Pastorale

天気もいいし柿の色が緑に映えてきれいだった。写ってないけど。
犬がまた長い散歩コースをニコニコ歩いてくれたし。
あそこではなくて家の向かいの畑はずっと腰の曲がったおばあちゃんが一人で仕切ってた。
風の強い日に大量の葉っぱを燃やして火の消えてないまま帰っちゃったりするからいつか家燃やされちゃうんじゃないかというのもあったけど、犬に挨拶をしてくれたりああ今日も来てるな・・
その畑に別な人が来てることに気付いたのはいつ頃だったか、一度も話さないけどあの人は多分娘さんとその旦那さんだろう。

このお店嫁さんが気にいっていたのに最近は変な魚が出てくるとか言い出していかなかった。
あれのことだなってのはわかるけど変な魚ではないとおもう。
最初に来た時は玄米ご飯お替りできるからね。お替り持ってくるから・・ちょっとなんていわずに食べなさいよ!みたいなおばさんがいたけれど最近見かけないしお替り自由ですよとも言われなくなった。
お替り禁止中なのでいいけど。

この席に案内されたのは初めてかな。
にぎやかな集団からちょっと離れて静かなここもいいね。
多分高校性のころから50年来のみたいな女子会がデザートを待っているところ。誰かの携帯が鳴って今お友達と会ってるところだから・・このままだと俺には友達も知人も一人もいねーみたいなことを書いちゃいそうだけどそういうの蹴散らせる元気があるうちはねとかないと。

選べる本日の魚は鰤の西京焼きでおいしかった。
手前には生ガキ・・何度か来ると多彩な季節のお皿もいくつかは毎回同じなことに気付いてくる。
なんだっていいのよおいしけりゃ。
畑の人、おばあちゃんがちょっと出られない間や野菜の世話を代行という感じだったけどどうも本格的な様相になってきた。
旦那さんは会社を定年になっているようにも見え、新しい人たちは恒久的に畑を守っていこうとしているように見える。
私には関係のないことだけど人間が嫌いすぎで家が建っちゃってそりの合わない人間がとか考えるよりのどかな畑が続いてくれた方が・・なんて書くと反感食らうかなと考えたり。

新しく明るくきれいで広いカフェというのはたくさんあるけど、妙に落ち着き気分のいい所とそうでない所があるのは何が違うのかなと今考えてみるけど正直よくわからない。
結構好きなここは土足厳禁。床はヒノキ?
スリッパとかはおいてなくて靴下で上がっていくところに思想が感じられるというか、日本人の心的な。
上がると書いたけど玄関的な段差はなくて戸を開ける前からずっと同じレベルで進むところが新鮮というか不思議というか・・
敷かれたマットがここまで靴を履いて入れるという区切を示してはくれる。
でもその後上がる感覚がないまま裸足で進んで行くところに当初若干の違和感のほか抵抗もあった。
もう慣れたけどあの段差こそが日本人の中の何かなんだとも思う。
とはいえ、自分もひざを痛めたりしますとバリアフリーの意味を一気に実感的に理解したりもして。
欧米人に限らず、うちの中でも靴を履きっぱなしな方がむしろ世界では当たり前らしいのはいいとして、フランス人は靴下を下着のようにとらえていて人前では絶対に見せず見えちゃったら下着が見えちゃってるのと同じくらいの抵抗を感じるという話をどこかで読んで印象に残った。
たまたま読んだそれが唯一の正解というわけでもないのはなんにでも共通で分かったうえで。
いまみんな気取った気分で飯食ったりしてますがこれ、フランス人が見るればみんなパンツ丸出しで飯食ってんのかなと思うとちょっと笑いそうになる。
https://www.youtube.com/watch?v=ca8H-u4nnxw
ストラヴィンスキーはロシアの人だけどあそこにとどまってるような人ではなく、フランスにいたこともあったと思う。
音大じゃなく法学部みたいなとこを出たんだったと思うけど5か国語だったかもっとだったかを読み書きし、ラヴェルによればフランス語の発音は完璧、フランスの法律にも精通し・・だったかな。
他の誰にも生み出せないような複雑な音楽をぽっと生み出したりしたこの人が同じころこんなにシンプルで牧歌的な曲を書いていたというところが面白いわけで・・これだけ聞いてこれがこの人ですよというんじゃない所が音楽出し人間だし・・
でまたこんなことを書きかけていた日帰宅すると玄関にゆずが・・
見た瞬間に向かいの畑の人がくれたものと分かった。
その際嫁さんが色々と話をしたしたようだ。
おばあちゃんのこと、ゆずも野菜もできたそばからとって行っちゃう泥棒がいること。
現場の一番近くに住んでるのは私だけど気が付かなかったな。
いろんなポケットに野菜を一杯詰め込んで不自然に歩く人、ギャーギャー言いながら人の畑の柿を盗ってく人たち、人の花を根こそぎ引っこ抜こうとしている人、いろいろ見たことがある。
前の二つは小学生くらいの子供がいて善良な家庭をもってまっとうに仕事をしている人間だと自分で信じ切っておりお前は泥棒だなんていわれれば真顔で怒りだしそうな人だった。
私もいずれ土いじり的な何かをやりたくなったりするんだろうか?
庭という程でもないわずかな空間は昔からある木が最近急にでかくなり場所を占有してしまっている。
これがある限り自分たちの好きな物を植えてというのはできないまま一生が終わっちゃうじゃないか・・なんて思ったりもするけれど、じゃあ今生きて実をつけたりする木、私を見てる気がする木を切っちまえるかというとできないな・・
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