偶然なんかじゃないと思う
モモはいないとわかって帰ってきて、モモがいないと考えながら靴を脱いで
だけどいるかなって部屋を覗いちゃうんですよまだ。
そのうちこういうのもなくなっていくんだろうと思うとまた寂しかったり。
モモが旅立つ直前の記事に、謎の高揚感に包まれちゃってなんでこうなったのかわからないというようなことを書いていました。最後は楽器やれませんとか言って終わるなんだこれ?的な。
今、あれには意味があったんじゃないかと。
あの日、気分が落ち込んじゃってるというかおかしいのが自分でわかったのでどこかへ遠くへ気晴らしに行こうと思っていた。
だけど結構な雨となってしまい遠出は止める。代わりに行ったことのない店に行って昼を食べ、落ち着いた喫茶店で甘いものでも飲んで来ようと思った。

カレーオタクが自分で始めてしまったというスパイスカレーのお店でポークピンダルーと豚ひき肉とゴボウのキーマカリーの合いがけ。
パクチー大嫌いだったけどどうも大丈夫になっちゃったらしい。雰囲気のいい店内には私しかいないなか、見たことも食べたこともないスパイスいっぱいのカレーを食べて心までいい刺激を受けた。
ご飯はバスマティライスというインディカ米だそうでほろっというかぱらっとした感じがカレーとよくあって。
カフェではなく老舗的な落ち着いた喫茶店に移動して

カフェドモカというのを頼む。
子供みたいにスプーンですくって甘いこれだけ先に食べちゃった。
それが終わるとほろ苦い世界が始まる。
なんとなくオレンジの雰囲気があるのは何か入れてあるからなのか、豆のなにかなのか・・
この後早く家へ帰りたいという考えが浮かびその通りにした。
帰ると別部屋で寝てたモモが出てきて私と一緒にこたつでくつろいでくれた。
いつもと変わらないはずなんだけどなんでかああモモがそばにいてくれて幸せだなみたいな気分でいたことをはっきり覚えてる。
そのあと一緒になって寝てしまい起きるとモモが私の腕の上にドン!なんて乗っかってきて、重いんだけどなんか幸せだからいいか・・とか
思えばこの時がモモとゆっくり過ごした最後の最高の休日となってしまった。

カレー屋さんに入るとき、傘立てに置いた傘は絶対に盗まれると言う被害妄想にとらわれていた。人としてのダメスイッチが全開になってたと思う。
もし、時間がなくてあまり構えなかったとか苛立ちをぶつけてしまったかいう状態の直後にモモがいなくなってしまったら、私は一生払いきれない後悔を背負ったかもしれない。
楽器が全然だめでわけのわからないことを書いていたりしたし、そうなった可能性は結構あるのかもしれないなと思う。
あのとき意味不明に気分が落ち着きモモとゆっくり幸せに過ごす時間を得たのは、きっとその先の運命を知っている誰かが導いてくれたからなんじゃないか。
あの日私の手の甲にモモが自分の手をポンと載せてきたのも覚えてる。
子供のころはよくそうやってあそうぼうよ!とか待ってたよ!みたいなことを言ってくれたのを思い出し久しぶりだなと・・
モモには、何か感じるところがあったのかな。
そばに居られてよかった。
https://www.youtube.com/watch?v=UsVLilGdVLI
あの日少し音楽を聴いて、そのなかにこの曲もあったと思う。
その次の日は出勤だったけれど帰宅後の楽器練習はもう休もうと決めてあったので変な気持ちでいることもなくモモとゆっくりすることがまた出来た。
なぜかいつもよりずっとモモを撫でていたい気がして、そうした。
その時モモが逝くなんて全く思ってなかったけれど、いなくなっちゃったらもうこの感触は2度と・・みたいな事を考えたのも覚えてる。
その後も何度もそうして、互いに見つめ合い・・
はっきり残っているこの記憶が、突然あの優しい瞳がいなくなってしまったことへの心の闇みたいなものから私を守ってくれていると思う。
それらはみんな、偶然なんかじゃないんだと思っている。
その翌朝、それはモモの最後の朝だけど
最近出てきてくれなくなってた玄関でのお見送りを久しぶりにしてくれたこと、
とても穏やかな顔をしているなと思ったことをはっきり覚えてる。
その夜帰宅してからのわずかな時間が最後になってしまったけれど、でも一緒にいられた。
モモはいつもずっとそばにいてくれようとしていたから、最後の時は必ずそばにいてやりたいとモモが若いころから思ってた。
なにこんな突然奪ってんだと思いかけたけれど、そうじゃなくて逆なのかもしれない。

預かり犬と最後の散歩で。
もんちも一緒にいてくれたはず。
モモが逝ってしまう直前私は変になっていて、またここに
私の40代は人並みになりたいと願ったができないことに気付かされ無駄に終わった10年とな・・・
ちがうよ。
まだ2年あるとか細かいことはおいといて
もう後戻りもやり直しもできない私の40代は、もんちがいてくれて明るく楽しい世界だった。
モモに、「もんちすごいね!」とか「もんちがいてくれるからいいね」と言うと、
てへっ みたいな顔してくれたんですよ。
もんちこれ見てるかな。
だけどいるかなって部屋を覗いちゃうんですよまだ。
そのうちこういうのもなくなっていくんだろうと思うとまた寂しかったり。
モモが旅立つ直前の記事に、謎の高揚感に包まれちゃってなんでこうなったのかわからないというようなことを書いていました。最後は楽器やれませんとか言って終わるなんだこれ?的な。
今、あれには意味があったんじゃないかと。
あの日、気分が落ち込んじゃってるというかおかしいのが自分でわかったのでどこかへ遠くへ気晴らしに行こうと思っていた。
だけど結構な雨となってしまい遠出は止める。代わりに行ったことのない店に行って昼を食べ、落ち着いた喫茶店で甘いものでも飲んで来ようと思った。

カレーオタクが自分で始めてしまったというスパイスカレーのお店でポークピンダルーと豚ひき肉とゴボウのキーマカリーの合いがけ。
パクチー大嫌いだったけどどうも大丈夫になっちゃったらしい。雰囲気のいい店内には私しかいないなか、見たことも食べたこともないスパイスいっぱいのカレーを食べて心までいい刺激を受けた。
ご飯はバスマティライスというインディカ米だそうでほろっというかぱらっとした感じがカレーとよくあって。
カフェではなく老舗的な落ち着いた喫茶店に移動して

カフェドモカというのを頼む。
子供みたいにスプーンですくって甘いこれだけ先に食べちゃった。
それが終わるとほろ苦い世界が始まる。
なんとなくオレンジの雰囲気があるのは何か入れてあるからなのか、豆のなにかなのか・・
この後早く家へ帰りたいという考えが浮かびその通りにした。
帰ると別部屋で寝てたモモが出てきて私と一緒にこたつでくつろいでくれた。
いつもと変わらないはずなんだけどなんでかああモモがそばにいてくれて幸せだなみたいな気分でいたことをはっきり覚えてる。
そのあと一緒になって寝てしまい起きるとモモが私の腕の上にドン!なんて乗っかってきて、重いんだけどなんか幸せだからいいか・・とか
思えばこの時がモモとゆっくり過ごした最後の最高の休日となってしまった。

カレー屋さんに入るとき、傘立てに置いた傘は絶対に盗まれると言う被害妄想にとらわれていた。人としてのダメスイッチが全開になってたと思う。
もし、時間がなくてあまり構えなかったとか苛立ちをぶつけてしまったかいう状態の直後にモモがいなくなってしまったら、私は一生払いきれない後悔を背負ったかもしれない。
楽器が全然だめでわけのわからないことを書いていたりしたし、そうなった可能性は結構あるのかもしれないなと思う。
あのとき意味不明に気分が落ち着きモモとゆっくり幸せに過ごす時間を得たのは、きっとその先の運命を知っている誰かが導いてくれたからなんじゃないか。
あの日私の手の甲にモモが自分の手をポンと載せてきたのも覚えてる。
子供のころはよくそうやってあそうぼうよ!とか待ってたよ!みたいなことを言ってくれたのを思い出し久しぶりだなと・・
モモには、何か感じるところがあったのかな。
そばに居られてよかった。
https://www.youtube.com/watch?v=UsVLilGdVLI
あの日少し音楽を聴いて、そのなかにこの曲もあったと思う。
その次の日は出勤だったけれど帰宅後の楽器練習はもう休もうと決めてあったので変な気持ちでいることもなくモモとゆっくりすることがまた出来た。
なぜかいつもよりずっとモモを撫でていたい気がして、そうした。
その時モモが逝くなんて全く思ってなかったけれど、いなくなっちゃったらもうこの感触は2度と・・みたいな事を考えたのも覚えてる。
その後も何度もそうして、互いに見つめ合い・・
はっきり残っているこの記憶が、突然あの優しい瞳がいなくなってしまったことへの心の闇みたいなものから私を守ってくれていると思う。
それらはみんな、偶然なんかじゃないんだと思っている。
その翌朝、それはモモの最後の朝だけど
最近出てきてくれなくなってた玄関でのお見送りを久しぶりにしてくれたこと、
とても穏やかな顔をしているなと思ったことをはっきり覚えてる。
その夜帰宅してからのわずかな時間が最後になってしまったけれど、でも一緒にいられた。
モモはいつもずっとそばにいてくれようとしていたから、最後の時は必ずそばにいてやりたいとモモが若いころから思ってた。
なにこんな突然奪ってんだと思いかけたけれど、そうじゃなくて逆なのかもしれない。

預かり犬と最後の散歩で。
もんちも一緒にいてくれたはず。
モモが逝ってしまう直前私は変になっていて、またここに
私の40代は人並みになりたいと願ったができないことに気付かされ無駄に終わった10年とな・・・
ちがうよ。
まだ2年あるとか細かいことはおいといて
もう後戻りもやり直しもできない私の40代は、もんちがいてくれて明るく楽しい世界だった。
モモに、「もんちすごいね!」とか「もんちがいてくれるからいいね」と言うと、
てへっ みたいな顔してくれたんですよ。
もんちこれ見てるかな。