インベーダーゲームとYMOとプロコフィエフ
沢田研二の今、みたいな写真を見ました。
皆歳をとってくのは同じで当たり前なんだし、元気に生きていられるなんて何より。
この人は私の幼いころ、まだ超絶スターだった気がする。今いる誰の比でもないようなすごさがあったと記憶しています。
本人がそのせいで困ってるようなことを後に言ってたような・・
TOKIOって歌ってませんでしたっけ?
YMOのテクノポリスにもでてきてボコーダーでTOKIOって・・
93年ごろにYMOが10年ぶりに復活とか言ったことがありました。
幼いころ、どこかで聴いたライディーンが耳に焼き付いていて、懐かしさで時にCDを買って聴きいた。復活後の曲みたいなのには全然興味を持てなかった。
10年かぁ・・遠いなぁなんて思ったのを覚えています。
それからもう25年たってることに笑った。
いまじゃ10年なんか昨日みたいだ。
クラシック以外のCDを買うことはほとんどないし買っても適当に扱ってどこかへいっちゃったりするんだけど、あの時買ったYMOのボックスみたいなのは捨てずにとっておいてあります。
もう聴かないかもしれないけど。
覚えもないんですがYMOが解散したのが83年とかでしょう。ちょうどファミコンが出てきた頃じゃないでしょうか。
年齢的にはファミコン全盛期世代ですが、親の呪縛もありほとんどやりませんでした。
ある時かかってきた叔父から電話にたまたま自分が出た。
いとこのお古のインベーダゲーム専用機みたいなものを指して「やるか?」という。
親に電話を代わると「いらない、やめてくれ」と答えてしまうので、やると答え叔父が電話を切った後もずっと受話器をもってねばった・・親が気付いたとき、せっかちな叔父はもう出発した後。
叔父が取り付けてくれたそのゲーム機でしばらく遊んだ。

こんなのだったと思う。
これでいいたいことは・・
電源スイッチを高速でON→OFF→ONと動かすとエラーというかノイズまみれな画面が出る・・
それを何度もくりかえしているとそのいかれた画面中を無音でUFOが横切ることがある・・
その時にスタートボタンを押すと、インベーダが何も打ってこなくなる・・
というのことに偶然気づいていたこと
何も攻撃してこないのでいつまでたってもやり放題で終わらない。
面白いわけでもないけれど・・・
プロコフィエフのピアノ協奏曲、2番は俺の音楽を分からないやつは来るなと言っていそうな音楽でしたが、第3番は魅力的な旋律や楽想が連続して誰にでも好かれそうな曲です。
4番5番もまたちょっととっつきにくい。
その第3楽章に

こういうのが出てきます。
隣り合う2つの白鍵を一つの指で同時に叩きながら高速で上がったり下がったり・・
ちょっと違うけどバルトークのコンチェルトにもこんなのが出てくる。こういうの時代の流行りだったのかな?
これもトーンクラスターの一種とか言っちゃっていいんでしょうか?
指番号の指定も作者が書いたものでしょう?
これ大好きなんですよ。
もっとジョワジョワ言わせてほしい・・
なんとなくこれ、昔聞いたインベーダーゲームでUFOが出てきたときみたい・・かな?
1979年ごろでしたっけ?私は5歳くらいか・・やったこともないし、見る機会もなかったはずなのになぜか強力に頭の中に焼き付いています。喫茶店の情景とか・・そういえば、あの頃そこらに沢山喫茶店があったような・・
最後に出てくるここも大好き。

星が降るなんて言うけど、ほんとに降ってきちゃってなんだこれ!?みたいな・・・
硬い音で狂ったように弾いてほしい・・
プロコフィエフは1918年ごろ、来たがったというわけでもないんだろうけどロシアから渡米する途中で日本に滞在しました。
1921年初演のこの曲に、ところどころ日本的な何かをふっと感じることがある。
よく書いてあった越後何とかが使われている・・というのは間違いみたいだ。
この曲のとっかかりになったかもしれないある部分を日本で構想したなんてことを読みました。
でもこの後半の音楽はその後に行ったらしいニューヨークなんかの

こんな感じの光景を見て、空気を吸って・・それが音楽にも反映されていたりして・・と思ってみたりします。
なんか知らないけど、ピカピカ点滅したりする電工看板みたいなのもきっとすごかったんでしょう?
別にそれをそのまま音楽にしようとしたわけではないだろうけど。
私は妄想癖もあったけれどなんの音楽もなくてもずっと指でリズムをとる癖があった。
いっつもやっているのでちょっと頭のおかしい変態みたいだっと思う。
実際そんなことも言われた。
頭の中で妄想ドラムみたいなのが鳴っていたんだけどそれは子供のころに近所の2階から聞こえてくる高校生のドラムの影響だと思う。
でっかい音で流れているその音楽が何なのかその時はわからなかったけど、復活したときにあれがYMOだったんだとわかった。
音楽を好きになる準備段階を作ってくれのたがYMOだったかもしれない。
CDを処分できないのは多分そんな思いがあるから。
その高校生2階の部屋でたばこか何かをやり、親父に怒鳴られて窓から逃げたりしていたのが忘れられない。
その人は数年前とても若いのに亡くなってしまった。
如何にも裏世界の・・という近寄りがたい風貌だったけど、聞いたところではとてもやさしい鉄道マニアだったそうだ。
皆歳をとってくのは同じで当たり前なんだし、元気に生きていられるなんて何より。
この人は私の幼いころ、まだ超絶スターだった気がする。今いる誰の比でもないようなすごさがあったと記憶しています。
本人がそのせいで困ってるようなことを後に言ってたような・・
TOKIOって歌ってませんでしたっけ?
YMOのテクノポリスにもでてきてボコーダーでTOKIOって・・
93年ごろにYMOが10年ぶりに復活とか言ったことがありました。
幼いころ、どこかで聴いたライディーンが耳に焼き付いていて、懐かしさで時にCDを買って聴きいた。復活後の曲みたいなのには全然興味を持てなかった。
10年かぁ・・遠いなぁなんて思ったのを覚えています。
それからもう25年たってることに笑った。
いまじゃ10年なんか昨日みたいだ。
クラシック以外のCDを買うことはほとんどないし買っても適当に扱ってどこかへいっちゃったりするんだけど、あの時買ったYMOのボックスみたいなのは捨てずにとっておいてあります。
もう聴かないかもしれないけど。
覚えもないんですがYMOが解散したのが83年とかでしょう。ちょうどファミコンが出てきた頃じゃないでしょうか。
年齢的にはファミコン全盛期世代ですが、親の呪縛もありほとんどやりませんでした。
ある時かかってきた叔父から電話にたまたま自分が出た。
いとこのお古のインベーダゲーム専用機みたいなものを指して「やるか?」という。
親に電話を代わると「いらない、やめてくれ」と答えてしまうので、やると答え叔父が電話を切った後もずっと受話器をもってねばった・・親が気付いたとき、せっかちな叔父はもう出発した後。
叔父が取り付けてくれたそのゲーム機でしばらく遊んだ。

こんなのだったと思う。
これでいいたいことは・・
電源スイッチを高速でON→OFF→ONと動かすとエラーというかノイズまみれな画面が出る・・
それを何度もくりかえしているとそのいかれた画面中を無音でUFOが横切ることがある・・
その時にスタートボタンを押すと、インベーダが何も打ってこなくなる・・
というのことに偶然気づいていたこと
何も攻撃してこないのでいつまでたってもやり放題で終わらない。
面白いわけでもないけれど・・・
プロコフィエフのピアノ協奏曲、2番は俺の音楽を分からないやつは来るなと言っていそうな音楽でしたが、第3番は魅力的な旋律や楽想が連続して誰にでも好かれそうな曲です。
4番5番もまたちょっととっつきにくい。
その第3楽章に

こういうのが出てきます。
隣り合う2つの白鍵を一つの指で同時に叩きながら高速で上がったり下がったり・・
ちょっと違うけどバルトークのコンチェルトにもこんなのが出てくる。こういうの時代の流行りだったのかな?
これもトーンクラスターの一種とか言っちゃっていいんでしょうか?
指番号の指定も作者が書いたものでしょう?
これ大好きなんですよ。
もっとジョワジョワ言わせてほしい・・
なんとなくこれ、昔聞いたインベーダーゲームでUFOが出てきたときみたい・・かな?
1979年ごろでしたっけ?私は5歳くらいか・・やったこともないし、見る機会もなかったはずなのになぜか強力に頭の中に焼き付いています。喫茶店の情景とか・・そういえば、あの頃そこらに沢山喫茶店があったような・・
最後に出てくるここも大好き。

星が降るなんて言うけど、ほんとに降ってきちゃってなんだこれ!?みたいな・・・
硬い音で狂ったように弾いてほしい・・
プロコフィエフは1918年ごろ、来たがったというわけでもないんだろうけどロシアから渡米する途中で日本に滞在しました。
1921年初演のこの曲に、ところどころ日本的な何かをふっと感じることがある。
よく書いてあった越後何とかが使われている・・というのは間違いみたいだ。
この曲のとっかかりになったかもしれないある部分を日本で構想したなんてことを読みました。
でもこの後半の音楽はその後に行ったらしいニューヨークなんかの

こんな感じの光景を見て、空気を吸って・・それが音楽にも反映されていたりして・・と思ってみたりします。
なんか知らないけど、ピカピカ点滅したりする電工看板みたいなのもきっとすごかったんでしょう?
別にそれをそのまま音楽にしようとしたわけではないだろうけど。
私は妄想癖もあったけれどなんの音楽もなくてもずっと指でリズムをとる癖があった。
いっつもやっているのでちょっと頭のおかしい変態みたいだっと思う。
実際そんなことも言われた。
頭の中で妄想ドラムみたいなのが鳴っていたんだけどそれは子供のころに近所の2階から聞こえてくる高校生のドラムの影響だと思う。
でっかい音で流れているその音楽が何なのかその時はわからなかったけど、復活したときにあれがYMOだったんだとわかった。
音楽を好きになる準備段階を作ってくれのたがYMOだったかもしれない。
CDを処分できないのは多分そんな思いがあるから。
その高校生2階の部屋でたばこか何かをやり、親父に怒鳴られて窓から逃げたりしていたのが忘れられない。
その人は数年前とても若いのに亡くなってしまった。
如何にも裏世界の・・という近寄りがたい風貌だったけど、聞いたところではとてもやさしい鉄道マニアだったそうだ。
Comment
プロコフィエフは、好きな作曲家ですが、YMOとかのようなテクノポップ系??の音楽って駄目なんです。
クラッシックがお好きな方が推奨?されている冨田勲さんがシンセサイザーに編曲された音楽も同様。
新日本紀行のテーマなどは大好きなんですけどね。
きっと、食わず嫌いの感も否めませんね。
楽器的(音色的)には、シンセサイザーやテルミンも好きなのですが??(笑)。
MKさん、こんにちは
あー僕も同じです。富田のシンセサイザークラシックは苦手ですが、新日本紀行のテーマの最初の2分くらいは大好きですよ。
あれをちゃんと展開させて1曲に仕上げてほしかった。
テルミンですか・・あれ非接触で演奏するんでしたけ?
トゥーランガリラ交響曲なんかを聞いても
オンドマルトノはあんまり耳にはいてこないくらいが好きで・・・
好みもいとそれぞれですよね。
ありがとうございました。