追い出される側
子供のころに日本昔話で見た話で
寂しく捻くれたお爺さんが節分に「おにはーうち!」と叫んだところ、よそで追い出され居場所のない鬼がみんな集まってきて爺さんを囲んだどんちゃん騒ぎの楽しい宴になった・・というのがかなり好き。

昨年、水害で橋が落ちた。
これはだいぶ経ったころだけど、写真なんか撮ってると罰が当たるかなと思いながら。
この後私は憩室炎を再発し入院。
そのちょっと前も楽器が鳴らなくなって病的に焦り、腹に異常なまでの力を入れていたのを覚えている。
およそ楽器演奏の姿勢ではなく、端で見ている人がいれば頭がおかしくなったように見えただろうけどあれも病気再発に寄与したかもしれないな。
今なんでも起きてすぐからの動画がネットに上がるので見ていたら、いつ崩壊するともわからない折れ曲がったこの橋を自転車や車で渡ってるのが映りこんでいた。
え?おかしいと思わないのか?いいかげんにしとけよなんて一瞬思ったけれど、子供がやってる楽器を何年も鳴らすことができませんとか言って変なことをやっている私の方がお前ふざけるのもいい加減にしろよ!
だろうな。
楽器
私が言うのはおかしいけれど、
管楽器は楽器本体だけでなく奏者もその一部となるんだけど、その時に必要な口周りの状態をアンブシュアと呼ぶ。
そのアンブシュアが全く取得できないのが私。仕事中にこうすればいいはずだったのでは・・みたいなのが頭に浮かび、早く練習がしたいくらいの勢いで・・
結局、ちがった。
もうなにも考えずに丁寧にそっと・・行けるかなと思う感じも初めはあった。
鳴りまくりリードはしっかり鳴ったし。
途中、口で吹かずに肺の空気を吐き出すイメージで音程がまっとうになることには気づいた。
でももうそのころ・・
また全然息が持たない人に戻り、その先音って何ですか?みたいな人になって終わる。
なんであれ、明日レッスン。
もう何年もたつのに毎回毎回教えても教えても音もだせないような状態で帰ってくる人間に対して、先生がどう感じなにを思うのか・・なんていちいち考えなくても気持ちはその先へ飛ぶ。
でも、逃げてどうなるわけでもないし
行ってきます。
寂しく捻くれたお爺さんが節分に「おにはーうち!」と叫んだところ、よそで追い出され居場所のない鬼がみんな集まってきて爺さんを囲んだどんちゃん騒ぎの楽しい宴になった・・というのがかなり好き。

昨年、水害で橋が落ちた。
これはだいぶ経ったころだけど、写真なんか撮ってると罰が当たるかなと思いながら。
この後私は憩室炎を再発し入院。
そのちょっと前も楽器が鳴らなくなって病的に焦り、腹に異常なまでの力を入れていたのを覚えている。
およそ楽器演奏の姿勢ではなく、端で見ている人がいれば頭がおかしくなったように見えただろうけどあれも病気再発に寄与したかもしれないな。
今なんでも起きてすぐからの動画がネットに上がるので見ていたら、いつ崩壊するともわからない折れ曲がったこの橋を自転車や車で渡ってるのが映りこんでいた。
え?おかしいと思わないのか?いいかげんにしとけよなんて一瞬思ったけれど、子供がやってる楽器を何年も鳴らすことができませんとか言って変なことをやっている私の方がお前ふざけるのもいい加減にしろよ!
だろうな。
楽器
私が言うのはおかしいけれど、
管楽器は楽器本体だけでなく奏者もその一部となるんだけど、その時に必要な口周りの状態をアンブシュアと呼ぶ。
そのアンブシュアが全く取得できないのが私。仕事中にこうすればいいはずだったのでは・・みたいなのが頭に浮かび、早く練習がしたいくらいの勢いで・・
結局、ちがった。
もうなにも考えずに丁寧にそっと・・行けるかなと思う感じも初めはあった。
鳴りまくりリードはしっかり鳴ったし。
途中、口で吹かずに肺の空気を吐き出すイメージで音程がまっとうになることには気づいた。
でももうそのころ・・
また全然息が持たない人に戻り、その先音って何ですか?みたいな人になって終わる。
なんであれ、明日レッスン。
もう何年もたつのに毎回毎回教えても教えても音もだせないような状態で帰ってくる人間に対して、先生がどう感じなにを思うのか・・なんていちいち考えなくても気持ちはその先へ飛ぶ。
でも、逃げてどうなるわけでもないし
行ってきます。