右半分だけ焼ける

腐るスイッチが入ったところに休みが来たため遠くへ出かけた。
朝のこのあたりはまだ頭の中ネガティブネタでいっぱい

それでも運転してると意識が制限されるというか変な方への暴走がとまる
20代前半くらいに仕事をしている以外は車でずっと走っていたことがあった。
別に車が好きだというわけでも何でもなく

なんとなく行ってみたところで

食べたものがうまかったり
不思議なものを見たり

神頼みや

仏だのみをしているうちに

ネガティブが消え穏やかな気持ちになっていた
散々神頼みをしたっていつまでたっても楽器の音も出ないじゃないか
とは思わない。
出来るようにはならないけれど、何度かあったもう辞めようというところでなぜか辞めない展開を通過してきたあたりに神様を感じる。
おみくじを引いたらほとんど全部全然だめだとあり、
騒ぐな
時間は相当かかる、待てといっているだろう
というようなことが書いある
ような気がした。

強い西日が差してるこのころ車のミラーに映る自分の顔がなんでか視界に入って仕方がなかった。
嫌になるようなひどいそれは年齢だけじゃなく
自分が自分をどう思って生きてきたかという事の答えだなと思っていた。
とはいえ、無神経一般論的なそれは全部自分のせいだろうというのを自分に押し付ける気ももうない。
そういうのうまくコントロールしないと関係のない他人への怒りみたいなものにすり替わっちゃうから危ないんだけど

穏やかな気持ちで一日を終わるのは楽器を触らなかったから
明日の今頃はまた元に戻るかさらにひどくなっているだろう。
こんなことを書けば馬鹿じゃないかとたくさんの人に思われてると思う
そうじゃないんだという事をさんざん色々書いたつもりでも、そんなこと読み手には微塵も伝わらないんだなとコメントから・・だけどそういう時には必ず同時にありがたいコメントを頂いていて、全部が間違いだったわけじゃないんだと知る。
多分、そういうところに神様。