心をもらった
買ったお菓子を持って、なくした指輪を預かってくれたお店へ行った。
朝一のモップで出てきたそうだ。
心からのお礼をさせてもらう。
その後大切な用事を一つこなして、

ネギ塩牛タンハンバーグだっけ
チェーン店だけど時間が遅くもう空いてきていたうえに奥の半個室みたいなところへ丁寧に案内してもらう。
何より指輪が戻って嫁さんが笑ってるからくれたから何を食ってもおいしいし、
ゆったりした気分になれた。
別におしゃれカフェとかじゃなくていいんだよな。
私が穏やかな気持ちでいられれば、モモも安らかであってくれると思う。
逆だと落ち着けないかな。
最初の3年くらい、モモの主人は私じゃなかった。
その主と私が口論になった時、なぜかモモは私のそばにくっついて一緒になって声を張り上げてくれたのを思い出した。
もーちゃん・・
モモは訳があって東京のペットショップからやってきたけれど、高速に乗って迎えに行く車を運転したのは私。
しかし私はあの頃ねじれた枯草みたいな人間だったので、直前まで犬を飼うことに反対していた。
ショップの中でふらついていると私を呼ぶ声がする。
犬と顔合わせということだろうとは思ったけれどいいよそんなの。
とはいえお店の人の手前それじゃまずいだろうと思って行ってみると、
手のひらに乗りそうなちっちゃいのが何の疑いもない無垢な笑顔で私の目を見て尻尾を振ってるんだよ
おいよせよ、おれはそんないいもんじゃな・・
私の腐ってねじ曲がった心に巻き付いた鎖はモモの目ビームで砕け散った。
今これを書いてる私のこの気持ちはもうあの時にもう決まってたんだと思う。
ご縁というやつですよね。
これが。
https://www.youtube.com/watch?v=n0p0sELMPT0
モモがケーキの箱みたいなのに入ってやってきたことも、まだ毛の生えてないおなかを触ったら人間の子みたいにぴちぴちだったあの感覚も昨日のように覚えているけれど、ひねくれすぎていたせいかその写真が一枚も残ってないのね。
私は自分が変な風にしか生きられなかったことを自分で攻める気は毛頭ないのだけど、赤ちゃんだったモモの写真を撮らなかったことだけは悔やまれる。

嫁さんと3人で暮らすようになってすぐかほとんどその日に嫁さんがとってくれたもの。
3歳くらいでもう子犬ではなかったはずだけどでもなんか久しぶりだね。
見てると手を伸ばせば撫でられるんじゃないかという気がしてきたり。
今日、嫁さんからもう一つ聞いた。
最後の日、昼間モモを外に出すと気持ちよさそうに風に当たってなかなかもどろうとしなかったという。
そういうことはこれまでもたびたびあったけれど、珍しくしっぽを振ってた・・
モモは、わかってたのかな
赤ちゃんで現れたモモは途中で私を追い越しはるかに何でもわかる大人になって先に行ってしまった。

もんちの写真を焼いてもらいフォトフレームも買った来た。
この世に写真というものがあってくれてほんとによかったと思う。
モモは今もすぐそばから見ていてくれる気がするけれど、やっぱりこっちも姿が見たいじゃない。
自分が撮ったものより嫁さんが私とモモが一緒にいるのををとってくれた写真のが泣ける。
これからもいろいろうまくいかないことだらけなのかもしれないれど、でもこれからは気持ちをうまく分離してできるだけ明るく穏やかでいられるようにしたいなとという気持ちが来てる。
モモさんがそうしてねって言ってる気もするんだよな。
私楽器やると変なスイッチが入っちゃうしやめてもしばらくすると同じのが入っちゃうのでそこをどうし・・まいいか。
モモががっかりするような人生じゃいけないと思う。
朝一のモップで出てきたそうだ。
心からのお礼をさせてもらう。
その後大切な用事を一つこなして、

ネギ塩牛タンハンバーグだっけ
チェーン店だけど時間が遅くもう空いてきていたうえに奥の半個室みたいなところへ丁寧に案内してもらう。
何より指輪が戻って嫁さんが笑ってるからくれたから何を食ってもおいしいし、
ゆったりした気分になれた。
別におしゃれカフェとかじゃなくていいんだよな。
私が穏やかな気持ちでいられれば、モモも安らかであってくれると思う。
逆だと落ち着けないかな。
最初の3年くらい、モモの主人は私じゃなかった。
その主と私が口論になった時、なぜかモモは私のそばにくっついて一緒になって声を張り上げてくれたのを思い出した。
もーちゃん・・
モモは訳があって東京のペットショップからやってきたけれど、高速に乗って迎えに行く車を運転したのは私。
しかし私はあの頃ねじれた枯草みたいな人間だったので、直前まで犬を飼うことに反対していた。
ショップの中でふらついていると私を呼ぶ声がする。
犬と顔合わせということだろうとは思ったけれどいいよそんなの。
とはいえお店の人の手前それじゃまずいだろうと思って行ってみると、
手のひらに乗りそうなちっちゃいのが何の疑いもない無垢な笑顔で私の目を見て尻尾を振ってるんだよ
おいよせよ、おれはそんないいもんじゃな・・
私の腐ってねじ曲がった心に巻き付いた鎖はモモの目ビームで砕け散った。
今これを書いてる私のこの気持ちはもうあの時にもう決まってたんだと思う。
ご縁というやつですよね。
これが。
https://www.youtube.com/watch?v=n0p0sELMPT0
モモがケーキの箱みたいなのに入ってやってきたことも、まだ毛の生えてないおなかを触ったら人間の子みたいにぴちぴちだったあの感覚も昨日のように覚えているけれど、ひねくれすぎていたせいかその写真が一枚も残ってないのね。
私は自分が変な風にしか生きられなかったことを自分で攻める気は毛頭ないのだけど、赤ちゃんだったモモの写真を撮らなかったことだけは悔やまれる。

嫁さんと3人で暮らすようになってすぐかほとんどその日に嫁さんがとってくれたもの。
3歳くらいでもう子犬ではなかったはずだけどでもなんか久しぶりだね。
見てると手を伸ばせば撫でられるんじゃないかという気がしてきたり。
今日、嫁さんからもう一つ聞いた。
最後の日、昼間モモを外に出すと気持ちよさそうに風に当たってなかなかもどろうとしなかったという。
そういうことはこれまでもたびたびあったけれど、珍しくしっぽを振ってた・・
モモは、わかってたのかな
赤ちゃんで現れたモモは途中で私を追い越しはるかに何でもわかる大人になって先に行ってしまった。

もんちの写真を焼いてもらいフォトフレームも買った来た。
この世に写真というものがあってくれてほんとによかったと思う。
モモは今もすぐそばから見ていてくれる気がするけれど、やっぱりこっちも姿が見たいじゃない。
自分が撮ったものより嫁さんが私とモモが一緒にいるのををとってくれた写真のが泣ける。
これからもいろいろうまくいかないことだらけなのかもしれないれど、でもこれからは気持ちをうまく分離してできるだけ明るく穏やかでいられるようにしたいなとという気持ちが来てる。
モモさんがそうしてねって言ってる気もするんだよな。
私楽器やると変なスイッチが入っちゃうしやめてもしばらくすると同じのが入っちゃうのでそこをどうし・・まいいか。
モモががっかりするような人生じゃいけないと思う。