最後の最後に救われればそれでもいいか
真っ暗闇は終わらないけれど今急にふっと緩むタイミングが来てる。
ちょっと出かけるなら今のうちだと一人一日中車で走ってきた。
落ちれば助からないどころか数日間くらい発見もされないんじゃないかというようなところを通り・・
だけどなんか散々だったというか今日は失敗だったかなと思いつつもういいかとか言いながら山を下りて高速に乗ろうとしていた。

その最後の最後に古民家カフェを発見
ここに来るまでいろんな店に行ったけど人がいっぱいで入れないとか中の人と話ができたと思ったら今日は定休日だよといわれたとか、食ったはいいけど腹に違和感が来て焦るとか久しぶりに話ができたらと思ってたとこはお店つぶれちゃってたとか着いたら・・もういいか。

変に山深いところで何時間もかかって走ってきたルートを戻らなくちゃならない可能性に遭遇したり・・一度ほんとにあったからそういうの。
だけど幸いそれはそうならず

ここカフェといいつつ実態はオーナが自分のカレーを食べてもらいたくてしょうがないカレー屋さんらしかった。
営業中とはいえ明後日みたいな時間に甘いもん食おうと一人でやってきたおっさんをオーナーは快く迎えてくれた。
結構広いけど誰もいない店のこんな窓辺の席で
一人静かに

ティラミス。
静かだと思ってたらいい感じの音楽をかけてくれて・・
腹壊してる病人なのにティラミスなんか食っていいのかと思いつつ美味しく食っちゃった。

コーヒー飲めないから適当に頼んでみたチャイがまたおいしくてというよりこっちが主役だなという感じ。
なんかやたらにほっとするというか。
インドなんだろうけどなんかお香を連想してお寺のようなというか・・
昔通った幼稚園は寺が経営してたから時々寺へ行ったことを思い出したりして。
香りの記憶って40年以上たっても脳裏に焼き付いてるんだな。
あのころもうコンプレックス人生が始まってたけどまだ腐ってはいなかったよ。
店主も扉の向こうだし他に誰もいない中静かにいい音楽だけが流れてた。
あー、いいなーなんて声に出したりして。
食べ終わってからもしばらくゆっくりさせてもらう
全然だめだと思って終わるはずの一日がなんかすばらしくなっちゃって。
最近ちょっとまずいこと続きなので心を休めたいなんて思ってたところなので
https://www.youtube.com/watch?v=w88EIjo7lmI
キリスト教徒じゃない私はよく知らないんだけれど教会での定例儀式上必要になるんだろうひとつ前にも書いたIn dulci jubiloというコラール前奏曲を多分いろんな作曲家が書いている。
ブクステフーデという人のも有名でこれも昔ラジオで聞いて知った。
この人現役当時ものすごい名手として遠くまで名を馳せていたらしく、あのバッハが技を教わるか盗みに行ったところ夢中になってしまいみたいな話が有名。
とても有名な作曲家ではあるけど学校の音楽室に肖像画が貼ってある系な人では・・
学校の音楽室なんて書いたら嫌な連想がばぁーっと出てきちゃって気分が下がっちゃった。
今年私はある大きな心配事を抱えた挙句それが病気のトリガにもなったんじゃないかと考えてる。
その心配が現実になって絶望的危機に瀕するとそれまであった悩みもコンプレックスも問題もみんなそれどころじゃないと目の前から消えちゃうのね。
まあそりゃそうか。
それでその危機感が若干やわらぎ心に少し明るいものが・・と思ったらどっか行ってた嫌なものや自己否定感がうわぁーっと帰ってきてまたまとわりついて

まあでも、
またこんな時間を時々得られるといいなと思う。
いいなじゃなくて自分で採りに行くのか。
オーナーは帰り際までカレーがなくてごめんねとか言ってた。
とにかくとっておきのカレーを食べさせたくて仕方がないんだなーと思って。
いいよね。これっというものを持ってる人は。
かなり遠いけど、いつか来ますよカレー食いに。
しばらくの間、ネタであってもいつか行ってみようなんて書く気もしなかった。
今普通に書いたから。
ちょっと出かけるなら今のうちだと一人一日中車で走ってきた。
落ちれば助からないどころか数日間くらい発見もされないんじゃないかというようなところを通り・・
だけどなんか散々だったというか今日は失敗だったかなと思いつつもういいかとか言いながら山を下りて高速に乗ろうとしていた。

その最後の最後に古民家カフェを発見
ここに来るまでいろんな店に行ったけど人がいっぱいで入れないとか中の人と話ができたと思ったら今日は定休日だよといわれたとか、食ったはいいけど腹に違和感が来て焦るとか久しぶりに話ができたらと思ってたとこはお店つぶれちゃってたとか着いたら・・もういいか。

変に山深いところで何時間もかかって走ってきたルートを戻らなくちゃならない可能性に遭遇したり・・一度ほんとにあったからそういうの。
だけど幸いそれはそうならず

ここカフェといいつつ実態はオーナが自分のカレーを食べてもらいたくてしょうがないカレー屋さんらしかった。
営業中とはいえ明後日みたいな時間に甘いもん食おうと一人でやってきたおっさんをオーナーは快く迎えてくれた。
結構広いけど誰もいない店のこんな窓辺の席で
一人静かに

ティラミス。
静かだと思ってたらいい感じの音楽をかけてくれて・・
腹壊してる病人なのにティラミスなんか食っていいのかと思いつつ美味しく食っちゃった。

コーヒー飲めないから適当に頼んでみたチャイがまたおいしくてというよりこっちが主役だなという感じ。
なんかやたらにほっとするというか。
インドなんだろうけどなんかお香を連想してお寺のようなというか・・
昔通った幼稚園は寺が経営してたから時々寺へ行ったことを思い出したりして。
香りの記憶って40年以上たっても脳裏に焼き付いてるんだな。
あのころもうコンプレックス人生が始まってたけどまだ腐ってはいなかったよ。
店主も扉の向こうだし他に誰もいない中静かにいい音楽だけが流れてた。
あー、いいなーなんて声に出したりして。
食べ終わってからもしばらくゆっくりさせてもらう
全然だめだと思って終わるはずの一日がなんかすばらしくなっちゃって。
最近ちょっとまずいこと続きなので心を休めたいなんて思ってたところなので
https://www.youtube.com/watch?v=w88EIjo7lmI
キリスト教徒じゃない私はよく知らないんだけれど教会での定例儀式上必要になるんだろうひとつ前にも書いたIn dulci jubiloというコラール前奏曲を多分いろんな作曲家が書いている。
ブクステフーデという人のも有名でこれも昔ラジオで聞いて知った。
この人現役当時ものすごい名手として遠くまで名を馳せていたらしく、あのバッハが技を教わるか盗みに行ったところ夢中になってしまいみたいな話が有名。
とても有名な作曲家ではあるけど学校の音楽室に肖像画が貼ってある系な人では・・
学校の音楽室なんて書いたら嫌な連想がばぁーっと出てきちゃって気分が下がっちゃった。
今年私はある大きな心配事を抱えた挙句それが病気のトリガにもなったんじゃないかと考えてる。
その心配が現実になって絶望的危機に瀕するとそれまであった悩みもコンプレックスも問題もみんなそれどころじゃないと目の前から消えちゃうのね。
まあそりゃそうか。
それでその危機感が若干やわらぎ心に少し明るいものが・・と思ったらどっか行ってた嫌なものや自己否定感がうわぁーっと帰ってきてまたまとわりついて

まあでも、
またこんな時間を時々得られるといいなと思う。
いいなじゃなくて自分で採りに行くのか。
オーナーは帰り際までカレーがなくてごめんねとか言ってた。
とにかくとっておきのカレーを食べさせたくて仕方がないんだなーと思って。
いいよね。これっというものを持ってる人は。
かなり遠いけど、いつか来ますよカレー食いに。
しばらくの間、ネタであってもいつか行ってみようなんて書く気もしなかった。
今普通に書いたから。