自分のせいじゃないものを切り分け

でっかい窓から富士山なお店。
珍しくいくつかの席が埋まっていたけどみんなもう終わるところで私達が食べ始めるころにはいつも通りほかに誰もいなくなった。

このお店、壁紙絨毯のほかいすやテーブル、エアコンそのほか備品に至るまで多分創業時からのものを大事に大事に使っていてどれももう40年とか50年ものだと思う。
毎度聴こえてくるショパン名曲集みたいなのも何十年もおんなじのが回っているんでしょうか?
お店の人は嫌になっちゃったりしないのかな?
何十年も聴き続けたら弾けるようになったりするんじゃないか?
しませんね。
https://www.youtube.com/watch?v=VEl9zn8JPW8
なんでか小芝居みたいなのから始まるけれど三十数年前にルーヴィンシュタインを知ったのはテレビでこれを見た時だったと思う。
中間部の左手オクターブがクレッシェンドしていくところにくぎ付けになったような記憶が。
久しぶりに見てみたらもうそこにはどうこう思わなくなっちゃっててさみしいというか。
これとは別な録音をちゃんとした装置で聴くと時々打ち鳴らされるでっかいピアノが地鳴りのように響く低音のドーン!がこの人かなとか。
だいたいいつまでもそんな昔の演奏ばっかり聞いてどうすんだという話もあるだろう。
昔、いつまでもやたらに古い録音を名盤として掲げつづける評論家や愛好家を見て新しいものを受け入れる能力が枯れてるだけじゃないかと思ったことがあった。
今まさに私がそれ。耳になじんだものを聴きそれで良しとしてしまう。
ショパンコンクールがどうのという話にも全く興味が持てない。
で、別にそれでいいと思ってる。
ただ面白いのは演奏会に行けば今そこにいるその人の演奏をちゃんと聞こうと思うしそうする。
録音だとこうなってしまう。
また演奏会に行こうと思えるようになるのは下手でもいいから自分も何かやってると思えた時だと思う
いつになるのか

冬の柔らかい日差しが当たるときれい。
今楽器の・・とかあんまり書かないようにしようかとも思っているんですけど
ずっとごちゃまぜになっていたらしいリードが悪くて鳴らないのと自分が悪くて鳴らない事を切り離して整理してる。
そんな話は一番最初にやらなくちゃいけないんだけど、でも自分でよくわからなかったの。
まだちゃんとわかったかもわからないんだけど。
でもおかしくない自分を見つけられると、じゃあそこからどうしようかと前への進みしろが出来てくる。
不具合や不都合に遭遇するととりあえず自分のせいにする思考壁のせいで、いろんなことがみんなそこで止まってたと思う。
今別な方面でまたストレスにさらされているのも、自分のせいでなってることとそうじゃないことを整理して関係ないもんを切り捨てようと思う。
うまくやろうと思ったらまずそこから。

雲の流れるのを眺める