おごちそうさま お教室 なりたい人

始めて入ったこの店、ちょうど帰ろうとしてるお客さんが
どうもおごちそうさまでしたー
・・おごちそうさま?・・・
ピアノレッスンとかで検索すると出てくる言葉にお教室というのがあって、
そんなネタいいか。

おぽーく
それはそうだよなと思うけれど私の幼少時にピアノを習うなんてことはありえなかった
始めて触った楽器は幼稚園での鍵盤ハーモニカで、みんな楽譜なんか読めないのでまず音名を歌って覚える。
みーみれどーどーれーれーみれどっそーそふぁみーみー
鍵盤にはドとかファにシールが貼ってあり、頭の中で歌いながらキーを押せばいい・・
中2で音楽に興味を持ったとき、教科書のほかに資料集みたいなのがあり中に楽譜があった。

自分で弾いていみたいと思い最初にやったのは幼稚園でやったあの方式。
さすがにそれは続かずそのうち単旋律なら音名を意識せず楽譜を見ながら弾けるよう(なつもり)にはなったと思う。
けれど両手で複数の声部を読みながら弾くことがいきなりできる訳はなく、今度は歌ではなく鍵盤上の指の動きを目で記憶しそれを再現しようとする方式が定着してしまった。楽譜は始めに覚えるときにだけ読み、以降は見ないのではなく見ることができない。
恥ずかしいですが正直に言えば私は今でもほっとくとそのいったん覚えて弾く方式になってしまいます。
覚える式でもいろんな曲や難曲を弾くことができるかもしれないし、よくあるプロになるんじゃないんだからそれでいいんですよみたいなことを言う人もいるかは知らないけどでも今私はそうではなく楽譜を読むと同時に弾ける人になりたい。
先生は見てればすぐわかるから、多分相手が子供ならそれは違うこの先絶対困るからその癖今すぐなおしなさいと怒るところだと思う。
一方この人ここまでかな思えばそれでいいことになっちゃうのが大人からのピアノレッスンかもしれずそこは怒られることより怖い
まだショパンなんかやってる場合じゃないのかもな思うこともあるけど、自分次第なわけでおかしいと思うものは今すぐ変えようと自分が強く意識しないとやさしいものを100年を続けていても変わらない。
と、今日考えた。

もう手が感覚で覚えちゃってるので鍵盤を見なくてもなんとなく弾けはする。楽譜の該当部分かその少し前を目で追いながら弾くこともできなくはない
けど、音符を読んでるのかといえば違う。読むふりができるというか。
見てるふり、先生には全バレだけどね。
とはいえアクセントや強弱記号なんかが目に入ると意識するので鍵盤ガン見よりはいい?

後半はまだなので覚えない方式で
私調号はそんなに苦にならないんだけど臨時記号多発に弱すぎる。そういう練習を積んでないのにこれやっちゃいけないのかもしれない。
そんなこと言ったってこれやろうってことになってるんだからやるの。
形やパターンを覚えようとしない。
見て弾く!
大丈夫、できるようになる気がする。
どうでもいいけどいやよくないか、主部返ってすぐに出てくるあの黄色いところ
それまでの定型通り2+3で書いてある版と

5連符になってる版があるみたいで、そのすぐ後で訴える不安や黒い影を思うとちょっとよろけたような5連符はものすごく説得力があって
でも私の楽譜は2+3
ここはそのどちらでもなく崩したような感じというか歌えっていってるんでしょ?
こういうの感動するというか弾いてて何がうれしいかってこういうのだけど
まだやってないけど先ほどシューマンの子供のためのアルバムという曲集の最初の何曲かを仮に印刷してみた。
見て弾く練習こういうとこからなんじゃないか私は

最後に出てきたコーヒーは少なめの量が逆にちょうどよく好ましかった。
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