疎外感と命日

今日は私のモモの命日。
初霜が降りた日の風が強く寒い夜でした。
今朝は霜は降りず小さいながら朝顔が花を咲かせて見せてくれた。
一昨日、嫁さんに押される感じでクラシック音楽をアナログ盤で聴かせてくれる喫茶店へ行った。本当は思うところがあって気乗りしないのだけど
入ってすぐ若干強い感じで何名様ですか?でも次の瞬間でマスターは私と気づいてくれたらしくさっそく装置を動かす準備をしてくれて
ずっといると解るけどどのお客さんに対してもやることじゃないそれは疎外感人間みたいなのにとって何よりもうれしい事なんだけど

以前口が滑ってクラリネットを習いに行ってるんですなんて言っちゃったことは関係ないんだろうけど流れだしたのはベートーヴェンの7重奏曲。いきなりクラリネットのソロが続く。
正直つらく、できれば聴きたくない。
拒絶反応が出ているのに音楽自体は素晴らしい事を感じるのがまたつらい。
この先この頭は自分にとって何より大事だったものを拒否しようとし続けるかもしれないことを悟る。
音楽や人間を好きだと思い近づきたいと思ったこの数年、結局また遠ざけ塞いだだけじゃないか
こんなことを言っても誰にも通じないだろうから始まって、その間他人から何をどう言われて来たのかが頭に浮かぶ。
こういうとき、この世で唯一自分の全部を受け入れてくれる相手が
いつもすぐそばで寝そべってくれていた。
どこかに犬は命日になると帰ってくると書いてあったのを読んだ。
犬をとても大事に思う人の気持ちが伝わってきて。
けどうちのもーさんはどっか行っちゃったりしないでずっと家にいるような気がしているので帰ってくるとかそういう感じはしない。
いつもとおんなじ。

ここのウインナーコーヒーは絞りみたいなのじゃなくどばっと投入型。
飲む分にはこの方が飲みやすく、もしかすると正しいのかもしれない。
その後別な曲がかかって違う心境になる。
気が付けばふさがった心を広げられたような気がしていて音楽自体を拒絶してるわけじゃないことはわかった。
クラシック音楽なんて一言でいうけれどいろんな人間が書いたものが300年分くらいあるのでものすごく広い世界を持っている。
お前同じようなのばっか聞いてないで敬遠していた別な方向ものぞいてみろ
と言われたかはわからないけどでもそれもそうだなと思う。
心に刺さったいくつかの曲は今ここに乗せるには重すぎるので
https://www.youtube.com/watch?v=n0p0sELMPT0
なんかこれは私の中でもーちゃんのテーマ
多分、あのお店でラヴェルがかかることはないんじゃないかなあるのかな?

今も私はこのこたつでこれを書いている。
もーさんが座っているのはちょうど右手のマウスがある真上。
いつももーさんにふんづけられながらこのブログを書いてきた。
もーさん楽器変わっちゃったけど見ててください。