あとどれくらい生きていられるのか

朝目覚めた瞬間から嫌なことばかり考えててダメだなと思うけれど、そんなことを言いながらもここまで生きてこれたんだから。
先日喫茶店で

調子が悪いから軽いサンドイッチを頼むつもりだったのにこれを頼んでしまいちょっと食べすぎ
この後ここからそう遠くない店で嫁さんが買い物をしている間周囲を歩いた。
40年くらい前に親類の家を訪ねこの辺りに何度も来ていた覚えがあって、民家も生垣もみんな新しくなってしまったとは言えところどころに見覚えがないでもなく

あそこにあった松の大木のことも知ってる。
まだ何もわからないふりをしてなきゃならないと思っていたあのころ、別な親類の家からもう帰るという時にラジオから聴こえてきた音楽をどうしても聞いていたいと思ったのにできなかったこと、近くの家から大音響で気のふれたような音楽が聞こえてきて耳を疑ったこと、2年くらいたって近所の高校生が部屋でドラムをたたきながら大声で歌ってたなにか・・
心の奥に焼き付いていたそれらはみんなYMOだったと知ったのは解散10年後に一瞬再結成とかなんとか話題になった時。
私は学生で、懐かしさから始まりかなりいろいろ聴いた。10年なのかぁなんて考えていたあそこからもう30年なんだな。
高橋幸宏氏がなくなったというニュースに71歳とあるのに自分の歳を考える。
あのラジオを聞いていた歳が上過ぎて近寄ることもなかった従兄は数年前に亡くなった。ドラムをたたいていた高校生も15年くらい前に若くして亡くなった。

その学生時代に阪神・淡路大震災が発生、私は就職活動のため新幹線が不通となっている街の中を仮復旧していた在来線と代行バスで通過したことがあった。
姫路で新幹線を降り在来線に乗り換えたときは明るい高校生の会話が聞えいつもと変わらない世界という感じだったような記憶がかすかにあるけれど別な時と混同しているかもしれない。
多分どこかでもう一度乗り換えて、徐行する車内から海側の街を見ていると倒壊した民家が見え始める。そのうち・・我に返るとまさに開いた口が塞がらないという状態の自分に気づき、まばらな周囲の乗客の中にも同じような人を見た気がする。
何もない中一棟残った崩れかけの建物が真っ黒になってるのを見た瞬間、人や命や人生、生活・・
どんなに自分にはここを通る理由があり見物ではないと言ってみたところで、実際そうなっている自分を恥ずかしいと思い申し訳ない気持ちになった。
その気持ちは今も続いていて、だったらこんなところに書くなという人もいるかもしれないけれど書かないでいられず
すぐそこに一階が押しつぶされた商店、遠くに電車の来ない古い高架をみながら列に並んだ記憶があり、今調べると灘の駅前だったのかなと思うけれどわからない。バスの車内から見た落ちたままの石の鳥居は本住吉神社だったんだろうか?
その前後の記憶が全く消えてしまいもうなにも思い出せない事にちょっと驚く。
https://www.youtube.com/watch?v=y_VaT3Ox0-Y&t=960s
なんとなく頭の中でこれがかってに流れていてRecordareは思い出したまえ
震災関連の話をいくつも読んだ。
読んでいてきつくなり最後まで読めないものもあった。
生かせてもらえてるんだということを考える
無駄にするなと言われてる気もする