事がまだあるんだけどそれはまた別に・・

あそこをモモとニコニコ歩いてからまだ一週間たっていないじゃないかと思うとまた泣きそうになる。
最近急に脚力を落とし、もう自力でここまで来れないから車で連れてきた。
だけど足が悪いというだけでまさか最後になるとは全く思ってないし写真を撮ったりもせず。
10年以上何度も何度も当たり前に歩いた道を行く。
当たり前にいてくれたはずのモモは見当たらない。
大きな銀杏を見ながらかつてモモとここで遊んだことを思い出し、今もそばについてきてくれてるかなと考える。

なんでか知らないけど田んぼに水が入ってた。
なんかきれいだけど、もーちと見たかったな。
日差しが温かい。
うつ病の防止法みたいなのに日光に当たって軽い運動をするというのがあったと思う。
思えば10年以上もーさんと日の光を浴びてたくさん散歩をした。
街の中、山の中各方面いろんなところに行き当たりばったりで歩きまくったよね。
若いころはものすごい距離を歩いてたし、ほとんど散歩で終わった日もたくさんあった。
楽しかったよな。
私がまっとうに生きてこられたのは、嫁さんともーちゃんのおかげだね。
お散歩中にいろんな人と出会って話をした。
もさんがいなければ誰とも知り合わなかっただろう。
https://www.youtube.com/watch?v=C_HA8sTjt8w
明るく穏やかな日差しを感じる音楽に乗って「子供たちは散歩に出かけただけだ、もうすぐ帰ってくるだろう」と歌うこの曲は、
亡き子をしのぶ歌
前から知ってはいたけれど、身をもってその意味を知る。
私は喪中。
喪中というのは家で地味に静かにしていることかなと思いつつ、飯でも食いに行こうよと嫁さんに言ってみるといいの?大丈夫なのみたいな返事が返ってきた。
もんちのいない家にいると寂しくて耐えられないから・・
何か思うところがあるのか嫁さんがずっと拒絶していた歩いてすぐの飯屋の名前を出すので行ってみた。

いろんな店でアクリル板見たけどこんなに手作り感爆発なのは初めてだ。
メニューが広告の裏に走り書きだったり窓のところにあんなものが見えるように置いてあったりおかみさんの人柄が・・悪いんじゃないほほえましい人柄が出てると思う。
そのおかみさんとも犬の散歩仲間と言えなくもないか。
ずっと同じ犬種を飼い続けていて、今の子が何代目って言ったっけ?
自分ももう年だからこの子が最後だと言ってたのをもんちといっしょに聞いた。
仕事モードの時は知ってる人の体では話してこないのね。もんちのことは話さなかった。

料理はちゃんとしてて、ハンバーグ定食は鉄板の上でじゅー!とか言いながら出てきたし美味しかった。
私いまたくさん食べられないから定食禁止だったことを頼んでから思い出す。
まあいいや晩飯極端に減らせば。
このあと一つ用事を済ませて喫茶店にも行ったけどケーキは食べなかったよ。

と言いつつこんなの飲んでちゃだめだけど。
この日まだ帰らず遠くの街の商業施設みたいなところに行った。
何を見たいわけでもない。ずっと一人モモの名を呼び続け歩いてるだけ。
すぐそこで聴いてくれてると思いながら。
あのあと2度ほど預かり犬と散歩をしました。違う犬なのに思わず
もんちいこっ!っと声をかけてしまう。
どこをどう歩いても目に入るすべてがモモとの思い出を呼んでしまって実はつらかった。
だけど、3度目の散歩に出かけようとすると玄関でモモが
いっしょにいくよ!
というメッセージを送ってくれてると思った。
何でそう思ったかは書かないけれど大きな別れの後に不思議な体験をされた方が何人もいて、勘違いじゃない事を教えてくださいました。
私が腹を壊して救急車で運ばれるに至るとき、
玄関でふらふらしながら出かける準備をする私の横にぴったりついて
いっしょにいくよ!
と言ってくれたのも忘れられない。
今朝、預かり犬と別れの挨拶をした。
さあやることやったからと出かけるかという時、
もんちいってくるねと
撫でる相手をいつもの場所に探してしまった。
今は何かにすがりたい気持ちだけど、まだそれでいいのかなとも思う。
ただこの先モモに見られて恥ずかしくないように生きて行きたいと思います。
いろんな人とお坊さんと、モモが助けてくれる
初霜の下りた風の強い日だったから、これから風の強い日や初霜を見るたびに思い出すようになるのかもしれません。
いつかは必ず来るものだからとか時間が解決してくれるからと自分に言い聞かせてはみるけれど、あまりにも近すぎて全然受け入れられない。
いろんな記憶が次々に押し寄せてきて、それが何気ないものであればあるほど
もう2度と見られないんだという思いが私を締め付ける。
耐えられない状況から逃げるために走り書きをして、コメント欄をどうするかも忘れて投稿したした記事に思いがけずたくさんの方からいただけたコメントに救っていただいています。
どうもありがとうございます。
モモは、いろんなことを全部察してみんなわかってた。きっといただいたコメントも私の目を通じて届いているはずだと思っています。
もう10年ほど前になると思いますがモモは胸にできた腫瘍を泊りがけの手術で取ってもらったことがありました。
病院に預けて家へ帰り玄関を開ける。
飛び出してくるはずのものが目に入らず足音の聴こえない静かな家というものに衝撃を受け嫁さんと二人でいないよ!と騒いだのを覚えてる。
いつかほんとにその日が来たら俺は耐えられないかもしれないなと思ったのも覚えてるけれど、今がその時なのか。
手を伸ばせばいつも必ずそこに会ったあの毛むくじゃらに障ることが出来ず、優しい瞳は家のどこを探しても見つからない。
これももう10年くらいになるのか私が思わずいじけたようなため息をついた時にいきなり何かがパンチをしてきた。
見るとモモが強い目で見上げ、私がいるから!と言っているのが目に入る。その後私の膝の上に乗ろうとして・・
そしてその通り、ずっとそばにいてくれて私がふさぎ込むと上に乗っかってくれた。
モモは病院というものを理解していたと思う。
用足しで出た外から帰ると私に不調を訴える。部屋へ戻ることをせず外へ出るそぶりを見せ続け、病院行く?の問いかけに表情で答えた・・彼女はなくなって以降もこの強い記憶となって私の中に残り、あの時病院へ行かなければもう少し長くそばにいる時間を過ごせたのではないかと自分を責め始めた私にそうではないよ!と訴えかけてくれる。
モモを病院に連れて行こうと思ったときは注射を打ってもらい薬をもらって帰るくらいのつもりだったし、診察室の中でも突然来てしまったその時の直前までそう思っていた。
突然すぎて悲しみが追い付けず、その時はむしろ冷静でいられた。
10年前か手術の後に小さくしっぽを振るモモを抱えて帰ったことを覚えてる。
まだ暖かいけれどもう動かないモモと一緒にうちに帰り、部屋に寝てもらう。
出先から帰宅していた嫁さんは察して覚悟もしていたかもしれない。最初は冷静だったけれどその後声を上げて泣き崩れていた。
嫁さんが一緒に寝てあげようというので二人で2階から布団を下ろしてきて敷き、この夜は一緒に寝た。
翌朝お寺へ電話をし、火葬供養をお願いする。
預かり犬には何も言わないけれどすべてわかっていて、車に乗せるため窓の外からモモを抱きかかえたときには悲鳴のような声を上げた。
車にベットを置きその上に置いたモモを何度も撫でて。
お経をあげてもらい火葬をしてもらって、小さくなってしまったモモを拾い上げているときお坊さんと話をした。
突然だったという人の方が多いと聞くと、私の中にあったどうしてこうなってしまったのか?何かが間違っていたのではないかという気持ちがすこし救われる。
見ていれば、たったひとり直接の主人が誰なのかはわかるという。
人間のお葬式よりもはるかに悲しんでいる人がいて。
まったくもって同感です。
一心同体以上だもんね。

もう、いない。
ピッタリな桃色の入れ物に入って帰ってきたモモを私の定位置すぐそばに置き、しばらくすると睡魔に襲われ寝てしまった。
起きて何気なく鏡を見ると私の口にモモの毛が挟まっている。
なんでこんなところにと思うよりも前にこれはモモからのメッセージだと思った。
もーちゃんありがとう。
嫁さんが時々大丈夫?と声をかけてくれる。
大丈夫じゃないように見えるのかもしれない。
元気な写真をここに貼ろうと初めは思っていたけれど、今写真を見るとつらくそれはできなくなってしまった。
大量の写真を見返せるのは、もう少し後になるかもしれません。
いろんな方が声をかけてくださる通り、私もいつかモモに会えると信じています。
最初に迎えに来てくれるのは彼女だと信じてる。
おかけで死ぬのが怖くなくなった。
でもまだ全然死にたくないけど。
今日で3日目か。涙が出始めたのは3日目からだ。
聞き間違いでも気のせいでもいいのだけど、小さな足音が聞こえたのはここにいるよと
もーちが教えてくれているんだと思った。
もーさんが見ててくれるんだから、また明るく生きていける日が来るだろうと思う。
夜居眠りしてるとあんた早く風呂入んなさいよと吠えながら頭突ききをして起こしてくれることがあった。
今、コメントくださった方にちゃんとお礼をして回ってねと言われてる気もする。
はい。
もーちゃん。
いつかは必ず来るものだからとか時間が解決してくれるからと自分に言い聞かせてはみるけれど、あまりにも近すぎて全然受け入れられない。
いろんな記憶が次々に押し寄せてきて、それが何気ないものであればあるほど
もう2度と見られないんだという思いが私を締め付ける。
耐えられない状況から逃げるために走り書きをして、コメント欄をどうするかも忘れて投稿したした記事に思いがけずたくさんの方からいただけたコメントに救っていただいています。
どうもありがとうございます。
モモは、いろんなことを全部察してみんなわかってた。きっといただいたコメントも私の目を通じて届いているはずだと思っています。
もう10年ほど前になると思いますがモモは胸にできた腫瘍を泊りがけの手術で取ってもらったことがありました。
病院に預けて家へ帰り玄関を開ける。
飛び出してくるはずのものが目に入らず足音の聴こえない静かな家というものに衝撃を受け嫁さんと二人でいないよ!と騒いだのを覚えてる。
いつかほんとにその日が来たら俺は耐えられないかもしれないなと思ったのも覚えてるけれど、今がその時なのか。
手を伸ばせばいつも必ずそこに会ったあの毛むくじゃらに障ることが出来ず、優しい瞳は家のどこを探しても見つからない。
これももう10年くらいになるのか私が思わずいじけたようなため息をついた時にいきなり何かがパンチをしてきた。
見るとモモが強い目で見上げ、私がいるから!と言っているのが目に入る。その後私の膝の上に乗ろうとして・・
そしてその通り、ずっとそばにいてくれて私がふさぎ込むと上に乗っかってくれた。
モモは病院というものを理解していたと思う。
用足しで出た外から帰ると私に不調を訴える。部屋へ戻ることをせず外へ出るそぶりを見せ続け、病院行く?の問いかけに表情で答えた・・彼女はなくなって以降もこの強い記憶となって私の中に残り、あの時病院へ行かなければもう少し長くそばにいる時間を過ごせたのではないかと自分を責め始めた私にそうではないよ!と訴えかけてくれる。
モモを病院に連れて行こうと思ったときは注射を打ってもらい薬をもらって帰るくらいのつもりだったし、診察室の中でも突然来てしまったその時の直前までそう思っていた。
突然すぎて悲しみが追い付けず、その時はむしろ冷静でいられた。
10年前か手術の後に小さくしっぽを振るモモを抱えて帰ったことを覚えてる。
まだ暖かいけれどもう動かないモモと一緒にうちに帰り、部屋に寝てもらう。
出先から帰宅していた嫁さんは察して覚悟もしていたかもしれない。最初は冷静だったけれどその後声を上げて泣き崩れていた。
嫁さんが一緒に寝てあげようというので二人で2階から布団を下ろしてきて敷き、この夜は一緒に寝た。
翌朝お寺へ電話をし、火葬供養をお願いする。
預かり犬には何も言わないけれどすべてわかっていて、車に乗せるため窓の外からモモを抱きかかえたときには悲鳴のような声を上げた。
車にベットを置きその上に置いたモモを何度も撫でて。
お経をあげてもらい火葬をしてもらって、小さくなってしまったモモを拾い上げているときお坊さんと話をした。
突然だったという人の方が多いと聞くと、私の中にあったどうしてこうなってしまったのか?何かが間違っていたのではないかという気持ちがすこし救われる。
見ていれば、たったひとり直接の主人が誰なのかはわかるという。
人間のお葬式よりもはるかに悲しんでいる人がいて。
まったくもって同感です。
一心同体以上だもんね。

もう、いない。
ピッタリな桃色の入れ物に入って帰ってきたモモを私の定位置すぐそばに置き、しばらくすると睡魔に襲われ寝てしまった。
起きて何気なく鏡を見ると私の口にモモの毛が挟まっている。
なんでこんなところにと思うよりも前にこれはモモからのメッセージだと思った。
もーちゃんありがとう。
嫁さんが時々大丈夫?と声をかけてくれる。
大丈夫じゃないように見えるのかもしれない。
元気な写真をここに貼ろうと初めは思っていたけれど、今写真を見るとつらくそれはできなくなってしまった。
大量の写真を見返せるのは、もう少し後になるかもしれません。
いろんな方が声をかけてくださる通り、私もいつかモモに会えると信じています。
最初に迎えに来てくれるのは彼女だと信じてる。
おかけで死ぬのが怖くなくなった。
でもまだ全然死にたくないけど。
今日で3日目か。涙が出始めたのは3日目からだ。
聞き間違いでも気のせいでもいいのだけど、小さな足音が聞こえたのはここにいるよと
もーちが教えてくれているんだと思った。
もーさんが見ててくれるんだから、また明るく生きていける日が来るだろうと思う。
夜居眠りしてるとあんた早く風呂入んなさいよと吠えながら頭突ききをして起こしてくれることがあった。
今、コメントくださった方にちゃんとお礼をして回ってねと言われてる気もする。
はい。
もーちゃん。
私の大切な犬が旅立ちました。
私の犬の名前はモモです。
モモは2021年11月25日午後7時頃に空へ旅立ちました。
病院の診察台の上だった。
そばにいてやり、なでてやることが出来た。
そんな場面じゃないはずなのに、しっぽを振って見せてくれた。
それからすぐだった。
そうなるとは思っていなかったのに
診察室へ勝手に入ってゆくのを見たのに・・
最後まで一緒にいられた。
最後まで、私を頼ってくれた。
昨夜はいつもよりたくさんなでてあげることが出来た。
その前は私の鳴らない笛を、そばに座り穏やかな表情で見上げながら聞いてくれた。
あなたのいない世界に、耐えられるかわかりません。
14歳と9か月
もんち
ありがとう。

モモは2021年11月25日午後7時頃に空へ旅立ちました。
病院の診察台の上だった。
そばにいてやり、なでてやることが出来た。
そんな場面じゃないはずなのに、しっぽを振って見せてくれた。
それからすぐだった。
そうなるとは思っていなかったのに
診察室へ勝手に入ってゆくのを見たのに・・
最後まで一緒にいられた。
最後まで、私を頼ってくれた。
昨夜はいつもよりたくさんなでてあげることが出来た。
その前は私の鳴らない笛を、そばに座り穏やかな表情で見上げながら聞いてくれた。
あなたのいない世界に、耐えられるかわかりません。
14歳と9か月
もんち
ありがとう。

謎のトリップ状態

何度も書き換えたので写真と本文は全く関係なくなってしまいました。
もともと、
・・楽器は全然だめだ。
あなた人間ですよね?なんて言われたけど違うのかもしれない。
そんなことを考えてると腹がまた痛み出す・・
こんなことを書いたりしててまずいなと思ったから前日から気分転換を兼ねて昼食とお茶を飲みに出かけようと考え気を紛らわせていた。
そして、今一人で雨の中を行って帰ってきたところ。
気持ちは非常に安定を通し越してちょっと異様になまでに肯定的になっていて、頭の中で何とかという物質が大量に分泌されてるなーという状態。ちょっとおかしいくらいのいい状態というか。
例えば思春期に気になる異性と楽しく会話をしたりすると三日くらい頭がポーっと無駄に明るく持ち上がっていたあれのような
人を避けて生きてきた私だけど、数年前に誰にも言えない事を話せるような人が現れたことがあった。立ち話で何時間も話したりするとそれから一週間くらいは頭がすっきりして麻薬的だなと思ったり。
だけど今私にはそんな人は全くいないし、キャバクラに行ってきたとかそういう話でも全然ない。
なんで今こんな風になっちゃってるんだろう?
酒飲んだりはしてないし変な薬も持ってない。

溶かしバターがしみこんでて美味かったけど自分にカロリー制限を課してるので
昼で食べた本格的なカレーに入っていたたくさんのスパイスが脳に作用した?
まさか。
ずっとやりたくて出来ないことができたと思えたらこうなるかもしれないないなと想像するけど間違ってもそれじゃない。
なんとなく誰かと長く会話をしたような印象があるんだけどずっと一人でそんな事実はない。
こういう気持ちでいられるとそれは言動だけでなく表情なんかにも反映されると思う。
常に明るくいい表情でいるとそれはそのまま人相として固定されてゆく。
よい顔と声や話を持った人間には周囲も好意的に答えてくれるし人も寄ってくる。
そこから得られる喜びやがまた自分をいい方向へ・・
思春期とか若いころにこういう体験をした人はその後それなりの未来が待っていると思う。
なんでそう思うかといえば自分もそんな好回転に乗ってるのを自覚したことがあるからだけど、短く終わってその後正反対の回転で落ちてしまっ・・いつもならそこをグダグダ書くところだけど今はそれもしたくない
https://www.youtube.com/watch?v=yMtNtwvfl4s
自分が変に明るくなってるのに気づくころ、頭の中では勝手にこれが流れてた。
先ほどまで気持ちの中に謎の肯定感がすごい密度と質量をもって横たわっていて、手でつかめるんじゃないかというくらいだった。
時間的にそろそろ楽器の練習をちょっとでいいからしないとなと思ったあたりからそれが薄まってきたような気もする
ひと吹きすると皆忘れてもうなにもなくなり書けなくなると思うので、その前にここまで書き留めた。

嫁さんのお気に入りの店だから行ったけど、場違い感がすごい
その後、異様なポジティブは終わって消えてしまった。
なんでああなったのかはわからない。
ゆっくり飲んだカフェドモカのチョコレートに酔った?
なんだそりゃ。
楽器の練習なんて書いているけれどもう誰の目にも諦めてやめた方がいいような状況に陥っていて、楽器というより自分をやめてしまいたい衝動に駆られる。
変なことをやって腹に圧力をかけ治りかけたところを痛めてることにも気づいて本当にどうしようもないなと思う。
腹の具合よっては練習をまたしばらくやめる。
楽器店から枠取り上げることもほのめかされたレッスンも1月復帰はむりかもしれない。
まだなにも決まったわけじゃないし腐っても仕方ないなんて思えなくもないのは手前で気持ちを大きく持ち上げてもらったからかもしれず、醜いなりに救いがあったという事でしょうか。
なにまた潰れて終わろうとしてるんだ。
そうじゃなくて、メンタルコントロールみたいなことを考えて行けないのかな。
何かに頼るやり方だと依存症になっちゃうから自分のなかだけで。
実際仕事とかではそういうの出来てるんだからこっちだってさぁ。
詐欺のように食ってばっかり
自分で情緒不安定なのがわかったから今を書かずに置き去りになってた話をまとめてみたりしたんだけど、公開してからもこの最初の数行を何度も何度も書き直してなにやってんだろう。
私は多分四六時中自分と会話をしてるかこのブログ入力画面と会話してるんだと思う。
依存症というか、反応をものすごく気にしてるのも自分でわかる。
今一晩たって、昨夜まっとうになったからと思って書いた別な話もやっぱりちょっとおかしいかなと思ってる。
仕方ない。まっとうな自分であろうとしたりまっとうな振りをするのはやめて、そのままいこうか。

ちょっと前に嫁さんが食ってたガレット。
正直に言うと私はガレットなんてものを知らなかった。
そば粉どうのこうのと書いてあるのは古民家カフェにひっかけてるのかと思ったけど、フランスでの昔からそば粉だったのね。

時々行くここで生姜焼き定食を食べた。
私つい最近まで腹の病気で飯をちゃんと食べることが出来ずにいたし今も同じレベルで気を付けてるはず。
でも食った写真ばっかりなのはなんだか詐欺みたいだね。
それでおんなじ物を嫁さんも頼んだんだけど

何も言ってないけどご飯の量に差をつけてあるんですよね。
こういうの、人によっては余計なことだと思うのかもしれない。
コーヒーのカップを女性と男性に合わせてくれたりもするしこういうのどこにでもあるようなものなのかもしれない。
なんであれ私こういう気にかけてもらったみたいなのに弱いの。

いったん消しちゃったけど復活。
ここは最近言った老舗の喫茶店。あそこに見えてるのは8時間かける水出しコーヒーというやつ。

今私は大量に食べちゃいけない人で定食屋はいけないんだけど、
喫茶店のならいいかなと思ってる。
少し前までは生野菜を食べるとそれがおなかの破れている部分をグワーッとえぐっていくのがわかった。
もう大丈夫だけど

これは元民家なうどんやで見上げた星空。
昔誰かが貼ったんですよね。電気消すと光るんでしょうあれ。
私はもともとおかしいのか、いろいろあってこうなったのか知らないけれど周囲の音という物に過剰に反応する悪い癖があると思う。
はす向かいの新築工事が土日祝日夜遅くまで音を立てていること自体は仕事だから構わないのだけど、でっかい音でラジオを鳴らしていることがストレスになっているかもしれない。もう少し正直に言うと音自体じゃなくて周囲への配慮を欠くというかわかって無視しているような態度に対してかもしれない。
けど、文句を言いに行ける勇気は全くない。
工事はしばらくたてば終わるけれど、その後入ってきてずっといるんだろう人間への不安が先へ出ているのかなと思う事もある。
また別な人から隣の田んぼを挟んだ畑を業者が借りてこれから資材置き場にするという話を聞いちゃったのも効いてるかもしれない。
あそこも休みや正月に馬鹿みたいに音を立てるんだよな。

嫁さんの心に負のスイッチが入ってしまいという日
やっとたどり着いた静かなここでほっとして、腹の病人なことも忘れてこんなの頼んじゃった。
私にとってはとてもおいしく気分もよかったのだけど、写真にそれは写らないのね。
このときまだ生野菜は危険なので食べられません段階だったんだけど食べちゃってあ大丈夫かもなと知る。
なにより、向かいの嫁さんがにこにこ笑っててくれてよかった。
https://www.youtube.com/watch?v=EHcAjKcNDa0
作曲家というのはだいたい死ぬまでやるもんだけどロッシーニという人は若いころにものすごく売れちゃって早々に引退、その後は料理人としてそっちの世界でも歴史に名を残したらしい。
引退以降余興で残したいくつかの作品の中にコントラバス奏者にとって貴重な作品がいくつかあるらしいのは知ってる。
マーラーとかプロコフィエフとかあえてコントラバスソロを弾かせる作曲家もあるけれど、あえてでなければめったにソロをうたうことのない楽器。
だけど音楽やる人というのはみんな俺の歌を聴け!というのを持っているしやりたいもんだと思う。
その世界では有名な人のエチュードもいいけど、やっぱり超絶有名作曲家のオリジナルもやりたいよねきっと。
弁当をもって犬と出かけたら

預かり犬ははしゃいで走り回ったかと思うと草を食いだした。
あんた羊か
彼女はもしかするともうすぐ家に帰れるかもしれない。
いい話のようだけど実際はこれから介護が始まるという事だよね。
みんなやってますよとかいちいちいらないから。
病識がなく勝手に動き回る恐れってのがどれだけ困るかは俺もよく知ってるけど無駄に心配したって仕方ないだろう。
なんであれ、あなたはあなたでどうか幸せでありますように。
私は多分四六時中自分と会話をしてるかこのブログ入力画面と会話してるんだと思う。
依存症というか、反応をものすごく気にしてるのも自分でわかる。
今一晩たって、昨夜まっとうになったからと思って書いた別な話もやっぱりちょっとおかしいかなと思ってる。
仕方ない。まっとうな自分であろうとしたりまっとうな振りをするのはやめて、そのままいこうか。

ちょっと前に嫁さんが食ってたガレット。
正直に言うと私はガレットなんてものを知らなかった。
そば粉どうのこうのと書いてあるのは古民家カフェにひっかけてるのかと思ったけど、フランスでの昔からそば粉だったのね。

時々行くここで生姜焼き定食を食べた。
私つい最近まで腹の病気で飯をちゃんと食べることが出来ずにいたし今も同じレベルで気を付けてるはず。
でも食った写真ばっかりなのはなんだか詐欺みたいだね。
それでおんなじ物を嫁さんも頼んだんだけど

何も言ってないけどご飯の量に差をつけてあるんですよね。
こういうの、人によっては余計なことだと思うのかもしれない。
コーヒーのカップを女性と男性に合わせてくれたりもするしこういうのどこにでもあるようなものなのかもしれない。
なんであれ私こういう気にかけてもらったみたいなのに弱いの。

いったん消しちゃったけど復活。
ここは最近言った老舗の喫茶店。あそこに見えてるのは8時間かける水出しコーヒーというやつ。

今私は大量に食べちゃいけない人で定食屋はいけないんだけど、
喫茶店のならいいかなと思ってる。
少し前までは生野菜を食べるとそれがおなかの破れている部分をグワーッとえぐっていくのがわかった。
もう大丈夫だけど

これは元民家なうどんやで見上げた星空。
昔誰かが貼ったんですよね。電気消すと光るんでしょうあれ。
私はもともとおかしいのか、いろいろあってこうなったのか知らないけれど周囲の音という物に過剰に反応する悪い癖があると思う。
はす向かいの新築工事が土日祝日夜遅くまで音を立てていること自体は仕事だから構わないのだけど、でっかい音でラジオを鳴らしていることがストレスになっているかもしれない。もう少し正直に言うと音自体じゃなくて周囲への配慮を欠くというかわかって無視しているような態度に対してかもしれない。
けど、文句を言いに行ける勇気は全くない。
工事はしばらくたてば終わるけれど、その後入ってきてずっといるんだろう人間への不安が先へ出ているのかなと思う事もある。
また別な人から隣の田んぼを挟んだ畑を業者が借りてこれから資材置き場にするという話を聞いちゃったのも効いてるかもしれない。
あそこも休みや正月に馬鹿みたいに音を立てるんだよな。

嫁さんの心に負のスイッチが入ってしまいという日
やっとたどり着いた静かなここでほっとして、腹の病人なことも忘れてこんなの頼んじゃった。
私にとってはとてもおいしく気分もよかったのだけど、写真にそれは写らないのね。
このときまだ生野菜は危険なので食べられません段階だったんだけど食べちゃってあ大丈夫かもなと知る。
なにより、向かいの嫁さんがにこにこ笑っててくれてよかった。
https://www.youtube.com/watch?v=EHcAjKcNDa0
作曲家というのはだいたい死ぬまでやるもんだけどロッシーニという人は若いころにものすごく売れちゃって早々に引退、その後は料理人としてそっちの世界でも歴史に名を残したらしい。
引退以降余興で残したいくつかの作品の中にコントラバス奏者にとって貴重な作品がいくつかあるらしいのは知ってる。
マーラーとかプロコフィエフとかあえてコントラバスソロを弾かせる作曲家もあるけれど、あえてでなければめったにソロをうたうことのない楽器。
だけど音楽やる人というのはみんな俺の歌を聴け!というのを持っているしやりたいもんだと思う。
その世界では有名な人のエチュードもいいけど、やっぱり超絶有名作曲家のオリジナルもやりたいよねきっと。
弁当をもって犬と出かけたら

預かり犬ははしゃいで走り回ったかと思うと草を食いだした。
あんた羊か
彼女はもしかするともうすぐ家に帰れるかもしれない。
いい話のようだけど実際はこれから介護が始まるという事だよね。
みんなやってますよとかいちいちいらないから。
病識がなく勝手に動き回る恐れってのがどれだけ困るかは俺もよく知ってるけど無駄に心配したって仕方ないだろう。
なんであれ、あなたはあなたでどうか幸せでありますように。
せっかくの自由を

抹茶ラテは黒糖入り、さつま芋のアーモンドタルトはなんとかという2種類の芋を使ってと説明しながら持て来てくれた。
美味しかったし体への・・
何か月か中断していた楽器のための基礎練習のそのまた前のみたいなのを再開したはいいけれど、はまるともう治らないダメパターンにいきなり乗っかってることに気づく。
ダメか
そうなるのもわかっててそれでもというんだからという強い気持ちを・・の前にやっぱりとりあえすめげるよね・・とかやってるところにふとあるところからトリガが入ってきて、
俺もピアノ習いに行こうかな
最近触りもしないけど古い電子ピアノがあ・・考えるよりも前にその先にどんな展開が待ってるかがわかるし、今別な楽器でそうなってる最中なわけでほんとにやったりしないですけどね。
だけどやろうと思うのなら今日にもどこかへ電話をかけて習いたいんだけどかなんか言えばいいだけだなんだね。
俺はやりたいと思えばいつでもやれる自由の上に乗っかってるんだなと思ったらなんだか気持ちが明るくなった。
すぐ忘れちゃうんだろうけど、そんな気持ちになった瞬間にここを書いてる。
https://www.youtube.com/watch?v=Tzv1sDPmQ10
技巧的難曲も残したラヴェルだけど自身は優れたピアニストではかったと複数の人が証言していて、姿勢の悪い癖が取れずに・・なんだっけいいけど。
両手協奏曲は自分で初演するつもりで書いたけれど周囲は何とかしてやめさせようと思ったという話はいろいろなことを教えてくれてる気がする。
とはいえ彼もピアノで感じ考えるピアノな人だったと思う。
オケ版だったけど高校帰りにこの曲の入ったCDを買った頃、私の毎日は精神病的な悪夢の中にあり今でも何が起こっていたのか整理がつけられてない。
でもそこに音楽があったと言えなくもないのか。
とはいえ音楽を自分でというところからは強く突き放されていて、それが幼少期からの自己否定感をまとめて病的に悪化させるトリガになってあれにつながった可能性もあるかなと今考えたりもする。
今の楽器を習いに行こうと決めたときも青空がぱぁーっと広がってくような気持ちになったような。
だけど契約書をもってく日、青空だったところへ暗雲がワーッと押し寄せてくるのを見た。写真付きでここにも書いたと思う。
直前まで別な楽器でアマチュア楽団で粘った挙句ボロボロになってたし、予感というより負の確信みたいなものも押し寄せてきて。
結局その通りになっちゃった真っ暗闇で3年目
人でなしへの罵声を浴びせられてもあの頃みたいに気が狂っちまわないのは歳を食って耐性ができたからか、愚痴を聞いてくれる相手としてのブログがあるからかな?

あの皿に見覚えがある。
このお店以前別なところでやっていて・・みたいな話を書こうと思ってたんだけど、いま褒める方向であっても他人様のことをどうこう言える自分じゃない気がしてきちゃったので次のにここ来ることがあったらその時に。

ガレットきっと美味しいんだと思う。けど1,200円はよほど機嫌がよくないと頼めないかな。
夢がかなったとき・・まで行かなくてもいいから今夢に向かって少しづつ進んでるなと思えればきっと。
いつかここでガレット食ったとか書いてたらこいつ今調子いんだなという事で。
安いガレットだったらいまでも食っちゃうけど。
簡単には楽しめないね
ひとつ前で食べる量をふやさないと書いたし本気でそう思ってるのに

同じ日にこんなとこ来てていいのかというのもあるけれど
なんでもやたらにダメっと押さえつけてるとあとで何が残るのかも知ってる。
この店ケーキはチーズケーキ一択だったけどメニューに新聞記事が貼ってあったり看板らしい。
濃厚なんて言葉じゃ陳腐だなと思いながら・・すごく美味しかったこれ。
珈琲館という店だけどたまに飲んでみるコーヒーはどうもまだ腹を刺激する気がしてるので頼めなかった。
ケーキとセットだとやっぱりポットでは出てこないよねな紅茶だけどおいしかった。
チーズケーキって350kcalくらいでしょうか。先に数字見ちゃったら頼めないかもな。
スマホをかざすと何calと表示するというのもあるんだろうなと思ったらあった。
スマホ古くなっちゃって新しいもの入れられなくなっちゃってるし、あっても使わないだろうけど。

先客の残したたばこの煙が・・は喫茶店だし文句ありません。
たまたま誰もいない時間にいられたし。
西日に照らされる感じがとてもよかった。
入院するつもりでいたからその時は音楽を持っていこうかと考え、スマホ調子悪いし買い替えるかタブレットでも買おうかと考えてた。
クラシックを聴いて35年、初めて聴いていきなり虜になった曲もあるけれど、なんだかわからず聴くの苦痛くらいから始まって徐々に解っていった曲も多い。
10代のころは意味が分からなくても苦痛でもなにかが見えてくるまで何度も何度も無理やり聴き続けた記憶があるけれど、いつからそういうのが億劫になり耳になじんだ曲ばかり聴くようになっちゃって。
敬遠していた曲に20年たって開眼というのもあるし、ちょっと聴いて感じた印象から聴かないままになっている曲がいっぱいあるのはもったいないと思ってる。
入院ってそれらを繰り返し聞くチャンスかなと。何しろ毎日一日中寝てるしかないんだから。
ドボルザークのレクイエムにブリテンの戦争レクイエムとか、プロコフィエフの1番5番以外にシンデレラ・・リストとかベルリオーズとかいろいろ買ったはいいけどちょっと聴いただけか一聴もしてない盤がいっぱいあるし、なんとかソナタ全集みたいなのはそのうちの1曲を繰り返し聴いてるだけだったり・・そのどれを持ってこうかなんて考えてるとそのうち入院が楽しみなくらいになっちゃって何やってんだと思ったり。
https://www.youtube.com/watch?v=PSIVCRwabrg
これも買ったけど聴いてないドビュッシーのペレアスとメリザンド。
オペラだしフランス語が理解できるわけじゃない私にとってはいきなり映像無しだとかなりとっつきにくい。
今さらっと流し聴きしてみて、自分はこれを好きになることはないなと思いかけたけどそれはちがうだろう。昔そんな状態からはじめて好きになった曲がたくさんあったのに、なんで一度聞いたくらいでわかったように判断してるのか。
歳をとるって、無駄にわかったつもりになっちゃうところはだめね。
と思ったところでふと思い出す。書かないつもりだったけれど今日もちょっと楽器をやって感じ考えたことがあった。
それも同じ今そんなこと考えなくていいと自分に言い聞かせてみよう。

帰り際、一人でやってるお店の人に一言おいしかったと伝えてみたり。
期待もしてないのに急に言われたという感じで、ああそれはよかった・・
いつでも聴けると思うと聞かない。聴こうと思ってもう30年とかいうのもあるし。
こういう曲だと解っちゃえば頭の中で流れるようになりあれ聴きたい!みたいなのに乗るんだけど。
入院はなくなったので聴いてない曲を聴く機会はまた遠のいたのかな。
スマホもタブレットも買わないし、靴下でも買おうかなと口走ったらいっぱいあるでしょと嫁さんに怒られた。
あるけどもう履かねーもんあれ。
片付けから始めようか。

同じ日にこんなとこ来てていいのかというのもあるけれど
なんでもやたらにダメっと押さえつけてるとあとで何が残るのかも知ってる。
この店ケーキはチーズケーキ一択だったけどメニューに新聞記事が貼ってあったり看板らしい。
濃厚なんて言葉じゃ陳腐だなと思いながら・・すごく美味しかったこれ。
珈琲館という店だけどたまに飲んでみるコーヒーはどうもまだ腹を刺激する気がしてるので頼めなかった。
ケーキとセットだとやっぱりポットでは出てこないよねな紅茶だけどおいしかった。
チーズケーキって350kcalくらいでしょうか。先に数字見ちゃったら頼めないかもな。
スマホをかざすと何calと表示するというのもあるんだろうなと思ったらあった。
スマホ古くなっちゃって新しいもの入れられなくなっちゃってるし、あっても使わないだろうけど。

先客の残したたばこの煙が・・は喫茶店だし文句ありません。
たまたま誰もいない時間にいられたし。
西日に照らされる感じがとてもよかった。
入院するつもりでいたからその時は音楽を持っていこうかと考え、スマホ調子悪いし買い替えるかタブレットでも買おうかと考えてた。
クラシックを聴いて35年、初めて聴いていきなり虜になった曲もあるけれど、なんだかわからず聴くの苦痛くらいから始まって徐々に解っていった曲も多い。
10代のころは意味が分からなくても苦痛でもなにかが見えてくるまで何度も何度も無理やり聴き続けた記憶があるけれど、いつからそういうのが億劫になり耳になじんだ曲ばかり聴くようになっちゃって。
敬遠していた曲に20年たって開眼というのもあるし、ちょっと聴いて感じた印象から聴かないままになっている曲がいっぱいあるのはもったいないと思ってる。
入院ってそれらを繰り返し聞くチャンスかなと。何しろ毎日一日中寝てるしかないんだから。
ドボルザークのレクイエムにブリテンの戦争レクイエムとか、プロコフィエフの1番5番以外にシンデレラ・・リストとかベルリオーズとかいろいろ買ったはいいけどちょっと聴いただけか一聴もしてない盤がいっぱいあるし、なんとかソナタ全集みたいなのはそのうちの1曲を繰り返し聴いてるだけだったり・・そのどれを持ってこうかなんて考えてるとそのうち入院が楽しみなくらいになっちゃって何やってんだと思ったり。
https://www.youtube.com/watch?v=PSIVCRwabrg
これも買ったけど聴いてないドビュッシーのペレアスとメリザンド。
オペラだしフランス語が理解できるわけじゃない私にとってはいきなり映像無しだとかなりとっつきにくい。
今さらっと流し聴きしてみて、自分はこれを好きになることはないなと思いかけたけどそれはちがうだろう。昔そんな状態からはじめて好きになった曲がたくさんあったのに、なんで一度聞いたくらいでわかったように判断してるのか。
歳をとるって、無駄にわかったつもりになっちゃうところはだめね。
と思ったところでふと思い出す。書かないつもりだったけれど今日もちょっと楽器をやって感じ考えたことがあった。
それも同じ今そんなこと考えなくていいと自分に言い聞かせてみよう。

帰り際、一人でやってるお店の人に一言おいしかったと伝えてみたり。
期待もしてないのに急に言われたという感じで、ああそれはよかった・・
いつでも聴けると思うと聞かない。聴こうと思ってもう30年とかいうのもあるし。
こういう曲だと解っちゃえば頭の中で流れるようになりあれ聴きたい!みたいなのに乗るんだけど。
入院はなくなったので聴いてない曲を聴く機会はまた遠のいたのかな。
スマホもタブレットも買わないし、靴下でも買おうかなと口走ったらいっぱいあるでしょと嫁さんに怒られた。
あるけどもう履かねーもんあれ。
片付けから始めようか。
元に戻りたくない
病気は回復途上にあり手術もいらないと言われた日。
鰻でもと浮かんだけどすぐしぼみ、嫁さんにどこに行きたいかを聞ききそこへ。

月替わりメニューで自家製ローストビーフ丼というのがあったので頼んでみた。
カフェご飯って感じがしますよね。
定食屋でこの金額をだせばとてつもない奴が食えるぞとか一瞬頭に浮かぶけど今それを出すのは筋違い。
病気治ってもガクッと落ちた食べる量をこのまま戻さないようにしようと思ってる。
そこを制限した結果回復の方向へ乗ってるわけだし同じに食べれば膝が痛いとかろくでもないものもいろいろ戻ってきちゃうだろう。
だいたいまだ腹の例のところは毎日痛んで警告してくる。
こういうのが足りないと感じるようになったら緩んでるという基準にしよう。
玉ねぎのスープは丸い味でおいしかった。

嫁さんのは、なんだっけ・・チキンミートパイだっけ、なんか喜んでたしよかった。
ブログも暗いことをじめーと書くのが癖になっちゃってて、書くとまた自分でそこに浸っちゃって余計に湿っていくところがあると思うんですよね。
しばらく明るい感じで書けないかと思っているんだけど
腹回復傾向にあるんだったら考えることは楽器。
時間はたっぷりあるなんて思ったけど1月復帰と伝えてあるのを思うともうあと2か月ないのか
音出してみた。楽器は組み立てず発音させるのに最低限必要な部分だけ。
何も期待せずにただ吹いたけれど息も続くし音程もなんとなく合ってるしいいかな?一瞬わーっと明るい気持ちが出てき・・だけどすぐ現実を認識する。
それで何を感じどう思ったかを書いてて気づいた。わずか数行上にそういうの書かないって自分で言ったばかりじゃない。
かなり前だけどテレビで精神改善メソッドみたいなのをやってた。
頭の中に葉っぱが川の流れに流されてゆくところをイメージする。
その葉っぱの上に不安や嫌なことを乗せるとそれがそのまま流れて行き見えなくなる・・するとみたいなの。
NHKのまっとうな番組だったような気がする。
それで私は楽になれましたみたいな人がニコニコ出てきてたけどああいうの成功例ばっかり流すから
まあいいや川の流れと・・イメージしてみて・・
全然流れてかないよ?
いいけど。
今日も世間に出てみれば朝から人間的不愉快に遭遇するわけですが、あれも銀杏だよ踏んじゃうと臭いからほっとけなどと考えてみたり。
先生に治ってきてると言われた腹はいまも腹を立てたり落胆したり不安になったりすると痛むんだよねその場所が。
この先食事制限も大事だけど、精神的安定が何より大事な気がしてる。
https://www.youtube.com/watch?v=caXcMRTndwU
ちょっと前にストラヴィンスキーの火の鳥の中の曲を細切れにここに貼ってたことがあったんだけどこの超絶ハッピーエンドを貼ろうと思える日が全然来なくて。
今あえて貼ってみる。
この人も19世紀からのロマン派の音楽を壊して次の世界を作った巨大舵取り役みたいな人ですが、壊す前にあった世界の集大成がここって感じもしますね。
またそういうのさらっと簡単にやっちゃってる感じが超絶天才という気がする。
実際ものすごく頭のいい人だったらしい。
私は、ゆっくりやればいいから。
鰻でもと浮かんだけどすぐしぼみ、嫁さんにどこに行きたいかを聞ききそこへ。

月替わりメニューで自家製ローストビーフ丼というのがあったので頼んでみた。
カフェご飯って感じがしますよね。
定食屋でこの金額をだせばとてつもない奴が食えるぞとか一瞬頭に浮かぶけど今それを出すのは筋違い。
病気治ってもガクッと落ちた食べる量をこのまま戻さないようにしようと思ってる。
そこを制限した結果回復の方向へ乗ってるわけだし同じに食べれば膝が痛いとかろくでもないものもいろいろ戻ってきちゃうだろう。
だいたいまだ腹の例のところは毎日痛んで警告してくる。
こういうのが足りないと感じるようになったら緩んでるという基準にしよう。
玉ねぎのスープは丸い味でおいしかった。

嫁さんのは、なんだっけ・・チキンミートパイだっけ、なんか喜んでたしよかった。
ブログも暗いことをじめーと書くのが癖になっちゃってて、書くとまた自分でそこに浸っちゃって余計に湿っていくところがあると思うんですよね。
しばらく明るい感じで書けないかと思っているんだけど
腹回復傾向にあるんだったら考えることは楽器。
時間はたっぷりあるなんて思ったけど1月復帰と伝えてあるのを思うともうあと2か月ないのか
音出してみた。楽器は組み立てず発音させるのに最低限必要な部分だけ。
何も期待せずにただ吹いたけれど息も続くし音程もなんとなく合ってるしいいかな?一瞬わーっと明るい気持ちが出てき・・だけどすぐ現実を認識する。
それで何を感じどう思ったかを書いてて気づいた。わずか数行上にそういうの書かないって自分で言ったばかりじゃない。
かなり前だけどテレビで精神改善メソッドみたいなのをやってた。
頭の中に葉っぱが川の流れに流されてゆくところをイメージする。
その葉っぱの上に不安や嫌なことを乗せるとそれがそのまま流れて行き見えなくなる・・するとみたいなの。
NHKのまっとうな番組だったような気がする。
それで私は楽になれましたみたいな人がニコニコ出てきてたけどああいうの成功例ばっかり流すから
まあいいや川の流れと・・イメージしてみて・・
全然流れてかないよ?
いいけど。
今日も世間に出てみれば朝から人間的不愉快に遭遇するわけですが、あれも銀杏だよ踏んじゃうと臭いからほっとけなどと考えてみたり。
先生に治ってきてると言われた腹はいまも腹を立てたり落胆したり不安になったりすると痛むんだよねその場所が。
この先食事制限も大事だけど、精神的安定が何より大事な気がしてる。
https://www.youtube.com/watch?v=caXcMRTndwU
ちょっと前にストラヴィンスキーの火の鳥の中の曲を細切れにここに貼ってたことがあったんだけどこの超絶ハッピーエンドを貼ろうと思える日が全然来なくて。
今あえて貼ってみる。
この人も19世紀からのロマン派の音楽を壊して次の世界を作った巨大舵取り役みたいな人ですが、壊す前にあった世界の集大成がここって感じもしますね。
またそういうのさらっと簡単にやっちゃってる感じが超絶天才という気がする。
実際ものすごく頭のいい人だったらしい。
私は、ゆっくりやればいいから。
整理はできたし手術どうするかも聞いた

もうすぐ手術入院だし行けるうちに行っとこうと
他人の家の座敷に上がり込むような感じも魅力なうどん屋さん
戸を開けるとすぐに明るく優しく声が聞こえ自分に向けたものだとわかるとほっとする。
コロナでだろうか思ってたのと違い着いたが時ちょうど開店時間だったらしく、今から作るから少し時間を頂くけどいいですかー?

ねぎは終わったら戻してくださいねー。
ここの一番の特徴は製麺所に特化して打ったうどんをゆでてくれるだけというところ。
トッピングで納豆と生卵というのもあったけど、味付けはお客が勝手にやる。
机の上にはタッパーに入った天かす、カツオ節、すりだね・・CGCの麺つゆ、醤油にごま油、味の素・・
待ってる間に次のお客さんも来てて、先客はねぎを戻さず次のお客さんに渡しましたー!
テレビ勝手につけたり多分みんな近所の常連さん。

とりあえず大量の鰹節と天かすとねぎを投入、麺つゆを入れていざ・・
あれ?こない?・・いやいや鰹節を絡ませたらうまい。
それ鰹節がうまいんじゃないの?とか言っちゃいけませんシンプルなのにすごくうまい。なんだこれ。
半分食ったあたりでごま油を投入してみると、なんか名のあるちょっと高いうどんみたいになってくる。
散々楽しめて350円。なんだか気持ちが明るくなり・・だったんだけど、
この後別なところで最低なことになり、それは自分が悪いからだいうようなことをここに書いては消してを繰り返してた。
ちがうよ、
あんなの落ちてた銀杏を踏んじゃったのと一緒。
悪臭を放ってるのは踏んじゃった物で俺が臭い訳じゃない。
変なもん踏んじゃって失敗したなと思いながら振り払って落とせばいいだけ。
やっと整理できた。
翌日、病院に検査の結果と今後の話を聞きに行く。
開腹手術が必要だと言われる覚悟はできていたので・・はいいけど朝ラッシュが予想を超えており時間に遅れそうになったりして。
2か月ぶりにお会いする先生の表情が明るい気がする。
大腸に穴が開いちゃって外にできた空間とつながったりしていたのだけど、穴はふさがり空間も消えているらしい。
あなたの免疫が勝ったという事ですよ。
この手術かなり大変なことになるし、これだったら手術をするのはもったいないです。
ガンの兆候もないし、服薬等も必要ない。
まさかの朗報。前日この世は嫌なところだなんて感じていたから思わず
いいこともあるもんですね!なんて先生に言っちゃった。
病院を出ると柔らかな青空。
口は勝手に素晴らしいねなんてつぶやいて。
これ書いてて感情的になったら腹の例のところがピリピリ痛むんだけど。
https://www.youtube.com/watch?v=gm432J23_yo
この一連の流れはただ偶然の積み重ねではなく何か意味を持った流れであるような気がしないでもない。
どこからか、私は見守られ導かれてる気がする。
それでお前これからどうするの?と言われていると思う。
ひどすぎて逆にありがたくなってきた。

かなり久しぶりに電車に乗った。
最寄駅からじゃなく、車で2時間くらい走った先で。
窓の外には紅葉で燃える山が見えたりして・・車で行けばすむところをわざわざ電車に乗って何の意味があるのかといえば意味なんかない。
小さな子供が遊園地の乗り物に乗ってたのと同じ。

峠のトンネルはさすがに長い。
掘ったの明治の頃だと思えばすごいなと思う。
暗くなると窓ガラスに自分の顔が。俺こんなか
普段から悩んだようなことを考えてここにも書いたりしてるけど映ってるのはもう老けて人生まとめも視野に入るころの・・客観的な視点が入り、
きもちーわりんだよおまえ
そうですね、じゃあもう死にますか?
嫌です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この先、
あるところに行った事を一度書き終えた。
書き終えてからちょっと気になったことを調べたら嫌な思いどころか実際にひどい事をされていたことに気づく。
嫌なもんだね、この世も人間も。
一瞬震えるような何かが来たけど、自分で選んどいて憤慨したり負けてめげてちゃいけないだろう。
やられちゃってるのに気づかず帰ってきて写真載せて記事書いたりした自分も情けない。
なんでそこ急に調べようと思ったのか
勘違いの可能性を探ろうともしたけどもうそんなことしなくていい。
私は見守られているという気がしているのだけど、お前間違った方へ進んでるぞとかもっとしっかりしろよと言われたのかもしれない。
そう思えたら、月がきれいで。
https://www.youtube.com/watch?v=9gDWnlwxwWk
いつまでも思い出さずにこの先自分はどうあるべきかを考える。
嫌な気持ちはまだこびりついていてはがしきれていないけれど、
どうもありがとう。
おかげでなにか考え直さなくちゃいけないような気がするわ。
徳川家康が若いころにものすごい悔しい思いをして、忘れないようにと自分の姿を絵師描き留めさせたとかありましたよね?
気分が悪いから消しちゃいたい気もするけれど、
この気持ちを前進方向に投入できるようにこれこのまま残そう。