オーディオ教

ボンタンの実。
まだまだこれから何ヵ月もかかって大きくなって行きます。
かぼすもボンタンも今年は実が少ない・・裏年?剪定失敗?
ほんとは間引くんでしょうけど、食べるための収穫が目的じゃないのでそのまま置いときます。
この木は3月が選定の時期なようであとは切っちゃいけないらしいんです、
でもものすごくわさわさと枝葉が出るのでいつもこの時期に少し枝を切るんですよね・・
切り出すと、あっあれも・・なんて言って切りすぎちゃうことがあって・・
一回木が「もうやめて!」といったことがあるんですよ(すべての葉が丸まって変な形になって見せた)・・
あれから反省してあまり切らないようにしているんですが・・・
切らなきゃ切らないで風通しが悪くなって多分それもまずいみたいで・・・
音楽部屋で音楽を聴こうとしたらいきなり音が変だ・・極端に音像が右に寄っていて音量が異常にでかい・・・チリチリノイズ・・なんだこれやばいと思ってすぐとめた。
アンプの電源を切って入れ直し、再度再生すると正常だ・・何度かやったけど再現しない・・
こういう時とりあえず疑うのはケーブルの接触不良だけど・・ちがう
リレーの動作不良?まだ買って2年くらいじゃないのか・・
そんなことやっててふと思ったことを・・
電気系メーカーで技術者をやっていながらオーディオもやっているという人がたくさんいると思うんですが、聞いてみたいことがあります。
仕事の実際で、禁止事項というかそんなことをしたらメーカーは性能も安全性も保障しないというようなことがオーディオの世界では好ましいことだと宗教的に信じられていたり・・という事がありますよね?
信号見たいなのならともかく、ある程度電流を流す回路の接点で、より線を直接ねじで押さえつけて接続・・とか・・
※単線なら問題ないです。より線なら棒端子かフェルール端子を圧着して対応します。ふわっとして変形していくより線じゃ締め付け力保証できないでしょう?
ああいうのどう考えてどう対応していますか?アンプ、スピーカーの端子とか。
圧着を検証したことがある人はわかると思うんですが、正しい冶具で正しく圧着されたものは一体化して、ただ押さえましたなんか言うのとは全然違う・・
スピーカーケーブルは高周波にも対応するためリッツ線だ・・というならあれですが、実際そうじゃないんだし、きちっとした端子を正規の工具で圧着して・・というほうが安全面や安定性だけでなく音質という事を考えたって、より線直押さえなんかよりずっといいはずなんですが・・
オーディオマニアはそんなもん見たら嘲笑・・でしょ?
接点が増えるから駄目だ!と吐き捨てるわけですよね・・
鮮度が落ちるんだよ的な・・
より線が変形してねじがゆるみ、接点が酸化して・・そこをまた訳のわかんないアクセサリーだなんつって不純物を塗りたくってみたり・・本人が良ければいいんだからそこを批判する気は毛頭ないんですが、
オーディオに限らずネットにも限らず今の世の中は何というか宗教的というか舐めた飴を砂場に落とすと砂がくっつくみたいにというか・・
強そうなのが「こうだ!」というとみんな「そうだっ!」とくっついていっちゃうような所があると思うんですよね。
違う事を言うのがいると異教徒だ!とかいって血祭りにあげようとするみたいな・・
私は職業柄「オーディオマニアの常識」みたいなものに賛同できない部分もあります。
勝手にそう思って好きなようにやってればいいだけですけどね。ブログなんてやってると書いてみようかななんて思うんですよね。
でも変なことになっちゃって嫌な思いするのも嫌だななんて思ったり・・
おわり
個人の勝手で済む話はともかく
ネットでオーディオがどうのなんて言ってるのをみていると電源線で線径に合わないようなサイズの圧着端子を普通のペンチで押さえて・・みたいなのを見たことがあります・・・
あれは押して変形させただけでカシメとは言わない・・
場合によっては事故につながる可能性がある愚行です。
今まで大丈夫だったというのはそれでよいという事の根拠にはならない。
他人を巻き込み殺すような事故を起こす人間は皆そういう考えを持っていた人間じゃないのか。
自己責任などという言葉が安易に用いられていますが間違った考えで使われることが多い思う。
仕事で、いろんな電気的事故を想定した実験等を行うことがあります。
皆さんへ釈迦に説法なんでしょうが電気って、いい加減なことをすると怖いですよ。
火が出るほうは条件がそろえば少ないエネルギーでもあっという間です。難燃性なんて言ってますが、ショートすれば銅の塊があっという間に1000度くらいになるんですから難燃もへったくれもありませんよそんなもん。
実際にはブレーカーが落ちて・・・そういえば音質のためなんていいながら自分でブレーカーいじったりする人がいますよね?いろんなこと(オーディオ知識じゃなくて電気安全的な知識)がわかってやる人はいいでしょうが、大丈夫かなあれ?
また訳もわからないのにオーディオ用ヒューズなんて言い出して・・・協調の意味も解らないような人がでっかい容量のヒューズを入れて結局機械壊してたりってのをどっかで読んだよ・・
壊れたのが機材でよかったよね。他人の命じゃなくて。
自分のしていることの意味が解っているのかな?
武勇伝として嬉しそうに感電の経験を話す人がいますよね。
感電もやばいよね。
あってはいけない事だけど断末魔の悲鳴も聞いたことがあります。
筋肉が硬直してしまい自分では逃げられないんですよ。
あの時はまだ声が出せるような電圧だったからよかったんだろうと思う。
職業柄いろんな実話を聞く機会もあります。
この世の地獄ですよ。
もちろん、製品を作るメーカーはユーザーが誤った使い方をすることまで想定して絶対に事故が起こらない仕組みを組みます。
法規的な枠組みで守られてもいると思う。
ただそれはある程度ルールを守った場合です。
訳も分からない人間が触っちゃいけないようなところに触ってめちゃくちゃやるところまでなんか誰も面倒を見てられません。
甘えだと思うんですよあんなの。
なんでお前が偉そうなことを並べてるんだという話ですが・・
そうですね、ごめんなさい。実際、私自身も訳が分かんないようなのなんでしょうけどね。
オーディオマニア、ブログは尊敬できるような人もたくさんいて、変なことをやったりいったりしている人はごく一部なんでしょう。
オーディオとオーディオマニア全体を敵に回して文句を言おうというのではありません。
実はもうオーディオ系ブログはほとんど見ていないんですよね。
たぶん今の若い人はこんなもんに興味も持たないだろうし、我々は時間とともに絶滅していくんでしょうね。
おわり
音楽聴く事はやめられません。
数年前からコンサートにも行くようになっているので、現場で聴いたあの音を思い出しながら・・
録音の中に存在している音=現場の音ではないこと、
そもそも(私にとっては)原音再生なんておかしいという事、
でも現場で感じるのと同じ感覚、喜びを感じることは可能なんだということ、
みたいなことを感じながら、音楽を聴いています。
コンサートで、現場で直接音楽を体感する音楽というのはとても尊いし楽しいし得難い体験です。
一方でオーディオ聞きには作曲者が理想として描いたが現場では聞き取れないというような世界を感じることができる可能性があると思うんです。
スコアに書かれた事の意味を・・重箱の隅をつつくように・・・
分割された弦楽器セクション間での音の移動みたいな凝りに凝ったオーケストレーションの中にはこんなの指揮台に立ってる人しか感じられないんじゃないのか?というのがあるんですよね・・
なんとなくスコアを見てるとこんなのが出てきて・・・

2つのヴァイオリンパートがオクターブで歌ってるんだけど、一瞬1stの分割でオクターブを歌うことになり・・また戻る・・
作曲家がそうした方がいと思って書いてるんだと思うと・・その結果がどう聞こえるのかを聴かなきゃ気が済まない・・
対抗配置ならわかりやすいかな・・
普通の配置だと・・弓の動きでやってるのはわかるけど・・音色も半分になって変わるのかな・・
普通に聴いてるとなんとなく過ぎてっちゃうんですよね。
こういうの家で集中して聴いてるとスコアの絵的な変化を音の位置から体感できたりすることがあるんですよね。
レコーディングプロデューサー?の中にはそこ解ってて何とか伝えたい・・という音作りをしていた人がいた気がするんですよね・・
オーディオにはそういうものを伝えてくれる手段としての能力を発揮してもらいたい。
Comment
こんにちは
オーディオ誌の試聴レポートとか巷のオーディオ談議はまったくあてにしません^^;自分の耳で良ければそれまでです。
確かに生の会場では聴けないパート音をはっきり聴かせる録音がありますね、録音音楽ならではの利点かと思います。ほんの少しのバランスの取り方で違ってくるように思います。
michaelさん、こんにちは
そうですね、最後は自分が良いと思えるかですもんね。
雑誌は昔から広告収入で成り立っている以上、メーカーよりの内容になってしまうのは仕方ない気がしますよね。
今はネットなんかで一般人のレビューが見られますが、どうも強い意見、多数派の意見に引っ張られていっちゃう人が多いようです。
ラーメン屋なんかレビューにのせられていろいろ行きましたがもう凝りました。
何か大事な判断を迫られる局面でみんな簡単に操作されちゃうんじゃないかと思い心配になりますね。
音楽で細かいところが聞こえると嬉しいのですが、やりすぎると作り物感が強調されてシラケます。
微妙なさじ加減はレコード制作作者の芸術性かなと思ったりしてます。
いつもありがとうございます。