モモがいない世界へ
モモのことでほんとにたくさんの方からコメントをいただいたんだという事に今更気づきました。
すごいなもーちゃん。
これを書いてる時点でまだお礼をし切れていませんが、皆様のやさしさに救われています。
改めてどうもありがとうございました。
これが公開になるころ、預かり犬は元の家へ帰っているらしい。
みんないなくなって静かになっちゃった家に耐えられるだろうか?は今置いとくとして、最後の思い出にという事だろう嫁さんが長い散歩に行きたいようなことを言うので一緒に出掛けた。

家を出るとすぐ、普段そこに見かけない人が畑にいるので挨拶をする。
このあたりじゃ私なんかよりはるかに有名なモモがいないのを見て声がかかり、
一昨日・・悲しくて・・
その人も3年くらい前に飼い犬をなくしてることを知っているから
そうだったでしょう?と言ってみるとすぐに
うちは1年くらい毎日泣いてた。
自分の親の時は1か月くらい前から心の準備もできてけど・・
ああ、みんな同じなんだね。
普段話すこともない人でなんとなく話しにくいかなと思ってたけどお互い何の壁もなく大声でそうだよねぇ!
再び歩き始めるとすぐに別な人が歩いてくるのが見えた。
この人も飼っていた犬を3年くらい前になくしている。
うちのも・・と話しかけると立ち話になり、自分の犬の最後の話もしてくれたけれどそれより今は自分が死への準備に入っていることを感じているという話をしてくれた。生きられるうちにどう有意義に生きるか・・
と今これを書いてて気づいたけれど、
最初に会った人の犬はすぐ近所なのでうちのモモと互いの家の前を通るときにやたらに吠えあうライバルみたいな存在だった。
そして次に会った人の犬はモモが遊ぼうよ!と誘った唯一の犬。
犬見知りだったモモが深くかかわった犬はその2匹だけ。
その飼い主さん二人と立て続けに出会ったのは偶然だったんだろうか?
モモが知らせてほしいと願ったのかな
更に今思ったけれど、モモから大事なメッセージをもらったのかもしれない。
今思うと偶然じゃないのかもなと思う事がまだあるんだけどそれはまた別に・・

あそこをモモとニコニコ歩いてからまだ一週間たっていないじゃないかと思うとまた泣きそうになる。
最近急に脚力を落とし、もう自力でここまで来れないから車で連れてきた。
だけど足が悪いというだけでまさか最後になるとは全く思ってないし写真を撮ったりもせず。
10年以上何度も何度も当たり前に歩いた道を行く。
当たり前にいてくれたはずのモモは見当たらない。
大きな銀杏を見ながらかつてモモとここで遊んだことを思い出し、今もそばについてきてくれてるかなと考える。

なんでか知らないけど田んぼに水が入ってた。
なんかきれいだけど、もーちと見たかったな。
日差しが温かい。
うつ病の防止法みたいなのに日光に当たって軽い運動をするというのがあったと思う。
思えば10年以上もーさんと日の光を浴びてたくさん散歩をした。
街の中、山の中各方面いろんなところに行き当たりばったりで歩きまくったよね。
若いころはものすごい距離を歩いてたし、ほとんど散歩で終わった日もたくさんあった。
楽しかったよな。
私がまっとうに生きてこられたのは、嫁さんともーちゃんのおかげだね。
お散歩中にいろんな人と出会って話をした。
もさんがいなければ誰とも知り合わなかっただろう。
https://www.youtube.com/watch?v=C_HA8sTjt8w
明るく穏やかな日差しを感じる音楽に乗って「子供たちは散歩に出かけただけだ、もうすぐ帰ってくるだろう」と歌うこの曲は、
亡き子をしのぶ歌
前から知ってはいたけれど、身をもってその意味を知る。
私は喪中。
喪中というのは家で地味に静かにしていることかなと思いつつ、飯でも食いに行こうよと嫁さんに言ってみるといいの?大丈夫なのみたいな返事が返ってきた。
もんちのいない家にいると寂しくて耐えられないから・・
何か思うところがあるのか嫁さんがずっと拒絶していた歩いてすぐの飯屋の名前を出すので行ってみた。

いろんな店でアクリル板見たけどこんなに手作り感爆発なのは初めてだ。
メニューが広告の裏に走り書きだったり窓のところにあんなものが見えるように置いてあったりおかみさんの人柄が・・悪いんじゃないほほえましい人柄が出てると思う。
そのおかみさんとも犬の散歩仲間と言えなくもないか。
ずっと同じ犬種を飼い続けていて、今の子が何代目って言ったっけ?
自分ももう年だからこの子が最後だと言ってたのをもんちといっしょに聞いた。
仕事モードの時は知ってる人の体では話してこないのね。もんちのことは話さなかった。

料理はちゃんとしてて、ハンバーグ定食は鉄板の上でじゅー!とか言いながら出てきたし美味しかった。
私いまたくさん食べられないから定食禁止だったことを頼んでから思い出す。
まあいいや晩飯極端に減らせば。
このあと一つ用事を済ませて喫茶店にも行ったけどケーキは食べなかったよ。

と言いつつこんなの飲んでちゃだめだけど。
この日まだ帰らず遠くの街の商業施設みたいなところに行った。
何を見たいわけでもない。ずっと一人モモの名を呼び続け歩いてるだけ。
すぐそこで聴いてくれてると思いながら。
あのあと2度ほど預かり犬と散歩をしました。違う犬なのに思わず
もんちいこっ!っと声をかけてしまう。
どこをどう歩いても目に入るすべてがモモとの思い出を呼んでしまって実はつらかった。
だけど、3度目の散歩に出かけようとすると玄関でモモが
いっしょにいくよ!
というメッセージを送ってくれてると思った。
何でそう思ったかは書かないけれど大きな別れの後に不思議な体験をされた方が何人もいて、勘違いじゃない事を教えてくださいました。
私が腹を壊して救急車で運ばれるに至るとき、
玄関でふらふらしながら出かける準備をする私の横にぴったりついて
いっしょにいくよ!
と言ってくれたのも忘れられない。
今朝、預かり犬と別れの挨拶をした。
さあやることやったからと出かけるかという時、
もんちいってくるねと
撫でる相手をいつもの場所に探してしまった。
今は何かにすがりたい気持ちだけど、まだそれでいいのかなとも思う。
ただこの先モモに見られて恥ずかしくないように生きて行きたいと思います。
すごいなもーちゃん。
これを書いてる時点でまだお礼をし切れていませんが、皆様のやさしさに救われています。
改めてどうもありがとうございました。
これが公開になるころ、預かり犬は元の家へ帰っているらしい。
みんないなくなって静かになっちゃった家に耐えられるだろうか?は今置いとくとして、最後の思い出にという事だろう嫁さんが長い散歩に行きたいようなことを言うので一緒に出掛けた。

家を出るとすぐ、普段そこに見かけない人が畑にいるので挨拶をする。
このあたりじゃ私なんかよりはるかに有名なモモがいないのを見て声がかかり、
一昨日・・悲しくて・・
その人も3年くらい前に飼い犬をなくしてることを知っているから
そうだったでしょう?と言ってみるとすぐに
うちは1年くらい毎日泣いてた。
自分の親の時は1か月くらい前から心の準備もできてけど・・
ああ、みんな同じなんだね。
普段話すこともない人でなんとなく話しにくいかなと思ってたけどお互い何の壁もなく大声でそうだよねぇ!
再び歩き始めるとすぐに別な人が歩いてくるのが見えた。
この人も飼っていた犬を3年くらい前になくしている。
うちのも・・と話しかけると立ち話になり、自分の犬の最後の話もしてくれたけれどそれより今は自分が死への準備に入っていることを感じているという話をしてくれた。生きられるうちにどう有意義に生きるか・・
と今これを書いてて気づいたけれど、
最初に会った人の犬はすぐ近所なのでうちのモモと互いの家の前を通るときにやたらに吠えあうライバルみたいな存在だった。
そして次に会った人の犬はモモが遊ぼうよ!と誘った唯一の犬。
犬見知りだったモモが深くかかわった犬はその2匹だけ。
その飼い主さん二人と立て続けに出会ったのは偶然だったんだろうか?
モモが知らせてほしいと願ったのかな
更に今思ったけれど、モモから大事なメッセージをもらったのかもしれない。
今思うと偶然じゃないのかもなと思う事がまだあるんだけどそれはまた別に・・

あそこをモモとニコニコ歩いてからまだ一週間たっていないじゃないかと思うとまた泣きそうになる。
最近急に脚力を落とし、もう自力でここまで来れないから車で連れてきた。
だけど足が悪いというだけでまさか最後になるとは全く思ってないし写真を撮ったりもせず。
10年以上何度も何度も当たり前に歩いた道を行く。
当たり前にいてくれたはずのモモは見当たらない。
大きな銀杏を見ながらかつてモモとここで遊んだことを思い出し、今もそばについてきてくれてるかなと考える。

なんでか知らないけど田んぼに水が入ってた。
なんかきれいだけど、もーちと見たかったな。
日差しが温かい。
うつ病の防止法みたいなのに日光に当たって軽い運動をするというのがあったと思う。
思えば10年以上もーさんと日の光を浴びてたくさん散歩をした。
街の中、山の中各方面いろんなところに行き当たりばったりで歩きまくったよね。
若いころはものすごい距離を歩いてたし、ほとんど散歩で終わった日もたくさんあった。
楽しかったよな。
私がまっとうに生きてこられたのは、嫁さんともーちゃんのおかげだね。
お散歩中にいろんな人と出会って話をした。
もさんがいなければ誰とも知り合わなかっただろう。
https://www.youtube.com/watch?v=C_HA8sTjt8w
明るく穏やかな日差しを感じる音楽に乗って「子供たちは散歩に出かけただけだ、もうすぐ帰ってくるだろう」と歌うこの曲は、
亡き子をしのぶ歌
前から知ってはいたけれど、身をもってその意味を知る。
私は喪中。
喪中というのは家で地味に静かにしていることかなと思いつつ、飯でも食いに行こうよと嫁さんに言ってみるといいの?大丈夫なのみたいな返事が返ってきた。
もんちのいない家にいると寂しくて耐えられないから・・
何か思うところがあるのか嫁さんがずっと拒絶していた歩いてすぐの飯屋の名前を出すので行ってみた。

いろんな店でアクリル板見たけどこんなに手作り感爆発なのは初めてだ。
メニューが広告の裏に走り書きだったり窓のところにあんなものが見えるように置いてあったりおかみさんの人柄が・・悪いんじゃないほほえましい人柄が出てると思う。
そのおかみさんとも犬の散歩仲間と言えなくもないか。
ずっと同じ犬種を飼い続けていて、今の子が何代目って言ったっけ?
自分ももう年だからこの子が最後だと言ってたのをもんちといっしょに聞いた。
仕事モードの時は知ってる人の体では話してこないのね。もんちのことは話さなかった。

料理はちゃんとしてて、ハンバーグ定食は鉄板の上でじゅー!とか言いながら出てきたし美味しかった。
私いまたくさん食べられないから定食禁止だったことを頼んでから思い出す。
まあいいや晩飯極端に減らせば。
このあと一つ用事を済ませて喫茶店にも行ったけどケーキは食べなかったよ。

と言いつつこんなの飲んでちゃだめだけど。
この日まだ帰らず遠くの街の商業施設みたいなところに行った。
何を見たいわけでもない。ずっと一人モモの名を呼び続け歩いてるだけ。
すぐそこで聴いてくれてると思いながら。
あのあと2度ほど預かり犬と散歩をしました。違う犬なのに思わず
もんちいこっ!っと声をかけてしまう。
どこをどう歩いても目に入るすべてがモモとの思い出を呼んでしまって実はつらかった。
だけど、3度目の散歩に出かけようとすると玄関でモモが
いっしょにいくよ!
というメッセージを送ってくれてると思った。
何でそう思ったかは書かないけれど大きな別れの後に不思議な体験をされた方が何人もいて、勘違いじゃない事を教えてくださいました。
私が腹を壊して救急車で運ばれるに至るとき、
玄関でふらふらしながら出かける準備をする私の横にぴったりついて
いっしょにいくよ!
と言ってくれたのも忘れられない。
今朝、預かり犬と別れの挨拶をした。
さあやることやったからと出かけるかという時、
もんちいってくるねと
撫でる相手をいつもの場所に探してしまった。
今は何かにすがりたい気持ちだけど、まだそれでいいのかなとも思う。
ただこの先モモに見られて恥ずかしくないように生きて行きたいと思います。