2017/04/17

自分自身で感じなおしたいマーラー交響曲第9番

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1910年なんじゃないかと思いますが、なんかいい写真ですよね・・幸せそう・・

マラ9にはこんな伝説というか固定観念というか・・ありますよね・・
マーラーは心臓病による自身の死におびえながら作曲した。
そして実際死んでしまった。
終楽章には練習記号さえ記されていない・・残された時間が足りなかったのだ・・
作曲者の悲痛な思いが曲の中に結晶化している。

自分もいろいろ読んだ本などからそんなイメージを持ち、この曲はこう聞かなくてはならないのだと何か支配されたような感じで聴いてきました・・それで満足をしていて・・
でも最近何か違うんじゃないかと思うんですよね。

何度も書いていてしつこいですが、
皆が信じて涙してきたマーラーは心臓病で死におびえ・・・という話はのちの人々の誤解であって事実とは違うみたいです。
誤解の原因の多くは妻の回想録ではないかと思いますが、内容的に非常に問題があるようです。

作曲時マーラーは自分が死ぬなどとは考えてはいなかったんじゃないかと思うんです。
次の交響曲第10番を作曲している時も同じです。
ウィーンで団員ともめて失意のうちに・・とかいうのもいろいろおかしいみたいですよ・・・
その方が劇的で話的には面白いですが・・

1910年・・非常に綿密で精力的な準備の末、交響曲第8番を初演し輝かしい成功を収めています。
演奏家・作曲家人生の絶頂といえる時を迎えているわけですよね。
その時のマーラーが死におびえた弱々しい悲劇的な人間だったと想像する人はいるんでしょうか?
この時交響曲第9番はもうすでに完成していたんですよね。
人生最後の曲と考え死におびえながら残されたギリギリの時間でボロボロになって作曲した・・え?・・

ウィキペディアをみると昔からの伝説みたいな内容が普通に書かれています。
知らないけど最近の演奏会のプログラムにも過去から言われてきたような定型文みたいな解説が載ったりするんでしょう・・
ここにこんな事を書いても変なのが変なことを言ってるくらいにしか思われないのかもしれません。
人によってはもうこの時点でとんでもない思い違いをしているけしからん奴だと思われるかもしれません。
HMVのレビュー欄で喧嘩売ってるような人とか・・
ひとそれぞれですし、それでいいと思うんです。

事実が何であれこの曲が大変複雑で革新的で深く素晴らしい内容を持った音楽なのは間違いありません。
この曲が強く生きようとする強い思いとそれを妨げようとする負の力のせめぎあいの末、死を受け入れ静かに旅立っていく音楽・・という認識は今でも変わりません。
だったらなおのこと、大好きなこの曲を無駄に入り込んだ予備知識から解放して純粋に自分だけで感じてみたいと思うんです。
過去の大指揮者の伝説の凄演も忘れて‥
別な側面が見えてくる可能性があるんじゃないかと・・


こんな偉そうに言ってるなら曲の最初から見ていけばいいのに思い付きで気になったところからちょっと見てみるという・・

第1楽章の展開部、序章の運命を示すようなリズム主題とともに音楽は停滞して沈み込みます。
ここも鍵がたくさんある気がするのでまた書きたいと思うんですが・・

おもむろにチェロが歌いだし、葬送行進曲の様な音楽へと導きます・・この導くところ、最近の演奏は
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1.sp.(spielen.一人で演奏の略?)とあってソロがppppで橋渡しをするのですが、

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改訂前は2つに分かれたチェロの第1グループ全員がppppでつないでいました。
古い録音を聴くとここはソロではありません・・でももうそんな細かいことは大した問題じゃない気もしてきました。

その先の重く引きずるような音楽、葬送行進曲なんて書いてしまいましたが、これまでは安直に死の淵をさまよっている・・なんて考えていました。曲の伝説に乗っかって・・わかったような気でいたんです。
でも手前のチェロの歌う旋律・・・提示部の第1主題再提示の合間で明るく歌われていたものが暗転している・・は死の危機に瀕している歌じゃないですよね。
素直に感じてみると思いだされるのはこれです・・
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第1交響曲の第3楽章・・・あれもものすごいことになっていますよね・・
この絵は狩人の葬送ですが、死んだわけじゃないですよね。心が死にそうなだけで・・
思い出にふけった後、あれだけ暴れて・・死ぬのは最後でしょう・・
順風満帆な若者をあんな世界に陥れたのはぶっちゃけ失恋・・

9番のここが失恋によるものかはわかりませんが、ものすごいうつ状態になっていることは確かです。
そして

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回復の兆しを見せるここは2つのヴァイオリンパートがやさしく掛け合いをしています。
恋人同士?母と子?なんであれ、ここにいるのは一人ではありません。
お互いの息づかいが聞こえる距離でお互いを感じあいながら・・
Wikiにシュトラウスのワルツが引用されて・・とか書いてありますがこの辺のことでしょうか?・・ちょっと今はそれは考えなくていいです自分は・・

ひとりではない、大切な人そばにいるという事をきっかけに音楽はまた暖かく進み始めます・・
ハープに乗って、オーボエとホルンが対話を始めるとその裏で2人の対話がまた聞こえていたりします・・
そこに現れるのは

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第1交響曲で鳴り響いていたあの軍隊ラッパ・・
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第1番の第1楽章・・
突然現れた重くネガティブなものに打ち勝ちまた走り出していく・・みたいな場面
この手前から、主人公を後押しするようにこのラッパが鳴っていました。

そのラッパが今また鳴っているんですね・・・
盛り上がった挙句ティンパニがファンファーレを奏しだすという暴挙に・・
この後、愛、生きる喜び、この世のすばらしさ・・・が爆発しながら音楽は進んでいきます。
第2主題部の後半の要素が鳴っていてそれは何なのか・・というのもまた考えたいんですが、

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結論的に叫ばれるこの旋律は

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第1交響曲の第4楽章で熱く熱く歌われたあの愛の歌なわけです・・・


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直後、強い衝撃によって倒され、沈み込んでゆく・・・
6番だったらハンマーが下りているところですね・・
この先、再び立ち上がり、猛然と突き進んでいくんですが・・
とりあえずここまでという事にして・・

標題音楽ではないはずですが、明らかに強いメッセージが感じられますよね。
ここで見たこれは、ある若者・・中年でもいいですが、ある人物の懸命に生きる姿そのものです・・
両端は、人生に深刻なダメージを与えるネガティブな何かですが、傷つき深く沈んだ心が、愛を手に入れたことによって躍動していくという・・・

この曲の解説を読むと、死の予感、別れの気持ち・・が充満しているようなことがやたらに書かれています。
大地の歌と明らかにつながっている・・みたいなのもわかるんですが・・

マーラーの完成させた最後の曲であること・・・
それまで当然のように行われて来た自身による初演がその死によってできなかったこと・・・
を意識しすぎた外面的な後付けの解釈を押し付けすぎ・・・なのではないかと最近感じるのです・・・
曲の中で何度も息の根を止めようとするかのよう負のエネルギーが何度も襲い掛かるのは間違いありません。
でも少なくともここには別れの気持ちなんて一切ありません。
懸命に生きようとしています・・大きな力と喜びをもって・・・

ここはそういう音楽なんですね・・第1主題と第2主題の後半は何を意味しているのか・・が見えてきそうですが、それはもっといろんなところを見てから・・
最終的にはこの楽章が何を表現しているのかが見えてくるはず・・・
あてがわれた定型のイメージとは無関係に・・・

しかし、短い間にもいろんな要素が絡み合っててすごいですね。
それぞれの意味を考えたりしているとこの曲のこの楽章だけでもずっとブログを書いていられそうです・・
とにかくわくわくしますよね・・・

コメント

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待ってました!

unagiさんマーラー考察。
知識全然ない私みたいなのがお邪魔してしまい恐縮ですが、やはり面白いです。

オーケストラは、特にunagiさんのマーラーへの解釈や聴き方を拝読していると、

余白がたくさんある世界なんだなぁ、と

しみじみ感じ入ります。
自由な世界観の中に身を投じて全身全霊で音楽の中に漂う。そういう聴き方を私もしてみたいです。
オーディオに凝るにはハードルが高いので、取り敢えず今年は生オケ行こうと思ってます。

ありがとうございます。

suzukiさん、いつもありがとうございます。
音楽はいいですよね。こちらから求めればどこまででも付き合ってくれます。
生オケいいですよね。現場でしか感じられないことがたくさんありますし・・
オーディオはハードルが高いなんて・・マニアは喜びますよ。
できれば毎週生オケ行きたいですね・・