2つ取り戻した
右手に痛みを感じ、今日は練習できないけどちょうどいい一日休めようとか思いながら

久しぶりに東京へ出たというより、かなり久しぶりにコンサートへ行ってきた。
この数年頭がそういうのを拒絶していたので、行こうと思っただけでも私にとっては事件。
行ってどうなるか自分でも知りたかった。

錦糸町のいいところは小田原からずーっと静かな在来線グリーン車で行けるところだけど、降りたら人がいっぱいで驚く。
30年くらい前に人のたくさんいるところへ行け気をもらうからみたいなことを本で読んだのを思い出したり。だけど出るだけじゃなく人と実際付き合わないとというのを感じちゃって後で変なの来たり

なんかどんより雲ちゃってるけど観光に来たんじゃないからいいか
ちょうど昼時なので表通りの飯屋ラーメン屋はみんな行列ができてた
裏へ回って

あーあった。
鰻1500円のランチがあるらしいことを調べてあった
中へ入ると古い内装がまたいい感じ、でも人の目を盗み写真を撮れる瞬間は来なくて

これだけ見るとご飯見えまくりじゃねーかとかだろうけど値段がすごいからいいの。なんかマグロも出てくるし
私はたくさん食べちゃいけない人なのとコンサート食らいつくように凝視してとかなので腹いっぱいになっちゃっててもいけないし。
うちわパタパタしながらの炭の煙、タレの焼ける香りもおかずになって美味しかった。
以前は開場と同時に入ってステージ上でさらってる人やハープがチューニングしてるのを眺めてると普通埋もれちゃって聴きとれないものが聴こえたりして面白いと思ってた。けれど今そんなことをしてるとおかしくなりそうなので遅めに入ろうと

思ってたのに早く開場まで少し時間があるのでプラプラする
喫茶店を2件くらい見て回って帰りにどちらか寄ろうかなとか
左は小学校で昼休みなのか子供の声が溢れてた。
子供の頃都会の小学校はグランドがコンクリートで固められてるんだよと聞いてみたいなのを思い出す。今みてもちょっと衝撃的。
結局開場と同時に入る。
スマホを見せる式のチケットが現場で表示されずみたいな落ちがちょっと頭に浮かんでたけど無事は入れて
電波シールドされてるホールの中で席番号が表示されず焦ったりして

入ってステージ上を見るとああ今日は対向配置か‥悲愴・・ああそうだ4楽章・・
一階の前の方で聴きたかったなぁ・・などと言う事を考えたりするわけです。
だけど聴いてみたらヴァイオリンが左右に分かれる効果よりも

悲愴でかなり重要なことをやってるコントラバスが正面にいることでスコアを眺める感じではっきり聴けて・・・
こういうのをここに書いたりするという事は、つまりいい方が勝ったという事なんでしょう
また行きたいと思うかもしれません。
実際には変な病気全く出てないわけじゃないのも感じてた。

なんでこの席をとったかと言えば直前過ぎて開いてる席が少なかった中もともとスコアを読む感じで上から俯瞰するここが好きなのと、もう一つ別な理由があった。でもそのこととかこの日もピアニストがアンコールで深遠な世界みたいな曲を聴かせてくれてる間にiPhoneの着信音が長く鳴ったりしてたことについて書き始めれば自分の嫌なところを自分で見ることになる。
当日は頭の中にその嫌なこともいっぱい並んでた。
今まで私を止めていた変な病気は克服できる気がして背景に自分もピアノをやれると思い始められたことがあるなと考えながら
指揮:阿部 加奈子 新日本フィルハーモニー交響楽団
ピアノ:三浦 謙司
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ(管弦楽版)
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
チャイコフスキー:交響曲第 6 番 ロ短調 op. 74 「悲愴」
クラシック入門みたいなコンセプトもあるらしいけどでも散々聴いてる人間もうならせるいい感じの演目がたまたま行こうと思ったところにいきなりあって席も開いていて・・これは呼ばれたかなまで書くとあほだと思われそうだけど

チャイコフスキーの悲愴私はあんまり粘る演奏が好きじゃないんだけど、速めのテンポでぐいぐい押しつつ歌うところは歌い、変にオイルレスであっさり過ぎる感じでもなくここぞというところでは脂とバターをしっかり効かせてみたいな重い響きも聴かせてくれて
ああこういうのが聴きたいと思う演奏そのままだった。ティンパニがよかったな私。
始まる前からバスクラが見えてああpppppはファゴットじゃないのねよしそこ聴いてやろうとか。この曲コントラバスに見せ場が何か所もあり、そこがまた非常にクリアに聴こえたのがよかったなぁ‥と思っていたけど拍手後に指揮者がコントラバスパートを指したら客席がどわっと涌いて、ああみんなそこ聴いてたんだなと思ったらなんか感動した。
続ければきりがないけど、

最初に第1ヴァイオリンとチェロが第2主題を歌うところ、対抗配置でチェロが第1ヴァイオリンの隣にいるからあのあたりから少し霧のかかったような何とも言えない響きが聞こえて来てあーっと思ってた。
前半のラヴェル2曲もよかった。こっちもきりがないけど

第1楽章バスドラがドン!と鳴るとピアノが第1主題を弾き出すとこ、たったそれだけだけどおもちゃ箱の中から大砲に乗り面白いものがどびだしてくるような感じがものすごく巧く行ってっておお!っと思った。
泣いてもいいかなと思った2楽章泣きはしなかったけど良かったよ木管とか
亡き王女のでは弦楽器がわざと古風な響きで弾いてるように聴こえたけど気のせいかな
このオケ以前何度か聴いていつもこんな感じというのがあったんだけど、でもいい意味でそうではなく久しぶりに来てみた人を強引に引っ張ってお前また通いだせよと言ってくれるようなものを聴かせてもらった。
オケが変わったのか、なんとなく知ってるけど避けてたかもしれないこの指揮者すごい人なのか

アンコールもよかった。それだけにあの携帯着信音が残念というか
だけどあれから2日たち、自分もほんとにひどい失敗を繰り返して生きてきたじゃないかと思うようにはなった。
そして、
100円と言われた楽器。楽器屋に行ったらなんだか腹が立ってきてやっぱり持って帰ってきちゃった。
考えてみれば私がつらい間ずっと毎日付き合てくれたんだし、忌み嫌うみたいなことを言わずに守り神だと思ってずっと手元に置いておこうか。

久しぶりに東京へ出たというより、かなり久しぶりにコンサートへ行ってきた。
この数年頭がそういうのを拒絶していたので、行こうと思っただけでも私にとっては事件。
行ってどうなるか自分でも知りたかった。

錦糸町のいいところは小田原からずーっと静かな在来線グリーン車で行けるところだけど、降りたら人がいっぱいで驚く。
30年くらい前に人のたくさんいるところへ行け気をもらうからみたいなことを本で読んだのを思い出したり。だけど出るだけじゃなく人と実際付き合わないとというのを感じちゃって後で変なの来たり

なんかどんより雲ちゃってるけど観光に来たんじゃないからいいか
ちょうど昼時なので表通りの飯屋ラーメン屋はみんな行列ができてた
裏へ回って

あーあった。
鰻1500円のランチがあるらしいことを調べてあった
中へ入ると古い内装がまたいい感じ、でも人の目を盗み写真を撮れる瞬間は来なくて

これだけ見るとご飯見えまくりじゃねーかとかだろうけど値段がすごいからいいの。なんかマグロも出てくるし
私はたくさん食べちゃいけない人なのとコンサート食らいつくように凝視してとかなので腹いっぱいになっちゃっててもいけないし。
うちわパタパタしながらの炭の煙、タレの焼ける香りもおかずになって美味しかった。
以前は開場と同時に入ってステージ上でさらってる人やハープがチューニングしてるのを眺めてると普通埋もれちゃって聴きとれないものが聴こえたりして面白いと思ってた。けれど今そんなことをしてるとおかしくなりそうなので遅めに入ろうと

思ってたのに早く開場まで少し時間があるのでプラプラする
喫茶店を2件くらい見て回って帰りにどちらか寄ろうかなとか
左は小学校で昼休みなのか子供の声が溢れてた。
子供の頃都会の小学校はグランドがコンクリートで固められてるんだよと聞いてみたいなのを思い出す。今みてもちょっと衝撃的。
結局開場と同時に入る。
スマホを見せる式のチケットが現場で表示されずみたいな落ちがちょっと頭に浮かんでたけど無事は入れて
電波シールドされてるホールの中で席番号が表示されず焦ったりして

入ってステージ上を見るとああ今日は対向配置か‥悲愴・・ああそうだ4楽章・・
一階の前の方で聴きたかったなぁ・・などと言う事を考えたりするわけです。
だけど聴いてみたらヴァイオリンが左右に分かれる効果よりも

悲愴でかなり重要なことをやってるコントラバスが正面にいることでスコアを眺める感じではっきり聴けて・・・
こういうのをここに書いたりするという事は、つまりいい方が勝ったという事なんでしょう
また行きたいと思うかもしれません。
実際には変な病気全く出てないわけじゃないのも感じてた。

なんでこの席をとったかと言えば直前過ぎて開いてる席が少なかった中もともとスコアを読む感じで上から俯瞰するここが好きなのと、もう一つ別な理由があった。でもそのこととかこの日もピアニストがアンコールで深遠な世界みたいな曲を聴かせてくれてる間にiPhoneの着信音が長く鳴ったりしてたことについて書き始めれば自分の嫌なところを自分で見ることになる。
当日は頭の中にその嫌なこともいっぱい並んでた。
今まで私を止めていた変な病気は克服できる気がして背景に自分もピアノをやれると思い始められたことがあるなと考えながら
指揮:阿部 加奈子 新日本フィルハーモニー交響楽団
ピアノ:三浦 謙司
ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ(管弦楽版)
ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調
チャイコフスキー:交響曲第 6 番 ロ短調 op. 74 「悲愴」
クラシック入門みたいなコンセプトもあるらしいけどでも散々聴いてる人間もうならせるいい感じの演目がたまたま行こうと思ったところにいきなりあって席も開いていて・・これは呼ばれたかなまで書くとあほだと思われそうだけど

チャイコフスキーの悲愴私はあんまり粘る演奏が好きじゃないんだけど、速めのテンポでぐいぐい押しつつ歌うところは歌い、変にオイルレスであっさり過ぎる感じでもなくここぞというところでは脂とバターをしっかり効かせてみたいな重い響きも聴かせてくれて
ああこういうのが聴きたいと思う演奏そのままだった。ティンパニがよかったな私。
始まる前からバスクラが見えてああpppppはファゴットじゃないのねよしそこ聴いてやろうとか。この曲コントラバスに見せ場が何か所もあり、そこがまた非常にクリアに聴こえたのがよかったなぁ‥と思っていたけど拍手後に指揮者がコントラバスパートを指したら客席がどわっと涌いて、ああみんなそこ聴いてたんだなと思ったらなんか感動した。
続ければきりがないけど、

最初に第1ヴァイオリンとチェロが第2主題を歌うところ、対抗配置でチェロが第1ヴァイオリンの隣にいるからあのあたりから少し霧のかかったような何とも言えない響きが聞こえて来てあーっと思ってた。
前半のラヴェル2曲もよかった。こっちもきりがないけど

第1楽章バスドラがドン!と鳴るとピアノが第1主題を弾き出すとこ、たったそれだけだけどおもちゃ箱の中から大砲に乗り面白いものがどびだしてくるような感じがものすごく巧く行ってっておお!っと思った。
泣いてもいいかなと思った2楽章泣きはしなかったけど良かったよ木管とか
亡き王女のでは弦楽器がわざと古風な響きで弾いてるように聴こえたけど気のせいかな
このオケ以前何度か聴いていつもこんな感じというのがあったんだけど、でもいい意味でそうではなく久しぶりに来てみた人を強引に引っ張ってお前また通いだせよと言ってくれるようなものを聴かせてもらった。
オケが変わったのか、なんとなく知ってるけど避けてたかもしれないこの指揮者すごい人なのか

アンコールもよかった。それだけにあの携帯着信音が残念というか
だけどあれから2日たち、自分もほんとにひどい失敗を繰り返して生きてきたじゃないかと思うようにはなった。
そして、
100円と言われた楽器。楽器屋に行ったらなんだか腹が立ってきてやっぱり持って帰ってきちゃった。
考えてみれば私がつらい間ずっと毎日付き合てくれたんだし、忌み嫌うみたいなことを言わずに守り神だと思ってずっと手元に置いておこうか。