境界線を越えたらパリパリだった

鳥居があるけれど

お寺なんですという照会文をやたらに読んでから行ったここ
豊川稲荷の名は昔から知ってたけどずっと神社だと思ってた。
うちの近所にもいろいろあるけれど、明治以前はお寺も神社もそんなに明確に分けずに一緒になってそこにあったりしたんだよね。

お正月には大量の人間が押し寄せるんでしょう、その準備はもうできてる感じ。
いろいろ思うことがあってもいわない。
それより真面目にお祈りして。
中身がなく上手く行くはずもなかった就職活動ごっこの後、もういいやと入ったブラック企業みたいなところで寮生活をしていたのはここからもう少し行った先だった。
年末年始くらいしかなかった休日に偉い人の運転手として駆り出されここへ来るはずだったのだけど、察知して逃げた。
そんな話はいいけど20年以上たってやっと今、来れました。

写真だとそうは写ってないけどこの狐様が私を見てるような気がしてた。
怖くはなくて写真で見るよりもっとずっと優しいお顔で何か話しかけてもいいのかなくらいの記憶が残ってて
この日天気悪化方向の予報。
広い境内の方々でお祈りして戻ってきたら本堂の上には厚い雲がかかっていた。

映画で見たような雰囲気の門前町だけど平日なのであんまり人はいないし店も半分くらいしまってた。
うなぎ屋がたくさんあるのには理由があるんだろう。
やってる店に入ると案内の人と奥がひそひそ話した後、少しお待ちいただきますけどいいですか?
ああ嫌なんだなと悟ったけど反射的にはいなんて言っちゃって。言っちゃってからよく見るとまだ何も運ばれてきてないお客が何組もいるのが目に入りやっぱりやめた。
別な通りにあった鰻屋に入ってみれば今度は誰もいない。

品書きにうなぎ丼とあるのを「うな丼ください」と頼むと
うなぎ丼ですね。
笑顔で静かにだけよく読めよちゃんと言えよというのが伝わってくる気がした。
鰻に関東風関西風というのがあるのは知っていたけどその境界線は天竜川あたりらしく、先ほど渡ってきた。
私の知ってるうなぎは皮までふっくら柔らかいもの。
一口目・・えっ!?あ、皮かぁ・・いまさらな初体験的衝撃が走る。
前の晩にこの辺りのうなぎ屋のレビューを読んでいて関西風とか皮がぱりぱり!みたいな予備知識は入ってたんだけど。
こっちにいた間に何度かうなぎ食った覚えもあるけどいつもひつまぶしだったかな。
後でもう一度店のレビュー読むと慣れ親しんでいる人は皆褒めてて、焼きすぎだとか薄っぺらいとか文句を言ってる人はたぶん関東から来て何も意識せず頼んだ人なのかな。
そもそもレビューなんて何のあてにもならないという話は今はおいといて。
人間、知ってるものが正いと思い込んでいてそれから外れると間違ってると感じちゃうもんだから。
いろんなものが楽しめるようになった方がいいですね。
クラシック音楽って同じ曲でも同じにはならないいろんな人のいろんな演奏を聴いてくものなんだけど、一つの録音ばっかりを馬鹿みたいに聴きこみすぎると頭がそれ以外を拒絶するようになっちゃって他が聴けなくなっちゃったりするのね。
それは大げさに言えば物事のほんの一部を見ただけで何かを知った気になってる馬鹿というかそこまで言わなくても多分損をしているんだけど、わたしはどうも昔からその傾向が強すぎるところがあって。
一番いいのは盤なんか聴いてないで実演行きまくりだと思ってるのにもう3年か4年行ってない。いいけど。
すぐにじゃないけどそれも復活の予定。その前の段取りを踏んでいるところでなかなかすすまないの。
https://www.youtube.com/watch?v=v9zCoKHqXr8
沈める寺。
行ったお寺は沈んでないけど。
昔コンサートに通った名残で今ホールから案内メールが来て、これを弾いてる人のコンサートが本人来日の目途がどうしても立たず中止だそうだ。誰も入れないわけだもんね。
楽しみにしてた人はつらいところでしょうね。
この人がというわけじゃないけど演奏家も人間だからどんどん年を取って今年あったはずのその人がいつまでもあるわけじゃないんだよなまた。
帰り、

浜名湖を渡る。
一番奥のあのでっかい橋は完成してもう40年くらいだと思う。出来たばかりのころに父親の社員旅行についてゆきあの橋を・・それがどうしたでもないけれど、そういうのって忘れないものなのね。
モモも初めて登った山のそばを数年ぶりに通ったら覚えているらしくあそこに行きたいよーと小さく言ってくれた。
その後もう一度行けて、嫁さんがとってくれた写真を今何度も眺めてる。
最近、いけなくなる前にまたあそこへ・・と思ったんだけどな。
いろんな思い出を、モモさんも時々思い出したりしてくれたかな。