居心地のいい場所を探すと疎外感が返ってくることがある
コメントくださった方々ありがとうございます。
お返事出来てなくてごめんなさい。
細かいことは書けないのだけど話が通らないので書くと、この先に想定されていた最悪な展開をなんとか回避できる見通しが立ってきた。
唐突な好転はまるでモーゼがなんか言ったら海が割れた話のようでもあったけれど実際はそんな奇跡じゃなく具体的にいろいろとやっ・・
冷静になればまだ終わった訳では全然ないしめでたく喜んでいる話でもないとは思う。
けれど少なくともこの日ちょっと軽くなった気持ちと幸い変に傷まない体で嫁さんと出かけることができた。

家からそこそこ遠いところで水力発電所への導水路だろう明治からの水道橋が今も現役、もう100年以上の美しい意匠も含めなんだかいいですね。
変に観光目玉にされてないところがまたいいんじゃないか
といいつつ

すぐそばにはカフェ。
店の外観も中身もコンセプトみたいなのもインスタ映えという感じ。
休日はきっとおしゃれ人間で混雑し私の近寄れるところじゃないと思う。
水道橋が目の前に見えるあの席がいいかなと思ったけど嫁さんが狭くていやだというので

古民家カフェも見飽きるくらい見たけど古工場を改装したカフェはまた多くここはそれ系かな?
古い鉄サッシには工業化以前という感じの全然平面が出てなくてぼこぼこなガラスが。
景色も歪んで見えておもしろいけどこのガラスオリジナルなのかな?
ちょっと開いた窓から川の水音が聞こえるのがまたいいかな。

テーブルの上にはよく見るアクリル板じゃなくて多分古い障子から抜き出したガラス
向こうは肉を使わないタコライスだっけ、私のはこういうとこにありがちなカレー。
いつもならこの量でこの値段?と言うとこだけど量が食えない病人に都合がいいと思いながら来たから。
ここはどちらかというとスムージーとか自家製ケーキかパンみたいなのが充実してるから飯よりそっちのがよさそうかな。
またいつか一人できてあの席でぼーっとしたいななんてこの時は思ってた。
この時はって余計ですね、ここは多分多くの人にとって素晴らしいお店。

食べてると日の光が移動してくる。
危うい人には大事なんですよ日の光。
この日は自分の楽しみと半分嫁さん孝行なつもりがあった
ここで甘いものを食べてもいいけどせっかく遠くまで来てるんだからもう一軒別なところに行こうとまとまる。
途中別な場所を挟んで全然違う方面へ移動し、

新しいのかレビューが一件しかついてないカフェがあったので行ってみた。
あとでわかったけど今年できたばかりでコロナによる休止を挟みやっとこれからというところらしい。
それよりお寺に併設の葬儀屋が事務所での二階でやってるという。

あのテラス席がいいなと思ったけどまたしても嫁さんがいやだというので中で。
お客さんは誰もいないけどお店の人は感じがよく

アップルパイとフラットホワイトだったかな?
コーヒー系はダメだと思いつつ紅茶じゃなく頼んじゃった。
美味しくないわけがないでしょうねこれなら。腹に穴の開いたおっさんだけど食っちゃうよ。
お店の人は今風の青年という感じだけど笑顔で話しかけてくれて。
ひそかに存在する寺のカフェとかいいなと思ってたけどできてすぐテレビの取材がありかなりの反響があったそうだ。
休日は結構な人だそうだし、いよいよこれからというところ
いいですね。
反面、ああここもまた自分は来れない感じになっちゃうのかなと若干寂しく
そんなお店がほかにもあって。

これは嫁さんの。
すごくいい日になったでいいはずなのにまた自己否定感みたいなのが出てきて自分が楽しかったとか思ったり書いてちゃおかしいような気がしてた。
このあと自分には居場所がないみたいなことを書いた挙句になんでそうなっちゃってるかとかそれでどうしようとしていてどうなってるのかを書こうとして・・元の自分に戻っただけかな
けどやめる。
久しぶりに音楽を聴こうという気になって
https://www.youtube.com/watch?v=jFFXtKYABDk
居心地のいい場所が部屋にこもって音楽だけというんじゃ困るけど。
跳躍どうこうとかは自分が弾くわけじゃないからというのもあるけど、8分の7拍子とかいいですね。
この曲戦争に強く結びついているということだけど繰り返すベースの音型とか、工業化、近代化、機械化・・なんかそういう
私は、終わってはいないと思うけれどまだ何一つ達成されていないのである。
そこをどうしたいのかやそのためになにができて何をするのか・・さえ奪われてしまうかことを一時は考えたけれど
そうならないで済むかもしれないという希望も得られたから。
ただまた全然だめじゃんかな自分がもどってきて続くんだけど。

お寺だから。仏さまと
お返事出来てなくてごめんなさい。
細かいことは書けないのだけど話が通らないので書くと、この先に想定されていた最悪な展開をなんとか回避できる見通しが立ってきた。
唐突な好転はまるでモーゼがなんか言ったら海が割れた話のようでもあったけれど実際はそんな奇跡じゃなく具体的にいろいろとやっ・・
冷静になればまだ終わった訳では全然ないしめでたく喜んでいる話でもないとは思う。
けれど少なくともこの日ちょっと軽くなった気持ちと幸い変に傷まない体で嫁さんと出かけることができた。

家からそこそこ遠いところで水力発電所への導水路だろう明治からの水道橋が今も現役、もう100年以上の美しい意匠も含めなんだかいいですね。
変に観光目玉にされてないところがまたいいんじゃないか
といいつつ

すぐそばにはカフェ。
店の外観も中身もコンセプトみたいなのもインスタ映えという感じ。
休日はきっとおしゃれ人間で混雑し私の近寄れるところじゃないと思う。
水道橋が目の前に見えるあの席がいいかなと思ったけど嫁さんが狭くていやだというので

古民家カフェも見飽きるくらい見たけど古工場を改装したカフェはまた多くここはそれ系かな?
古い鉄サッシには工業化以前という感じの全然平面が出てなくてぼこぼこなガラスが。
景色も歪んで見えておもしろいけどこのガラスオリジナルなのかな?
ちょっと開いた窓から川の水音が聞こえるのがまたいいかな。

テーブルの上にはよく見るアクリル板じゃなくて多分古い障子から抜き出したガラス
向こうは肉を使わないタコライスだっけ、私のはこういうとこにありがちなカレー。
いつもならこの量でこの値段?と言うとこだけど量が食えない病人に都合がいいと思いながら来たから。
ここはどちらかというとスムージーとか自家製ケーキかパンみたいなのが充実してるから飯よりそっちのがよさそうかな。
またいつか一人できてあの席でぼーっとしたいななんてこの時は思ってた。
この時はって余計ですね、ここは多分多くの人にとって素晴らしいお店。

食べてると日の光が移動してくる。
危うい人には大事なんですよ日の光。
この日は自分の楽しみと半分嫁さん孝行なつもりがあった
ここで甘いものを食べてもいいけどせっかく遠くまで来てるんだからもう一軒別なところに行こうとまとまる。
途中別な場所を挟んで全然違う方面へ移動し、

新しいのかレビューが一件しかついてないカフェがあったので行ってみた。
あとでわかったけど今年できたばかりでコロナによる休止を挟みやっとこれからというところらしい。
それよりお寺に併設の葬儀屋が事務所での二階でやってるという。

あのテラス席がいいなと思ったけどまたしても嫁さんがいやだというので中で。
お客さんは誰もいないけどお店の人は感じがよく

アップルパイとフラットホワイトだったかな?
コーヒー系はダメだと思いつつ紅茶じゃなく頼んじゃった。
美味しくないわけがないでしょうねこれなら。腹に穴の開いたおっさんだけど食っちゃうよ。
お店の人は今風の青年という感じだけど笑顔で話しかけてくれて。
ひそかに存在する寺のカフェとかいいなと思ってたけどできてすぐテレビの取材がありかなりの反響があったそうだ。
休日は結構な人だそうだし、いよいよこれからというところ
いいですね。
反面、ああここもまた自分は来れない感じになっちゃうのかなと若干寂しく
そんなお店がほかにもあって。

これは嫁さんの。
すごくいい日になったでいいはずなのにまた自己否定感みたいなのが出てきて自分が楽しかったとか思ったり書いてちゃおかしいような気がしてた。
このあと自分には居場所がないみたいなことを書いた挙句になんでそうなっちゃってるかとかそれでどうしようとしていてどうなってるのかを書こうとして・・元の自分に戻っただけかな
けどやめる。
久しぶりに音楽を聴こうという気になって
https://www.youtube.com/watch?v=jFFXtKYABDk
居心地のいい場所が部屋にこもって音楽だけというんじゃ困るけど。
跳躍どうこうとかは自分が弾くわけじゃないからというのもあるけど、8分の7拍子とかいいですね。
この曲戦争に強く結びついているということだけど繰り返すベースの音型とか、工業化、近代化、機械化・・なんかそういう
私は、終わってはいないと思うけれどまだ何一つ達成されていないのである。
そこをどうしたいのかやそのためになにができて何をするのか・・さえ奪われてしまうかことを一時は考えたけれど
そうならないで済むかもしれないという希望も得られたから。
ただまた全然だめじゃんかな自分がもどってきて続くんだけど。

お寺だから。仏さまと