明るくなるには

最近は休日も飯を食ったら自転車でその辺を走り回ったりして。
どうも最近身体が変に冷房や扇風機の風に弱くなった分暑い中走り回っても苦にならなくなっちゃった?
精神的にかなり湿って下向きなとき、強い日差しに当たりちょっと体を動かすと明らかになんか心に作用する気がする。
何とかという神経伝達物質が分泌されてとか検索すればすぐ出てくるような話だろうけど、もともと人間は生きてくために昼間活動しなくちゃならなかったわけで日差しの下で張り切って活動したくなるような仕組みを持ってるんでしょね。
自分にもそういうのが少しはあるのかな。

この日は朝飯食ったら走りに行って昼めし食っても走りに行ったりして。毎日体重見てるとカレーがどうも危ない。
そんな理由でだけど炎天下を走ってたらまた気持ちが明るくなってきた。
問題はその明るい気持ちで楽器を練習すると時間の終わりころにはまた真っ暗な気持ちに戻っていることで、そんなやればやるほど自分はダメだと思い込むような練習をしてはいけないらしい。あたりまえか。
何がおかしいのかどうすればうまくいくのかを常に考え変えてみてとかやるらしいんだけど。
きっかけをつかんだような気で明るく終わっても、次で勘違いだと気づく。

今のところのどに詰まらせて死んじゃうような食べ方はしないでいてくれるみたいだけど大丈夫かな?
楽器、腹の下の方から肋骨の間を通りのどから口を経て楽器まで一直線の空洞を息が通るという感覚があったんだけどもう今全然もどってこない。
それが出来ていた時には鼻歌というかなんかの旋律を適当に口ずさんだ時にもやけに音程が安定して歌いやすく自分で驚いたりしてた。
それもまた勘違いでしかないのかもしれないし、今は歌ってみてもヘロヘロ。
https://www.youtube.com/watch?v=0HwZCPbGBDE
これ聞くと昔の夏を思い出すんだけど、思い出してもな。
あの時も暑かった。
歌も歌わず生きてきた。

この時腕がじりじりと焼けていくのがわかった。
あの林みたいなのがまだ若木だったころ、この先の線路上で電車にひかれそこなったことがあった。
たまたまふと見た建物のガラスにヘッドライトの明かりが映って、風向きか何か知らないけど電車が音もなくカーブの向こうから迫ってるのに気づき大声で騒いだ。一人がふざけて線路に自転車を入れたりしてたからあとほんの少し遅れてたら・・あの時死ななかったことには意味があるんだと思えば。
自転車で走ってると道を渡りたい場面が多々でてきて車の列が途絶えるのを待っていると結構車が止まって譲ってくれるのね。
それも横断歩道でも何でもないようなところでも。
なんかこうありがたいというか、私の感じてるより世の中は悪いところじゃないなと思う。

もらったばかりなのにまた朝戸を開けたらスイカ。
きれいなナスも。
ありがたい。
なすは嫁さんがみそ焼きにしてくれておいしかった。
スイカはまだ。
急に断捨離とか片付けとか始めたりして。
こんな風にしたいとか目標があってやりだすと楽しいよね。
今日は前から手を付けちゃいけないと思ってた本棚から何冊かを縛って持ってきた。
今は収集日とかじゃなくてもその辺に雑誌ダンボール類引き取り所が林立していて便利ね。
そして週末に何年も放置していたアナログテレビを捨てに行くことを楽しみにしている。
お金もかかるけど、なんかそれによって自分のなかの消しきれない黒いものか一生かなわない何かを打ち負かせるというような変な幻想が重なっちゃってて・・
捨てるって中毒性がありますよね。
でも気をつけないとゴミだと思って捨てたら嫁さんが口きかないとか

病気してからだろうか体がどうも変わってしまったらしく冷房や扇風機の風を寒い冷たいと思うようになってしまった。
今も隣の犬にあてた扇風機の風が冷たく寒いとか思ってる。
嫁さんが食事中に冷房を付けるのだけど寒くて。着ればいいだけだけどね。
仕事もまたあれで
日の光が足りないのかな。
また、浴びようか。
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