給与明細を隠していた

気温が下がってくると音楽が聴けるようになるしピアノの練習も楽。
まだ午後から暑くなっちゃうけど
一旦落ちた捨てたいスイッチがまた入って継続中。近くある資源ごみ回収日をにらんで・・
結婚してすぐ位、その辺の目につくところに保管していた私の給与明細をどうも嫁さんではない誰かが見ていると感じた。
誰というのはわかってる。どんなことを考え何を言っているかも。
結婚する際ある人にきつく言われたことがあった。何があっても絶対に相手の親を悪く言うな。
やましいこともないのだけど、それからは隠したような場所に保管するようになった。
あれから長い時間が経ち気が付けば状況も変わってるわけだし、保管場所をめんどくさい変なところから普通な場所に変えることにした。めんどくさいから仮置きした場所に明細がたまってふざけた景色になっていたし。
ついでに源泉徴収票と令和に入ってからの明細を残しあとはみんな処分する。
もうこの世にいない人の持ち物にも対峙しようとガラス扉を開けると、そんなにあっさり捨てていいのかと思ったものも長い時間を経てもういいだろうを超え一刻も早く捨てたいと思うまでになっていた。
手を付けるべき箇所は無限にあって捨てる楽しみは当分・・あれね、ちょっと調子に乗ってる感があり注意しないと。
始めて入った店でメニューに見慣れない魚の名前があって

メヌケの煮つけ
正直に言うけどメヌケって始めて聞いた。調べたら固有の種類じゃなく総称だそうで
美味しかったよこれ。こういうのが食べたかった。ないんだよこういうのが出てくる店が。
煮つけが美味しいと思う年齢になったなあと思ったこの日帰ったらベートーヴェンが聴きたくなって、できれば弾きたいとも考えたり。若いころはマーラーとかなんとか言ってたけど音楽の好みも年を取ったのかなぁ・・と思ったけど翌日はストラヴィンスキーの春祭から始まってブラームスのあとドビュッシーだったので、まだそんなに枯れてもいないか。
クラシックを聴くようになって35年くらいだけどネットなんかないころの情報源はテレビラジオに雑誌や本だったか、園田高広というピアニストがいて重鎮みたいな人なんだなと思ってはいた。
指揮者の朝比奈さんが本の中で園田君は日本を代表するピアニストなので・・とか
でもなんとなく邦人演奏家を避けたりしていたので聴かないまま。
最近急に彼に興味を持ち始めてこの動画、演奏どうこうとか細かい話より声とか話し方、佇まいなんかがやっぱりちがう感じで印象深い。ああ芸術家それも人前に出て勝負する人という感じがする。
なんかものすごく怖い先生でもあったようだけどそれはそうだろう、今と違う黎明期みたいな頃に一人世界へ出てって勝負するとかそういう人じゃないと
そう思うとそのまたひと世代前にヨーロッパへ乗り込んだらしい親父さんもすごいね
そういう雰囲気を感じさせつつ、なんか心を開いてやさしく語り始める感じとか・・

わたしも練習して。
動画でもと思わないでもないけどバッハは先生の指示で装飾音抜きでやってるのでまだちょっと
どうしても外す箇所をしつこく部分練習していたらなじんできた。代わりになんとなくなんとかなると思ってた部分がたまにしくじる鬼門になってくる。とはいえ強弱を意識して弾ける余裕がちょっとでてきて。
聴き手として耳になじんでいるのは

テンポや音量を落しつつアルペジオで上品に終わる感じだけど、
先生の指示と指定の楽譜は

フォルテのまま最後まで突っ込んで終わる感じ。もっとばーん!と行っていいから・・ああ突っ込むのかぁ
最初抵抗があったけどやってるとああこれもありね!と思う。
同じ楽譜からいろんな解釈が生まれそのどれもが正解だったりするのが音楽の世界・・音楽に限らないか
でも先生の前ではああそうかこうするのか!って感じで行きますよ。ちゃんと本気で
関係ないけど見つけて読んでた20年ぶりに見たピアノも弾く人のなんか書いてるもの、俺が正しく他は馬鹿と吐き捨てる感じに嫌気がさし読むのをやめた。そういえば昔ピアノなんかなかった時代のバッハをピアノで弾く問題というのでやり取りをさせていただいたのはあの方だったけど。
メンデルスゾーンのヴェネツィアの舟歌第2は最後までつながってはいるけどまだヘロヘロで
アラベスクはやらなくなっちゃって
ハノンは張り切ってやってるけど録画するようなもんかと
でもちゃんと練習してます。
人ってみんな死ぬんですよね。
それは当たり前だけど、よく知った事例が自分に残された時間というものを考えさせる。
私は残したものが死後も価値を持ち続けるような人にはなれませんが、せめて死ぬときにこれをこれだけやったと思えるようになりたい。現状まだ全然そうじゃない。