新しいメガネとレッスン

この写真今年のじゃないけどそれよりセミが鳴いてた。
初めて作った遠近両用メガネをかけてみるとまるで水中みたいだ。
見え方は少しずつ慣れていく感じがあるのはいいとしてフレームの曲げ具合がよろしくないので修正してもらおうと翌日店へ。
行ったはいいけど何度直してもらってもしっくりこないしお互い話が合わず気まずい感じになってしまい相性ものもあるかと系列の他店へ行ってみたり。
そこでふと思った。
書いても誰にも通じないだろうけど私は昔、鏡に映る自分の姿を正しく理解できず別な障害と合わせ変な気持ち悪いのがいると街中で有名になったことがある。
鏡を見ながらああ今のこれもまたおんなじ話なのかもなと思ってそこでやめた。
そういえば新しく眼鏡を作ろうと店に行けばまずいろいろとかけてみるわけで鏡も用意してくれるんだけど、試す眼鏡には度が入ってないので鏡なんか見たって何にも見えない。
みんなどうすんのかな?
どうもこうもないんだろうけど子供のころは自分が知らないだけでみんな解決法をあたりまえに持ってるんじゃないかというようなことばっかり考えていた。いろんなことが自分だけできないコンプレックスがそう思わせたと思うけれどへらへら笑いながら見えねーよなんて言えるようになったのはほんとに最近。コンプレックスが解消されたからじゃなく、歳を取ってどうでもよくなっただけ。

楽器のレッスンへと家を出るときに見えた光景。
平日の勤務後なのでレッスンは完全に夜のイメージなんだけど今は日が長いから。
それで復帰2回目のレッスンに行ってきた。
前回は復帰初回という事でご祝儀的な面もあったと思う。
でもそれじゃレッスンにならないので今回はちゃんといろいろ怒られる。
ゴミみたいな音を出すな。
アーティキュレーションを楽譜に忠実にちゃんとやること。
強弱記号を・・
あれですね、基本中の基本が何一つ全くできてないという事だけど
でもそれでいいんですよレッスンなんだから。
細かいことを書くと自分で書いたものに引きずられて変なことをし始める可能性があるので書かない。
いままで、調子が良くてさあこれからなんて思うと次の回でめちゃくちゃになってそれっきりというのの繰り返しだったからこの2回目はちょっと大事というか。
先生もそこをわかってて加減した言い方をしたのかも・・とかこういうのを考えだすのもいけないと思う。
もうやめ。
考えない。

ずっと空だったうちの譜面台に楽譜が復活。
でもまた、ずっと基礎の基礎みたいなのだけやろうと思う。
恥ずかしいが私は音を出すことに対して必死すぎて自分の音なんか聞いてる余裕が全くない。
それはほとんどすべてを放棄してるのと同じなのであって、まだまだずっと入り口いみたいなところを固めることしか・・
あと、悲しいけれど音楽を聴く耳と自分が演奏しようとする耳が同じじゃないらしい。
余裕がないんじゃなくて何も聞けない耳なんじゃないかと思うと不安になる。
なんであれ、やろうとか頑張ろうとか思えてるんだからありがたい。
やりたいことがあってありがたい。
https://www.youtube.com/watch?v=DJU51YbJeMM
ブラームスのハイドンの主題による変奏曲は別にそんなに好きでもなかったけれど、昔コンサートで聴いてたらふと琴線に触れちゃった瞬間があってそれから・・
音楽はやっぱり現場で生まれる瞬間に立ち会わないとだめだ・・と思ってるのに頭いかれてコンサートいけないんだけど。
冒頭のテーマは実はハイドンの主題じゃなかったらしいこともどうでもいいとしけどピアノ連弾版のyoutubeにあったのを聴いてたら嫁さんがそれ弾いたことがあると言い出した。
ブラームスのじゃなくてもとのコラールを昔習ってたエレクトーンでやったんだろう。
嫁さんは10年以上レッスンに通ったんだったと思うけれどいつもレッスンで楽しかった記憶は一つもないとか言う。
その嫁さんによると家に月一で来るある業者がうちの譜面台を窓越しに見つけ何かやってるんですかと話しかけてきたそうだ。
その女性はフルートのレッスンに通っていて先生がほめ上手なので楽しくてしょうがない・・だそうだ。
いろんな人がいる。私はそのいろんな人の中には入ってない気がする。
もうちょっと勝手に書くと、
三連符って音楽の基本でどこにでもあって珍しくもなんともないものだけど、ブラームスの楽譜にこれが出てくるとああブラームスだなと思わせるブラームス三連みたいなものがあると思う。
この曲もオーボエ主体の疑似古典テーマが終わってさっそくの

第1変奏冒頭からでてくるそれがああ、ブラームスだなーと思わせてくれる。

最近嫁さんが買ってきて大事にしてるもの。
視力が急に落ちたのは中学生のころでテレビもゲームも全く見なかったのでそのせいじゃない。
あの頃も学校で体を正常に動かせないことを持ってつるし上げられたりしており、困り果てたまたまあったビタミン剤を一度に大量に飲んだりしてた。
あたりまえだけどそれで体が動くわけもなく、後でそんなことをしてるとと視力障害を招くようなことをどこかで読んだりして。
またくだらないこと書いてるな。
視力と関係なく私は見たものを理解する能力にも欠陥があると思う。思うじゃないそれが私というものを作ってきた。
だけど文字は読めるし楽譜も読めるみたいだよ。
俺に楽譜が読めるわけがないとずっと思ってたけどあなたは楽譜が読めるんだから!と怒られたときちょっと嬉しかったりして。
音楽が好きなのに、音楽は敵か何かだと思ってた。
あほかてなもんでしょうけど。
楽器っていくつくらいまでやれるのかなと思うけれど70過ぎて管楽器を吹いてる人がいることを知り希望を持つ。
オケで吹きたいなんて言いませんから、時間がかかってもいいですからわたしにもやらせて。
Comment
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何事も以前と変わらず続ける事の難しさですね。
でも目標がアル事が一番の目的。
成長も倦怠も混ぜこぜにして目標に向かう姿勢が大切なのでしょう。追伸、私のブログが定期更新して、さらり流れてから ” 風にまかせて ” に引っ越しします。これからもよろしくお願いします。
マーニさん、こんにちは
最後に振り返った時に何もしなかったと思うのはさみしいですね。
ではどうするかという事でしょうか。
新しいブログですね。
よろしくお願いします。
ありがとうございました。