判決確定と控訴断念 誰もいないところからありがとう。

ある方がブログで毎日蕎麦を食べに行った話を書いてるのを見て自分も感化され
山の上の別荘地にある蕎麦屋に一人で。
場所柄都会から来たでっかい車がとまって家族連れがみたいな店なので普段は近寄らない。

だけどこの日まだ平日扱いで時間も早いし、なんでいつも俺は逃げてる側なんだよあほかと思ってみたり
その手の車は止まってないし雰囲気的に行けるかな?

いくつもある戸を開けながら入ってゆくと、この手のとこにありがちななんだお前みたいな顔を見ることもなく温かい感じでカウンター席に案内される。
とりあえず場が一人のお客も歓迎ですよと言ってるのでほっとするというか
一度来たこともあるけどねここ。
正面には窓がありその外には鳥の餌箱。きっとそのうち小鳥がたくさんやってくるんだろう見てて飽きないしねあれ

振り向けば薪ストーブに火が入っていて
ああ、いいなぁ‥来てよかったな。

前日カマス天丼食べたばかりだし病気して揚げ物自粛の身だけどせっかくだからと天せいろ
お茶はそば茶?離れたところまで届くいい香り
先に書くと、
蕎麦はおいしく思ったよりもずっと安く、あとから一人客が来たけれど静かな感じで落ち着いた音楽とファンヒーターの暖かい風と何より薪ストーブの遠赤外線効果みたいなので気持ちはほぐれとてもとてもいい気分で過ごすことが出来た。
飲んでもいないのにとてもいい気持になって・・
壁に

友と酒は古いほど良い
そうなんだろうなと思いつつ私はどちらも持ち合わせない。30数年前心を病んだ時にやめた年賀状もそれきり。
ゆっくり食べて長居をしさあというところで大騒ぎしながら入ってくる家族連れの気配
さあもう出ようと思ったけれど間にあわずはしゃぐ小さな子供が

話戻って載せる蕎麦。一口目でああ歯応えが違うさすがだなとか思う。
病気前なら足りないと思ったこの量が今はちょうどよくて
何年か前に自分の人生には子供というのがないんだと悟る日からいろいろを経て、自分を育てようと思った。
その時ピアノを習うというのもあるにはあった。楽譜を持ち出し一人で弾いてみたりもしたんだけど一人で完結してしまうということを寂しいと感じ、人と合わせる合奏の中に参加したいと思った。
30年くらい前にもそう思ってできなかった挙句に頭がいかれた経緯もあるんだけどでもそこをやり直すんだと思って。
で所属団体から逃げたり楽器を替えたり習いに行ったりして6年。
途中何かの間違いでステージに乗ってしまい指揮者と目が合い次頼むぞみたいな‥そういうのも経験しつつ
毎回人でなしみたいに罵られても絶対に自分もあの中に入りたい、諦めたくなと思い続け、
体や頭が拒否反応を起こしてもう楽器を持っていることすらできなくなるまでやって
自分の人生にそれはないんだなと
それが確定した48歳2022年でした。
始めてみたらありがたいことに動き出したピアノも人と合わせる楽器だけど、でも一人で完結する楽器でもあるわけで
結局一人なのか。

抹茶塩で食べる天ぷらも美味しかった。
こんなこと書きかけて寝たら夢を見た。
場はまたしても吹奏楽団、意外な人に思い切って話しかけている夢でまた意外な返事に・・自分の心の中に普段の考えと違うものがあることを知る。
でももう違うんだよそんなのないんだよと自分で自分に言い聞かせるそれが今年得た結論
吹奏楽のためにクラシックのオーケストラ曲を移調して簡単にしたような楽譜が出回ってよくやるものらしいんだけど、高校の時その吹奏楽部でめちゃくちゃになって統合失調症みたいになっちゃってく過程で
https://www.youtube.com/watch?v=ktS7bKjbl0g
このドボルザークの8番のフィナーレをやってる場に居合わせた。
聴くと思い出しておかしくなっちゃうので25年くらい絶対に聴いてはいけない曲だったんだけどこの数年聴けるようになって
でもまた今年ダメになっちゃったんだからまた聴けなくなっちゃったはず。
だけど今ピアノで弾いてる曲がベートーヴェンの英雄交響曲のフィナーレの主題を使っているのでまずそれが頭の中で一日中流れてしまい、同じパッサカリア的フィナーレとしてブラームスの4番を介し強く影響を受けているこのドボ8のフィナーレも頭の中で勝手に流れちゃうから。そうすると聴きたくなり
聴いてみるとやっぱり些細なフレーズの一角で記憶が呼び覚まされ病的なスイッチが入りかける。
けどそんなくだらない私と無関係にそこにある音楽がすばらしいことはわかる。
こういう流れ偶然みたいだけどなんかどこからかそうなるように操作されてるんじゃないかと思ったり。
最近突然来た契約変更通知のはがきもこの話と強く絡んでいるうえに時期的に偶然にしては・・

名前わかんないけど2種類の小鳥が入れ代わり立ち代わり来て飯食ってた。
みえないなしかし
今年はいろんな神様のところへ行った。
流行りの何とか巡りみたいなのじゃなくて、仕事や体調面でもいろいろと困ったりダメだったりしたので助けてほしかった。
あほかと思う人もいるでしょうけど、私は助けていただけたと思っています。

正直に言えばクラリネットはやる前からダメかもしれないと思っていたし初めてすぐこれはダメだなと思ってもいた。
始める前に幻影みたいなものが見え神様がお前あれやってみろと言ってると思ったこともあったんだけど、神様出来ないものをなぜ?とは思わない。
お前できないにしろそれを自分で気が済むまで確かめないと死ぬとき後悔で腐るぞという事だと思う。
ピアノに行く時にも幻影幻聴みたいなものがあった。
一人になっちゃったけど、でも今度こそは音楽やらせてくれるでしょう?
蕎麦屋の前、車に不具合があってディーラーに行ったら

珈琲が出て来てこれ飲んじゃったからカフェに行く計画は中止。
山越えをして最近通う魚屋で刺身を買って高速で帰った。
帰ってピアノ練習しましたよ。
なかなか弾けなかった曲がまがいなりにもつながるようになってきた。
なんで弾けないかっていきなりアルトゥール・ルービンシュタインみたいに弾こうとするからで自分に弾けるテンポで始めればいいだけなんだけど。
楽器をやってきた人じゃなくて長年だだ聴くだけの人で来ちゃった弊害かなと思ったり

ブログ、今年書いたものを自分で読み返してみるとほんとにひどい
今もそうだけど私一日の大半の時間ブログを書くかブログになに書くかを考えて時間が過ぎてたんですよ。
自分でも読めないような内容がたまっちゃったけれど、これがなければこの一年乗り切れなかったかも。
こんななのにここを読んでくださったあなたにお礼を言いたくて
どうもありがとうございました。