3歳から4歳の間に全部決まってたりして

わかりにくいとけど大量の水がものすごい勢いで湧き出てるこの上には以前建屋があって養魚場かなにかだった。
このあたりだと柿田川が有名だけど別な場所。
整備されて公園になったここで

お米屋さんがその場で握ってくれるというおにぎりを食べた。
食べてみると握ったんじゃなくて型に入れて押したっぽいかな。
ぎゅーみたいなのがよかったけど
でもごちそうさまでした。明太子とアサリのしぐれ煮
思いだすのは、3歳くらいの頃親に連れられて野中の田舎道を歩いているとその辺の家から出てきたおばちゃんがあらたべる?とか言ってくれたおにぎり。
塩だけで握ったそれはものすごくおいしかったのをはっきり覚えていて、あれから45年生きているけれどあれは人生中で一番おいしかったおにぎりじゃないか。
あんまり美味しいからもう一つとか言って笑われたような記憶も微かに。
私、その翌年くらいにはもうそんなこと誰にも言えないような子供になってた。
あの頃発達障害なんて言葉はなかったけど自分はそういうのだな思った記憶がはっきりとあります。
今は逆に自分は発達障害だとは思わない。
けど発達性運動機能障害だっけ?
だとは思ってる。
ものすごく強く思ってるけどそれで終わると嫌だから楽器やってます。
https://www.youtube.com/watch?v=uYeU1VEgV-Q
なんだこれ?
偉大な芸術家であるルーヴィンシュタインとかホロヴィッツとかって、偉大な芸人でもあるよなと思ったりする。
それより弾いてる姿を見てるといつも思うけど、ちいさな子供のころに教わり身に着けたんだろう基本の姿勢がまずあって絶対に崩さない。
そんなのあたりまえなんだろうけど。
どんなもんでもそうなんだろうけど、そういうのが何一つできてこなかった私。
今もできなくて。
野中の一軒家みたいだったあの辺りはもうかなり前から市街地化しているけれど、でもあの家は今もあって通りかかるたびに思い出す。
45年たってるんだからおにぎりくれたあのおばちゃんもお元気なら100歳くらいなのか。
楽器
新しいリード10本をちょっとずつ吹いてみる。
昨日×や△を付けたものはやっぱりよくなかったけれど、昨日いいと思ったものも息漏れしたり苦しい感じのものがあった。
やりながら、自分の口がまだ全然決まっていなくて都度いろんなことをしているかもしれないと感じた。
よくなるリードを吹いてみるとよくなる・・はいいけど、出来たはずのエチュードを吹くとどうも外したり息が持たなかったり何かがおかしい。
でもどこを直せばいいのかがよくわからない。
途中口の形についてこうだなと思い何度も練習したつもりのものはや大有り間違いだなと終わりごろに思う。
やたらにばてるのも何かが間違っているからだろう。
最後の方はなんでもない音のキーを間違えるというよりわからなくなってしまったり、簡単なフレーズを何回吹いても間違えたりいまこれおかしいな酸欠状態じゃないのか?なんて思いながら終わった。
これをただ繰り返してもまた時間ばかりが過ぎて進歩がないかもしれないという考えがよぎる。
まあ、そういわずにまた明日。