ショパソ
今まで拍手コメントをくださったたくさんの方々にお返し出来てないというのがずっとあるんだけど・・
とても嬉しいです。
どうもありがとうございました。

駐車場からあの建物までゲリラ雷雨みたいなのにやられるリスクを感じながらも傘を持たずにに歩く。
めんどくさいからだけどそんなのただのあほである。
考えてみると遠出は久しぶり。実際は半日あればなところだけどそれすら。
地下道もあるけど自分が足を悪くして初めて階段のわずらわしさを知る。

向かいのあの建物にはオルガンを持ったホールがあって、あこがれ続けた本物のパイプオルガンを初めて生で聴いたのはここだった。
演奏は素晴らしかったけどオルガンについては正直妄想の中で期待が現実を超えて膨らみすぎてしまっていることを知った。
あの頃まだ慣れないから直接電話をして切符を取ろうとしたらシルバー人材センター的なおじいさんが出てきて席なんか当日でもたくさんあるからその時買えばいいんだよ!かなんか言われたのを思い出す。だそりゃと思ったけど確かに好きな席に座れた。
東京のホールに行きだしてからきてないな。

ここは音楽について書くブログのつもりだからカテゴリが作曲家の名になってて、記事の数を見るとショパンが一番多い。
私はピアノが弾けるわけではないし特別にショパンが好きなわけでもないのにそうなっちゃってるのは多分記事に合わせやすいとかそんな理由で。
でも、嫌いではないのか。
クラシック音楽を知ったのは中学二年生の時だったけれど、ショパンと言えば少女漫画に出てくるようなイメージやみんなが知っているみたいなのが気に入らず拒絶しようとした。聴くのは自分なんだから周りがどうかは全く関係ないはずでまさに中二病・・
だけど作品の魅力に打ち勝つことが出来ずすぐいろいろ聴いたし楽譜を買ってきて弾こうとした。

ショパンの音楽は時代的にあるわけないところに当たり前のように存在しているというか、だれの真似でもなく誰にも引き継げない超絶独立感というか・・実際は先人の影響を受け後世に大きな影響を残してもいるけれど・・その異様なまでの特異性が一番の特徴じゃないかと思う。
だけどあまりにも受け入れられ好まれ聞かれ弾かれあり触れすぎてしまっているためにそこが見えなくなっちゃってると思う。
あのエレベータに貼られてるあの有名な美しい肖像はよくあるあの少女漫画的なキラキラショパン像を作り出すのに一役買ってきたんだとも思うけれど、あれは精神的側面を描いたものですべてでは全然ないと思う。
私の思うショパンはもっとリアルにおっさん。若く亡くなったけれどもうすぐ加齢臭も出てくるようなおっさん。ショパンはおっさん。
で、あの肖像画も展示されていてまじかで見ることが出来た。複製とはどこにも書いてなかったから多分本物なんだろう。
肖像画なんか興味がねーんだよこっちは自筆譜を・・
ちがう。
印刷された本で見るのとは全然違う。
2次元なのに立体、絵なのに角度をちょっと変えると表情が変わって見える。
その瞳はこちらに何かを訴えかけているような・・
おそらく本人も見たんだと思うあの肖像画は、モデルがモデルだけに長い間ものすごい数の人が気持ちを入れてみてきたものだと思う。そのおかげで絵の中に魂みたいなものが入っちゃってるんじゃないのかな?

検温・消毒・・中にいる案内か見張りをしているお姉さんが機動隊みたいなフェイスガードをつけてるのがどうしても強く印象に残る。
変なこと言ってる場合じゃなく今大変ですよねみんな。
念願の自筆譜は極力照明が当たらないよう配慮されて人が前に立たない間は消灯するようなケースに入ってた。人類の宝だもんね。実際スルーな人のも多かったけど。
資料的な面白さはネットでファクシミリを見るでも十分確認できるわけで、ここに作者が間違いなく振れ、その音楽が刻まれたのか・・とかそういう感慨に浸る。
あでもやっぱりこれも実物を見ると写真で見るのとは違う印象を得る。
・・繊細で・・音楽はあんなに奔放奇抜ダイナミックなのにね。
速書きなのに一定していて読みやすいというか・・ブラームスのなんかすごいもんね。
2枚あったうちの
https://www.youtube.com/watch?v=z2na9sIkRtI
一つはこの曲の一部でこの曲あんまり好きじゃな・・
出版用清書稿だけど作者による修正が入ってたり・・
誰も来ないから何度も何度もずーっと眺めてきた。

結核を患いかなり苦しくつらいものだったらしい最後の病床で愛用していたという呼び鈴が展示されていた。
実際これに触れて・・
その横には死の床にあるショパンを囲み嘆き悲しむ多数の友人という絵。
祖国を離れ家族を持つこともなく・・とはいえ彼の周りには常に慕う人たちがあった。
中二病じゃなくて人間失格の自意識が周囲との間に壁を作・・いちばん思うところがあったのは解説文の横にあったあの挿絵かも。
長く患って亡くなっているんだから当然なのかもしれないけれどデスマスクは30代ではなく老人のようにも見えた。
ピアニストであり最大のピアノ作曲家であった彼の左手のブロンズ像はよく残してくれました的なものでしょうけど変人的にでかいらしいラフマニノフのやつみたいなびっくり感はむしろなくむしろ普通に人間だななんて思っちゃったけど。
そういえば中学の時音楽の先生が所有するその複製を見せてくれたことがあったような気がする。
死にかけた自分に希望を与えてくれたのはベートーベンだかなんか語っていた先生はクラシック音楽に興味を持った私を特別かわいがってくれていたのかもなと今は思う。
だけどあの頃そのことに気付けなかった。
いや違う、先生の期待にはこたえられない自分をあんまり見ないでみたいな変なのがあった・・
あれから33年か、先生まだ楽器できるようにならないよ。

ショパンが亡くなった歳を自分はとっくに超えていると今ふと思った。
彼のコンチェルトは大嫌いで真骨頂的な多くのマズルカは嫌いじゃないけどほんの何曲かしか聞かないままになっている。
でも時々彼の曲を聴き、楽譜を眺め、頭の中で鳴らす。
結構、好き。
いやかなり好き。
当たり前なんだろうけどこの催しは残された貴重な資料を分析することで作品解釈の新たな可能性を探るみたいなのでは全然なかった。
そんなもん行っても仕方がないかななんて思ったりもしていたけれど、多分死ぬまでポーランドに行くこともない私が彼のふれたものに近づけたことはやっぱり事件のようなものだ。
今日まで生きていてよかったと思う。
とても嬉しいです。
どうもありがとうございました。

駐車場からあの建物までゲリラ雷雨みたいなのにやられるリスクを感じながらも傘を持たずにに歩く。
めんどくさいからだけどそんなのただのあほである。
考えてみると遠出は久しぶり。実際は半日あればなところだけどそれすら。
地下道もあるけど自分が足を悪くして初めて階段のわずらわしさを知る。

向かいのあの建物にはオルガンを持ったホールがあって、あこがれ続けた本物のパイプオルガンを初めて生で聴いたのはここだった。
演奏は素晴らしかったけどオルガンについては正直妄想の中で期待が現実を超えて膨らみすぎてしまっていることを知った。
あの頃まだ慣れないから直接電話をして切符を取ろうとしたらシルバー人材センター的なおじいさんが出てきて席なんか当日でもたくさんあるからその時買えばいいんだよ!かなんか言われたのを思い出す。だそりゃと思ったけど確かに好きな席に座れた。
東京のホールに行きだしてからきてないな。

ここは音楽について書くブログのつもりだからカテゴリが作曲家の名になってて、記事の数を見るとショパンが一番多い。
私はピアノが弾けるわけではないし特別にショパンが好きなわけでもないのにそうなっちゃってるのは多分記事に合わせやすいとかそんな理由で。
でも、嫌いではないのか。
クラシック音楽を知ったのは中学二年生の時だったけれど、ショパンと言えば少女漫画に出てくるようなイメージやみんなが知っているみたいなのが気に入らず拒絶しようとした。聴くのは自分なんだから周りがどうかは全く関係ないはずでまさに中二病・・
だけど作品の魅力に打ち勝つことが出来ずすぐいろいろ聴いたし楽譜を買ってきて弾こうとした。

ショパンの音楽は時代的にあるわけないところに当たり前のように存在しているというか、だれの真似でもなく誰にも引き継げない超絶独立感というか・・実際は先人の影響を受け後世に大きな影響を残してもいるけれど・・その異様なまでの特異性が一番の特徴じゃないかと思う。
だけどあまりにも受け入れられ好まれ聞かれ弾かれあり触れすぎてしまっているためにそこが見えなくなっちゃってると思う。
あのエレベータに貼られてるあの有名な美しい肖像はよくあるあの少女漫画的なキラキラショパン像を作り出すのに一役買ってきたんだとも思うけれど、あれは精神的側面を描いたものですべてでは全然ないと思う。
私の思うショパンはもっとリアルにおっさん。若く亡くなったけれどもうすぐ加齢臭も出てくるようなおっさん。ショパンはおっさん。
で、あの肖像画も展示されていてまじかで見ることが出来た。複製とはどこにも書いてなかったから多分本物なんだろう。
肖像画なんか興味がねーんだよこっちは自筆譜を・・
ちがう。
印刷された本で見るのとは全然違う。
2次元なのに立体、絵なのに角度をちょっと変えると表情が変わって見える。
その瞳はこちらに何かを訴えかけているような・・
おそらく本人も見たんだと思うあの肖像画は、モデルがモデルだけに長い間ものすごい数の人が気持ちを入れてみてきたものだと思う。そのおかげで絵の中に魂みたいなものが入っちゃってるんじゃないのかな?

検温・消毒・・中にいる案内か見張りをしているお姉さんが機動隊みたいなフェイスガードをつけてるのがどうしても強く印象に残る。
変なこと言ってる場合じゃなく今大変ですよねみんな。
念願の自筆譜は極力照明が当たらないよう配慮されて人が前に立たない間は消灯するようなケースに入ってた。人類の宝だもんね。実際スルーな人のも多かったけど。
資料的な面白さはネットでファクシミリを見るでも十分確認できるわけで、ここに作者が間違いなく振れ、その音楽が刻まれたのか・・とかそういう感慨に浸る。
あでもやっぱりこれも実物を見ると写真で見るのとは違う印象を得る。
・・繊細で・・音楽はあんなに奔放奇抜ダイナミックなのにね。
速書きなのに一定していて読みやすいというか・・ブラームスのなんかすごいもんね。
2枚あったうちの
https://www.youtube.com/watch?v=z2na9sIkRtI
一つはこの曲の一部でこの曲あんまり好きじゃな・・
出版用清書稿だけど作者による修正が入ってたり・・
誰も来ないから何度も何度もずーっと眺めてきた。

結核を患いかなり苦しくつらいものだったらしい最後の病床で愛用していたという呼び鈴が展示されていた。
実際これに触れて・・
その横には死の床にあるショパンを囲み嘆き悲しむ多数の友人という絵。
祖国を離れ家族を持つこともなく・・とはいえ彼の周りには常に慕う人たちがあった。
中二病じゃなくて人間失格の自意識が周囲との間に壁を作・・いちばん思うところがあったのは解説文の横にあったあの挿絵かも。
長く患って亡くなっているんだから当然なのかもしれないけれどデスマスクは30代ではなく老人のようにも見えた。
ピアニストであり最大のピアノ作曲家であった彼の左手のブロンズ像はよく残してくれました的なものでしょうけど変人的にでかいらしいラフマニノフのやつみたいなびっくり感はむしろなくむしろ普通に人間だななんて思っちゃったけど。
そういえば中学の時音楽の先生が所有するその複製を見せてくれたことがあったような気がする。
死にかけた自分に希望を与えてくれたのはベートーベンだかなんか語っていた先生はクラシック音楽に興味を持った私を特別かわいがってくれていたのかもなと今は思う。
だけどあの頃そのことに気付けなかった。
いや違う、先生の期待にはこたえられない自分をあんまり見ないでみたいな変なのがあった・・
あれから33年か、先生まだ楽器できるようにならないよ。

ショパンが亡くなった歳を自分はとっくに超えていると今ふと思った。
彼のコンチェルトは大嫌いで真骨頂的な多くのマズルカは嫌いじゃないけどほんの何曲かしか聞かないままになっている。
でも時々彼の曲を聴き、楽譜を眺め、頭の中で鳴らす。
結構、好き。
いやかなり好き。
当たり前なんだろうけどこの催しは残された貴重な資料を分析することで作品解釈の新たな可能性を探るみたいなのでは全然なかった。
そんなもん行っても仕方がないかななんて思ったりもしていたけれど、多分死ぬまでポーランドに行くこともない私が彼のふれたものに近づけたことはやっぱり事件のようなものだ。
今日まで生きていてよかったと思う。
Comment
こんにちは、
「ショパン200年の肖像」行かれたのですね。
非日常的な空間で、知らぬまに刺激を受けられたと思いますが…
自筆譜とじっくり対面しているunagi さんの姿が目に浮かびます。
ショパンの肖像画に関しての言葉ですが…
『長い間ものすごい数の人が気持ちを入れてみて来た・・・・絵の中に魂みたいなものが入っちゃって・・・』
その捉え方の感性が新鮮で衝撃でした。
(美術館ガイドをしていた時も一度もそんな考えに至らなかったので参りました)
MINAさん、こんにちは
ああ、非日常世界ですね。
時間的なものか始めは混雑していたので気持ちが落ち着かず
自分で自分が嫌なおっさんだなと思っていましたが、
場が落ち着き見たいものを好きなだけ見ていられるようになりますと
時間もとまった不思議な世界ですね。
始めは肖像画なんか興味がないよなんて思っていましたが、
あの絵には特別なものを感じ、伝わると自分のなかにも何か入ってくるんですね。
変なことを書いてもしらけて読み飛ばす人が多いのではないかとも思いますが、
そこを読んでいただけで、
とてもうれしいです。
どうもありがとうございました。