最後まで大事に見届けて

嫁さんは近所の人がくれた菜の花をゆでて食べるより花が咲くのを見届ける方が面白いらしい
この後何本かは花瓶に入って台所が春。うちはそういう家。ちゃんとしてなくていい。

ここは昔嫁さんと初めて会った日に来た店。だからというわけでもなく喫茶店飯が食べたくなって久しぶりに。
店名からはじまる一本通った世界観とモーツァルトが流れてたりする店だけど、でもそういう人ではないんだろうなといつも思うマスターはテレビのゴルフ中継をみてた。

写真うまく撮れてないけどこれ予想以上にうまかった。
前はもっといろんなメニューがあった気がするんだけどだいぶ縮小されちゃって
20年位前には厨房に3人くらい人がいて若い女性もいたようなあれマスターの娘さんだったのかな。
3年くらい前に来たときにはマスターがものすごい勢いでタバコを吸ってるのに閉口したけど今日は外へ出て吸ってくれてた。

小さなデザートは食べるとクリームソーダを飲んだような気になってこれも予想以上に良かった。
ここへ始めてきたのはちょうど30年前、免許を取ったはいいが乗せる相手もいない人間にドライブに誘われお前乗せてやったんだから珈琲おごれとか
なんだそりゃと思った記憶もあるけどその何年か後ここで初めて話した嫁さんが嫁さんなんだからあれはあれで運命的展開の一つだったのかなと思わないでもない。
あの人間と話をしたいと思ったけれどもう連絡先もわからないしそれは一生ないんだと気づく。
この店だっていけるうちに行っとかないと。
なんて言うか全体的にもう終わってしまったもう時間がないという気持ちがやたらにあって、49歳ってそういうところですか?
途中で止まりそうになりながらもノクターン14番は最後までつながった。
それで最後の部分私の持ってる楽譜は

こう書いてあるけど、
ルーヴィンシュタインの演奏は

左手が終わってから登っていくこの感じ。巨大前打音というか
でもいろんな人の演奏を聴くと大方は

2拍目付近から登り始めるこの感じ。
細かい指南がいろいろ書いてあるコルトー版は開始点として左手のFisとつなぐ点線が書いてあった。
こういうの見た目の違いは紙面の都合的なもんくらいかと思ってたけどそうじゃないのね。
なんであれ、スケール練習を何年もやってきたとかじゃなくいきなり初めていきなり曲を弾いちゃってる私のインチキ感が音になってわかりやすくバレるのはこういうところ
グリッサンドみたいに駆け上がる人もいるけど意外にも超絶技巧系の巨匠がゆったり登ってたりするのを聞きあれを目指そうと思ってみたり。

ここもかなり怪しい。
家にこもって一人勝手に弾いてる分にはインチキだろうが何だろうがどうでもいいのかもしれない。
レッスンもそんな感じで終わるかもしれない。
だけど私はそれだと結局自分自身がどうでもいい存在だったことを明らかにされたように感じられ、寂しく悲しく虚しい
1年くらいやったら意味もなくどっか人前へ出てって弾いてやろうかななどと考えてみたり。
どっかってどこかもわからないし
なにいってんだかわかんないけど。