妻がシチューを作ってくれた

日曜日、雨の中峠にある蕎麦屋に行った。
通が蘊蓄をならべるようなのじゃなくて、おばあちゃんごが家族のために打つ日ごろのご飯みたいな蕎麦だと思う。
普段海苔なんかいらないと思ってるけど海苔があってよかったと思う感じ。
つるっとかいうのじゃなくよく噛んで食べる感じなので腹にもたまって。
近くには森の中の隠れ家みたいな蕎麦屋というのがあるけどどうも有名になっちゃったらしく、今私が魅かれるのは道端に素朴にたたずむこっちの方。
初めからそういうのだと思って食べる蕎麦もなんとなく満足。
外は暗く冷たい雨なのが逆にしっくりくるような蕎麦屋だった。意味解んないけど。
月曜の朝、やっぱりまだ時間じゃないのに目が覚める。
起きると嫌な気持ちで周りが満たされていた。
そんなこと言っても仕方がない準備をして嫁さんにはゆっくり寝ててねとか言いながら出社。
眼前にあった危機的状況はなんとか回避の道筋が見えると今度は棚上げになっていた大問題と対峙することになり解放されたわけでは全然ない。
とはいえ、一つ進んだ。
間違っても全部自分で背負っているような気にならないように。
思うだけでなく具体的な手もうつ。
https://www.youtube.com/watch?v=TFJmQa5CtjA
蕎麦屋の後なんとなくブル9が頭で流れたり。
この曲の第1楽章を構成する3つの主題部にはそれぞれ
神が作った普遍的な物、人のぬくもり・団らん・愛、人々の歩みみたいなイメージがあって
作者が細かくダイナミクスを指定している行進曲調の第三主題を聴いてると、寒風にさらされ押しつぶされそうになっても思い直し手前へ進み、

時にいたわり支え合い、
嘆くでもなく前へ進んでゆく人間の姿というものを感じる。
今出来合いを買ってくるだけだけど自分の食事は自分で準備していて、仕事中今日は一人ご苦労さん会的に晩飯をどこかで食べて帰ろうと考えてた。
だけど時間になってみれば雨だし、嫁さんと顔を合わせてなんか食べた方がいいかなとか
なにより遅くなると楽器練習できないなと思っちゃったので嫁さんに頼まれた買い物をして家へ帰った。
ら、嫁さんがシチューを作ってくれてあった。
少し動けるようになったのか。
よかった。
自分もまっすぐ帰ってきてよかった。
でもまだ痛みが取れないらしい。
ゆっくり治そう。
楽器はまた少し後退。
息漏れと息のコントロールがあやしいのと
なんでかいつも月曜日は何でこうなっちゃうのと思ってる気がする。
一つはリードが原因だと思う。
でも全然ダメでもないし、何日か前を思えばほんのわずかながらましになってるような気がしないでもない。
もうちょっと書くか、
タンギングが、調子のいいときは何も考えずに自然にできていた気がするのに
今は口中一緒に動いちゃってグダグダになってる。
これ多分下だけ意識しちゃだめでまずい気がツーっと楽に通ってることというのがあって・・
あした、入門書みたいなのをもう一度やってみようか。
夜ちゃんと眠れていないせいか今ものすごく眠い。
また、あした。