ミドルエイジクライシスだっけ?

矢立の杉と呼ばれているこの大杉、戦国時代武士が出陣の際この樹に矢を射り戦勝を祈願したという。
結構な山の中にあって誰もいない。静かに眺める。
いらんこと言っちゃいけないけど矢を立てられた樹は痛てーなてめー!とか言って怒ってたりしなかったのかな?
うちの近くには零木に釘を打っちゃってそれを抜くまで何日も高熱が治まらなかったという人がいるし。
とはいえ、決死の覚悟を決めていた人に文句を言う気は全然ない。
覚悟と祈りを込めた矢が樹に当たんなかったらまたびっくりですよね。
はぁ?下手とか以前でしょとお供のものも泣きそう・・
誰にも通じないだろうけど私、冗談じゃなく実際そういう感じですよ。
お供のものとかはいないけど成長期にはずっとなんなのお前?みたいな中を生き、その後はそうならない場を探し選んで生きてきた。
だけど、ある日それでこのまま終わっていいのかと思っちゃた。
思ってやりだした内容は負け戦以前の連続で自分というものを何度も知らされる。どんなに神様に祈ったってそこを助けてはくれない。
でもこれでいいやなんて思ってる間に人生自体が終わることを止められたかもしれないのはわずかながらに幸いと思わないでもない。

ミドルエイジクライシスなんて言葉があることを最近知った。
40代後半になっての体や環境の変化から来るネガティブとか、人生のおしまいまでが見通せるようになったことでこんなはずじゃなかったという思いが不調をもたらし最後は鬱になるみたいなの。
今の自分を考えるとちょうどそういうとこなのかなと思ったりもするけど、でもそれはまっとうにできて来た人の話でしょと思わなくもない。
解決指南的に書いてあるもう若くないことに気付き受け入れ諦めろ楽になるからみたいなのは話としては分かるけれどこれでいいやと諦められる私が見当たりません。
幼年期からDevelopmental coordination disorderで失われた人生に対して自分なりのけりをつけないと死にきれないと思ってる。
もうそれだけ。
夜になり一人ならまたここらにしかない店を探してというところだけど、嫁さんの気分は安価系ファミレス。

ファミレスでカレイの煮つけなんて頼んだのは多分初めてだと思う。
大病を患ったことをきっかけに人生が大きく変わったという話はよく聞くけど私もこの病気をきっかけに食生活が変わったりしないかな。年齢的に体も変わってきているんだし病気が治っても今のこの感じを元に戻しちゃいけないと思っているけど。
なにしろどんだけ時間をかけてもなんにもできてない私は一つくらいできたと思うまで時間が必要。早死にするわけにはいかないんだから。
押さえてたものが止まらなくなってしまい次はどこの店で何喰おうかなんて考えてたらしばらく静かだった腹が怪しく警告してきた。
あんた調子に乗るなよ。
あんたって俺だろう。
最近ちょっと食えてる印象があってじゃあやってみようかと思いかけた楽器のことも消えた。
https://www.youtube.com/watch?v=5P8j6hnoND4
朝から頭の中でこれが鳴ってたから聴いて
マーラーの4番は天上の生活とか言って全体的にはメルヘントーンな曲でもあるけれど、第3楽章は地上の人間を言ってるんじゃないか。

止まってはくれない時間の上に載せられた人間の苦悩か嘆きみたいなものが出てくるところがあって
子供のころ煮魚が苦手だった。
苦手でなくなって以降もあれば食べる程度であえて欲することもなく・・
この日の煮つけ、ヒレカツなんかよりずっと高いのになんでこのしょぼさとか文句を言いながら食べ始めたけれどだんだんおいしくなってきて最後はもう少し食べたいなと思いながら終わった。
いまごろやっとわかった世界。
もう一つ知りたい世界があるんだけどあきらめなくてもいいでしょ。