いろんな人とお坊さんと、モモが助けてくれる
初霜の下りた風の強い日だったから、これから風の強い日や初霜を見るたびに思い出すようになるのかもしれません。
いつかは必ず来るものだからとか時間が解決してくれるからと自分に言い聞かせてはみるけれど、あまりにも近すぎて全然受け入れられない。
いろんな記憶が次々に押し寄せてきて、それが何気ないものであればあるほど
もう2度と見られないんだという思いが私を締め付ける。
耐えられない状況から逃げるために走り書きをして、コメント欄をどうするかも忘れて投稿したした記事に思いがけずたくさんの方からいただけたコメントに救っていただいています。
どうもありがとうございます。
モモは、いろんなことを全部察してみんなわかってた。きっといただいたコメントも私の目を通じて届いているはずだと思っています。
もう10年ほど前になると思いますがモモは胸にできた腫瘍を泊りがけの手術で取ってもらったことがありました。
病院に預けて家へ帰り玄関を開ける。
飛び出してくるはずのものが目に入らず足音の聴こえない静かな家というものに衝撃を受け嫁さんと二人でいないよ!と騒いだのを覚えてる。
いつかほんとにその日が来たら俺は耐えられないかもしれないなと思ったのも覚えてるけれど、今がその時なのか。
手を伸ばせばいつも必ずそこに会ったあの毛むくじゃらに障ることが出来ず、優しい瞳は家のどこを探しても見つからない。
これももう10年くらいになるのか私が思わずいじけたようなため息をついた時にいきなり何かがパンチをしてきた。
見るとモモが強い目で見上げ、私がいるから!と言っているのが目に入る。その後私の膝の上に乗ろうとして・・
そしてその通り、ずっとそばにいてくれて私がふさぎ込むと上に乗っかってくれた。
モモは病院というものを理解していたと思う。
用足しで出た外から帰ると私に不調を訴える。部屋へ戻ることをせず外へ出るそぶりを見せ続け、病院行く?の問いかけに表情で答えた・・彼女はなくなって以降もこの強い記憶となって私の中に残り、あの時病院へ行かなければもう少し長くそばにいる時間を過ごせたのではないかと自分を責め始めた私にそうではないよ!と訴えかけてくれる。
モモを病院に連れて行こうと思ったときは注射を打ってもらい薬をもらって帰るくらいのつもりだったし、診察室の中でも突然来てしまったその時の直前までそう思っていた。
突然すぎて悲しみが追い付けず、その時はむしろ冷静でいられた。
10年前か手術の後に小さくしっぽを振るモモを抱えて帰ったことを覚えてる。
まだ暖かいけれどもう動かないモモと一緒にうちに帰り、部屋に寝てもらう。
出先から帰宅していた嫁さんは察して覚悟もしていたかもしれない。最初は冷静だったけれどその後声を上げて泣き崩れていた。
嫁さんが一緒に寝てあげようというので二人で2階から布団を下ろしてきて敷き、この夜は一緒に寝た。
翌朝お寺へ電話をし、火葬供養をお願いする。
預かり犬には何も言わないけれどすべてわかっていて、車に乗せるため窓の外からモモを抱きかかえたときには悲鳴のような声を上げた。
車にベットを置きその上に置いたモモを何度も撫でて。
お経をあげてもらい火葬をしてもらって、小さくなってしまったモモを拾い上げているときお坊さんと話をした。
突然だったという人の方が多いと聞くと、私の中にあったどうしてこうなってしまったのか?何かが間違っていたのではないかという気持ちがすこし救われる。
見ていれば、たったひとり直接の主人が誰なのかはわかるという。
人間のお葬式よりもはるかに悲しんでいる人がいて。
まったくもって同感です。
一心同体以上だもんね。

もう、いない。
ピッタリな桃色の入れ物に入って帰ってきたモモを私の定位置すぐそばに置き、しばらくすると睡魔に襲われ寝てしまった。
起きて何気なく鏡を見ると私の口にモモの毛が挟まっている。
なんでこんなところにと思うよりも前にこれはモモからのメッセージだと思った。
もーちゃんありがとう。
嫁さんが時々大丈夫?と声をかけてくれる。
大丈夫じゃないように見えるのかもしれない。
元気な写真をここに貼ろうと初めは思っていたけれど、今写真を見るとつらくそれはできなくなってしまった。
大量の写真を見返せるのは、もう少し後になるかもしれません。
いろんな方が声をかけてくださる通り、私もいつかモモに会えると信じています。
最初に迎えに来てくれるのは彼女だと信じてる。
おかけで死ぬのが怖くなくなった。
でもまだ全然死にたくないけど。
今日で3日目か。涙が出始めたのは3日目からだ。
聞き間違いでも気のせいでもいいのだけど、小さな足音が聞こえたのはここにいるよと
もーちが教えてくれているんだと思った。
もーさんが見ててくれるんだから、また明るく生きていける日が来るだろうと思う。
夜居眠りしてるとあんた早く風呂入んなさいよと吠えながら頭突ききをして起こしてくれることがあった。
今、コメントくださった方にちゃんとお礼をして回ってねと言われてる気もする。
はい。
もーちゃん。
いつかは必ず来るものだからとか時間が解決してくれるからと自分に言い聞かせてはみるけれど、あまりにも近すぎて全然受け入れられない。
いろんな記憶が次々に押し寄せてきて、それが何気ないものであればあるほど
もう2度と見られないんだという思いが私を締め付ける。
耐えられない状況から逃げるために走り書きをして、コメント欄をどうするかも忘れて投稿したした記事に思いがけずたくさんの方からいただけたコメントに救っていただいています。
どうもありがとうございます。
モモは、いろんなことを全部察してみんなわかってた。きっといただいたコメントも私の目を通じて届いているはずだと思っています。
もう10年ほど前になると思いますがモモは胸にできた腫瘍を泊りがけの手術で取ってもらったことがありました。
病院に預けて家へ帰り玄関を開ける。
飛び出してくるはずのものが目に入らず足音の聴こえない静かな家というものに衝撃を受け嫁さんと二人でいないよ!と騒いだのを覚えてる。
いつかほんとにその日が来たら俺は耐えられないかもしれないなと思ったのも覚えてるけれど、今がその時なのか。
手を伸ばせばいつも必ずそこに会ったあの毛むくじゃらに障ることが出来ず、優しい瞳は家のどこを探しても見つからない。
これももう10年くらいになるのか私が思わずいじけたようなため息をついた時にいきなり何かがパンチをしてきた。
見るとモモが強い目で見上げ、私がいるから!と言っているのが目に入る。その後私の膝の上に乗ろうとして・・
そしてその通り、ずっとそばにいてくれて私がふさぎ込むと上に乗っかってくれた。
モモは病院というものを理解していたと思う。
用足しで出た外から帰ると私に不調を訴える。部屋へ戻ることをせず外へ出るそぶりを見せ続け、病院行く?の問いかけに表情で答えた・・彼女はなくなって以降もこの強い記憶となって私の中に残り、あの時病院へ行かなければもう少し長くそばにいる時間を過ごせたのではないかと自分を責め始めた私にそうではないよ!と訴えかけてくれる。
モモを病院に連れて行こうと思ったときは注射を打ってもらい薬をもらって帰るくらいのつもりだったし、診察室の中でも突然来てしまったその時の直前までそう思っていた。
突然すぎて悲しみが追い付けず、その時はむしろ冷静でいられた。
10年前か手術の後に小さくしっぽを振るモモを抱えて帰ったことを覚えてる。
まだ暖かいけれどもう動かないモモと一緒にうちに帰り、部屋に寝てもらう。
出先から帰宅していた嫁さんは察して覚悟もしていたかもしれない。最初は冷静だったけれどその後声を上げて泣き崩れていた。
嫁さんが一緒に寝てあげようというので二人で2階から布団を下ろしてきて敷き、この夜は一緒に寝た。
翌朝お寺へ電話をし、火葬供養をお願いする。
預かり犬には何も言わないけれどすべてわかっていて、車に乗せるため窓の外からモモを抱きかかえたときには悲鳴のような声を上げた。
車にベットを置きその上に置いたモモを何度も撫でて。
お経をあげてもらい火葬をしてもらって、小さくなってしまったモモを拾い上げているときお坊さんと話をした。
突然だったという人の方が多いと聞くと、私の中にあったどうしてこうなってしまったのか?何かが間違っていたのではないかという気持ちがすこし救われる。
見ていれば、たったひとり直接の主人が誰なのかはわかるという。
人間のお葬式よりもはるかに悲しんでいる人がいて。
まったくもって同感です。
一心同体以上だもんね。

もう、いない。
ピッタリな桃色の入れ物に入って帰ってきたモモを私の定位置すぐそばに置き、しばらくすると睡魔に襲われ寝てしまった。
起きて何気なく鏡を見ると私の口にモモの毛が挟まっている。
なんでこんなところにと思うよりも前にこれはモモからのメッセージだと思った。
もーちゃんありがとう。
嫁さんが時々大丈夫?と声をかけてくれる。
大丈夫じゃないように見えるのかもしれない。
元気な写真をここに貼ろうと初めは思っていたけれど、今写真を見るとつらくそれはできなくなってしまった。
大量の写真を見返せるのは、もう少し後になるかもしれません。
いろんな方が声をかけてくださる通り、私もいつかモモに会えると信じています。
最初に迎えに来てくれるのは彼女だと信じてる。
おかけで死ぬのが怖くなくなった。
でもまだ全然死にたくないけど。
今日で3日目か。涙が出始めたのは3日目からだ。
聞き間違いでも気のせいでもいいのだけど、小さな足音が聞こえたのはここにいるよと
もーちが教えてくれているんだと思った。
もーさんが見ててくれるんだから、また明るく生きていける日が来るだろうと思う。
夜居眠りしてるとあんた早く風呂入んなさいよと吠えながら頭突ききをして起こしてくれることがあった。
今、コメントくださった方にちゃんとお礼をして回ってねと言われてる気もする。
はい。
もーちゃん。
Comment
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unagiさんの思い出話に泣きました。
主のいなくなったベッドの写真で泣きました。
お気持ちお察し致します。
でも、まだモモちゃんは傍にいますよ。
飼い主がしっかりできた時にそっと旅立っていきます。
きっと「頑張れよ。」と言いながら頭突きをしていると
思いますよ。
何度も読み返し胸が張り裂けそうになりました。
今が一番辛い時だと思います。
私も昔、愛犬を病気で亡くした時、同じ状態でした。
モモちゃんは、きっと側で見守ってくれてますよ。
いつものように朝はくる
でも愛する子は、そばにいない
抱っこして感じる温もりがそこにない
私もそうでした 当日よりも
小さな骨壺になってからが涙が止まりませんでした
大事な子がいなくなったという悲しみに
押しつぶされそうになるかと思います
その時は思いっきり泣きましょう
泣いて悲しみ想うことは
「想い供養」というそうです
ももさんの気配を感じませんか
すぐそばにいるんですよ
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unagiさん こんばんは
お辛い日々に,お礼をいただき恐縮しています。
ももちさんは,unagiさんが楽器の練習をなさるとき,じっと聞かれていたとのこと。
これからもお体が許す限り,練習の機会があればなさると,天国のももちさんは,きっと喜ばれると思います。
そしてunagiさんが作られた曲も聞かせていただきました。沢山のクラシック音楽に馴染まれた土台があるからか,素敵な曲が多いと感じました。
これからもunagiさんのブログを楽しみにしています。
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unagiさん
読ませていただいて、泣いてしまいました。
私は10年以上前、癌の余命宣告を受けました。犬が寄り添ってくれ、一緒に闘病してくれました。癌は完治し、今、わたしは生きています。
が、犬は11歳で亡くなりました。
お気持ち本当に分かります。奥様も、どうかお力落としの無いように…。
unagiさん、私も何度犬の毛に埋もれて泣いたかわかりません。
ピアノの下にいつもいて、先生に怒られてばかりの私を犬はいつも慰めてくれていました。
私も、一晩、犬の亡き骸と一緒に寝ました。unagiさんと同じです。
dolceさん、こんにちは
大切なお話をしてくださってありがとうございます。
dolceさんのお犬も、わたしの犬も、全身全霊と自分の生涯のすべてをかけて寄り添って一緒に生きてくれたんですよね。
他の誰にも邪魔の出来ない、奇跡の絆をもらった私たちは
幸せですよね。
どうもありがとうございました。
モモさん、こんにちは
そうですね。
私のモモさんに見せられるように生きていきます。
楽器でいまのどうだった?っと声をかけるのが夢だったのですがかないませんでした。
でもどこかで見てくれているという思いを残してくれましたので
私は頑張りたいと思います。
どうもありがとうございました。