病気になってもよかった

久しぶりに行ったこの喫茶店のカレーは多分名物で凄く辛い。
昨年私は油断してそれを食べ憩室炎を再発させてしまったのだけど、それはやめるにやめられなくなっていたあることを辞めるための理由になってくれて今につながってる。
悪いことも含め偶然のようなことも実は意味があって起こっているんじゃないかと思う。
今週私は身内系問題の対応の山場。
始めは困ったことになったと思ったそれも、実は助けてもらえているのかもしれないと思うようになった。
かなり昔偶然ここへ来たときに食べたパフェがものすごかったのを覚えてる。
けど絶対落とせない1週間を控えここで腹を壊すわけにはいかないので

おとなしくケーキセット。
ケーキは選べたりしなくてモンブランですけどいですね?だった。
ピアノ弾いてますみたいな話数人でも読んでもらえればうれしいけど
楽譜を見て弾く練習も兼ねてるはずだったノクターンの後半もだんだん覚える式になってしまってきた。
初見で弾ける人になる練習をするなら、私はもっとずっと単純な楽譜でやるべきなんだと思う。
合間に先日印刷したシューマンの子供のためのアルバムの最初の方の曲を見て弾いてみたりする。
一見バイエルみたいな見た目だけどわかりやすくTSDだけを並べてくれてあったあれとはちょっと違う。
多分6歳くらいの子が初見で弾いたりするんだろうけど私はところどころえ?っとかいってつっかえてみたり。
そういうとこをちゃんとしようとするんじゃなく押し通して行く訓練をしなくちゃいけないらしい。
我流で中途半端にピアノを弾き始めここ10年は放置状態の計35年だけど、子供の頃に一から始めてれば何の疑いもなく読んで弾くが出来たのかな?と思わないでもない。
でもそんな機会に恵まれていたらきっと今頃音楽は嫌いになってたかな。
もうひとつラヴェルのこれも印刷した。

聴いてるとものすごく簡単そうに聞こえるけど、4分の3拍子で書いてあるこれを私は左手が支配する8分の6拍子みたいにとらえているのであ?みたいな混乱があったりして
あとよく知ってる曲だと手が勝手に音を探してしまうので読む練習にならないかもしれない。
そして用紙がA4だと楽譜が小さすぎて老眼で見えず疲れる。
ノクターンの最後の部分、ルーヴィンシュタインみたいに

左手が終わってから登るのなら右手だけ一生懸命練習すればいいのかなと思うけどけどたぶんこれは時代遅れというか今やると間違いだと言われる感じなんじゃないか。

これなんとなく頭の中に浮かぶのは右手と左手が別々なテンポで進行する感じで、左右の手が完全に自由になる人にはできて仕方がないんでしょう。
けど私はそんなのできません。
けど数をこなせばきっと・・
そういえば、昔マーラーの演奏実態みたいなので

4番の頭は異なるテンポが同時進行するようなことが書いてあってインテンポの方がぶっきらぼうに先に終わっちゃうこととか

6番の実演を聴きに行ったら全音符に着いたポルタメントの指示を図形的に解釈してとんでもなく早い位置から登り始めてるのにびっくりした話をここに書いたことがあったりして
そういうのマーラーという作曲家の特異性、前衛性を示してるんだと思ってたけど遥か前にショパンがやってるんだな。
マーラーも10代の初めにピアニストで始まってて、演奏会でショパンのスケルツォの2番かなんかを弾いた記録を読んだことがあった。
マーラーがワーグナーとかベルリオーズから露骨な影響を受けている話はそこらじゅうで語られてるけど、ショパンからみたいな話はどっかにあったっけ?・・・と、
とこんなとこにこんなことを書いてもと思いながら