逃げるつもりだった
いま、朝。
外で鶯がかわいく鳴いているけれど昨夜ものすごい音を立てて雨が降ったことを思い出し、あんなにちっちゃいのに大変だったんじゃないかなんてことを考える。
でも、誰かに同情して深く感情移入したはいいけど実はその人なんのダメージも受けてなんかなかったということがよくあるし、声を掛けたら逆に馬鹿にしたような反応が返ってきたことがあったのを思い出す。

とあるお店で
場所柄らしくシューベルトみたいな外人の店員さんは何を言ってもリアクションが薄すぎでえ?っと思ったけど、なんかすごく必死な感じにまだ慣れないのかなとか。
まずこれが来るはいいけど嫁さんのアイスコーヒーにあとから来るのかと思ったストローもガムシロも何にもくる気配がない。
そういうのもありなのかなと思ったけど嫁さんが文句を言い始めたのですみませんシロップとかないですか?というと、
ガムシロだけ一つ持ってきて置いて行った。
ブログネタになるなと思いながらすみませんストローとかミルクとか・・
今度は別な人がストローだけ置いてゆく
すみません、ミルクありませんか?
場所的に曜日や時間次第ではかなり混むんだろうけどこの時他にお客もいないし静かだったので気分は悪くなかった。
書かない方がいいことがいくつかあると思ってるけれど、結論的に私は人がいなけりゃどこでもみんないいお店
それでいいとは思ってなくて、それを治したい一環でやってるのが楽器
と言ってみてもはぁ?みたいな人のが多いかなとは思うけれど。

観光地価格というのがあるけれど観光地サイズだなと思った銀杏のタルトはでもおいしかった。
あんまり食べちゃいけない私にとってはちょうどいいサイズかなと自分に言い聞かせ。
練習すると変になるから練習しないなんて思ったけれどそれじゃどうにもならないので出かける前にちょっと楽器をやってきた。
いつもと同じじゃだめなのでやると変になる基礎連を無視しダメなままいきなり曲をやってみる。
案の定めちゃくちゃで話にならず、癇癪をを起こして思い切り息を吹き込んでみたところ変な音がするどころか一切息が入らずというところでまたやたらに力をかけて口を締める病に陥ってることに気づく。
気付けば治る人は普通にできるんだろうけど、じゃあ緩めればいいかというと緩めたら緩めたで変になり始める。
そういうものはいくらでもあってふつうは何年もやってりゃ何も考えなくてもいいところをつかんでできるようになるのが人間で
愚痴っても仕方がないのでやってるとできなかったものが出来たような気がしては来る。
他人に言わせればそれできてませんよなんだろうけど
もういいやこれ続けようと思ったところで出てきた。

嫁さんのチョコケーキはただペーストという感じでそこだけ見るとちょっとぼったくり感が
でもここ有名な寺の門前町みたいなところで行ってきたその後にというところだからこれでいいんだと思う。
初めに行ったこの15キロくらい手前のカフェがやってなくて、もうここに行かないなら次の店にたどり着くころはどこも閉店時間だなというそんな感じだったこの日。
寺にはいかずただ食べて終わる私たちのがおかしいよなと思いながら

この後よせばいいのにちょっと荒れ気味な山道を延々走った。
どこか遠くへ行きたいという強い思いに支配されていたけれど、ちょっと走ったのと楽器ちょっと練習しようと思えたのとでそれはどうも消えてくれた。
嫁さんも気晴らしになったかもしれずまあよかったのか。
楽器もまた練習すればめちゃくちゃでうんざりし投げ出したくなるのかもしれないけれど、
今日そう思えてるんならそれでいいか。
https://www.youtube.com/watch?v=0vPHr7Yt5t4
この日これ聴いて
悲劇的序曲と対になる大学祝典序曲だけど、こっちは昔から軽い感じがしてどうもあんまり好きになれなかった。
フェスティヴァルオーヴァーチュアだからそれでいいんだろうけど、というか久しぶりに聴いてみれば意外にいい曲というかいつものブラームスならやんないようなことがちりばめられていたりなかなかよかったというか。
これももう聴いて35年くらいか。
聞くばかりでやれずに終わった35年

鹿は家の隣にも降りてきたりするのでそんなに珍しくもない。でもかわいいね。
モモさんが歳食っちゃってその辺の道端におしっこをするようになったら鹿ももしかすると猪も来なくなったような気がちょっとだけするけどどうなのかな。
もーさんに会いたいわ。
さらにカモシカにもあってちょっとおっと思う。
カモシカの足とか言う言葉があったと思うけどカモシカってなんかもっさりしてますよね
飛び跳ね逃げてゆく鹿と違いゆっくり歩いてえー?みたいに振り返ってた。
逃げなくていいかと思った日。
正直今ここは翌日で、どうなったかも知っているんだけど。
外で鶯がかわいく鳴いているけれど昨夜ものすごい音を立てて雨が降ったことを思い出し、あんなにちっちゃいのに大変だったんじゃないかなんてことを考える。
でも、誰かに同情して深く感情移入したはいいけど実はその人なんのダメージも受けてなんかなかったということがよくあるし、声を掛けたら逆に馬鹿にしたような反応が返ってきたことがあったのを思い出す。

とあるお店で
場所柄らしくシューベルトみたいな外人の店員さんは何を言ってもリアクションが薄すぎでえ?っと思ったけど、なんかすごく必死な感じにまだ慣れないのかなとか。
まずこれが来るはいいけど嫁さんのアイスコーヒーにあとから来るのかと思ったストローもガムシロも何にもくる気配がない。
そういうのもありなのかなと思ったけど嫁さんが文句を言い始めたのですみませんシロップとかないですか?というと、
ガムシロだけ一つ持ってきて置いて行った。
ブログネタになるなと思いながらすみませんストローとかミルクとか・・
今度は別な人がストローだけ置いてゆく
すみません、ミルクありませんか?
場所的に曜日や時間次第ではかなり混むんだろうけどこの時他にお客もいないし静かだったので気分は悪くなかった。
書かない方がいいことがいくつかあると思ってるけれど、結論的に私は人がいなけりゃどこでもみんないいお店
それでいいとは思ってなくて、それを治したい一環でやってるのが楽器
と言ってみてもはぁ?みたいな人のが多いかなとは思うけれど。

観光地価格というのがあるけれど観光地サイズだなと思った銀杏のタルトはでもおいしかった。
あんまり食べちゃいけない私にとってはちょうどいいサイズかなと自分に言い聞かせ。
練習すると変になるから練習しないなんて思ったけれどそれじゃどうにもならないので出かける前にちょっと楽器をやってきた。
いつもと同じじゃだめなのでやると変になる基礎連を無視しダメなままいきなり曲をやってみる。
案の定めちゃくちゃで話にならず、癇癪をを起こして思い切り息を吹き込んでみたところ変な音がするどころか一切息が入らずというところでまたやたらに力をかけて口を締める病に陥ってることに気づく。
気付けば治る人は普通にできるんだろうけど、じゃあ緩めればいいかというと緩めたら緩めたで変になり始める。
そういうものはいくらでもあってふつうは何年もやってりゃ何も考えなくてもいいところをつかんでできるようになるのが人間で
愚痴っても仕方がないのでやってるとできなかったものが出来たような気がしては来る。
他人に言わせればそれできてませんよなんだろうけど
もういいやこれ続けようと思ったところで出てきた。

嫁さんのチョコケーキはただペーストという感じでそこだけ見るとちょっとぼったくり感が
でもここ有名な寺の門前町みたいなところで行ってきたその後にというところだからこれでいいんだと思う。
初めに行ったこの15キロくらい手前のカフェがやってなくて、もうここに行かないなら次の店にたどり着くころはどこも閉店時間だなというそんな感じだったこの日。
寺にはいかずただ食べて終わる私たちのがおかしいよなと思いながら

この後よせばいいのにちょっと荒れ気味な山道を延々走った。
どこか遠くへ行きたいという強い思いに支配されていたけれど、ちょっと走ったのと楽器ちょっと練習しようと思えたのとでそれはどうも消えてくれた。
嫁さんも気晴らしになったかもしれずまあよかったのか。
楽器もまた練習すればめちゃくちゃでうんざりし投げ出したくなるのかもしれないけれど、
今日そう思えてるんならそれでいいか。
https://www.youtube.com/watch?v=0vPHr7Yt5t4
この日これ聴いて
悲劇的序曲と対になる大学祝典序曲だけど、こっちは昔から軽い感じがしてどうもあんまり好きになれなかった。
フェスティヴァルオーヴァーチュアだからそれでいいんだろうけど、というか久しぶりに聴いてみれば意外にいい曲というかいつものブラームスならやんないようなことがちりばめられていたりなかなかよかったというか。
これももう聴いて35年くらいか。
聞くばかりでやれずに終わった35年

鹿は家の隣にも降りてきたりするのでそんなに珍しくもない。でもかわいいね。
モモさんが歳食っちゃってその辺の道端におしっこをするようになったら鹿ももしかすると猪も来なくなったような気がちょっとだけするけどどうなのかな。
もーさんに会いたいわ。
さらにカモシカにもあってちょっとおっと思う。
カモシカの足とか言う言葉があったと思うけどカモシカってなんかもっさりしてますよね
飛び跳ね逃げてゆく鹿と違いゆっくり歩いてえー?みたいに振り返ってた。
逃げなくていいかと思った日。
正直今ここは翌日で、どうなったかも知っているんだけど。