引用
カテゴリをショスタコにするかラフマニノフにするかわからない・・両方てないんですね。
ラフマニノフの晩年の作品でシンフォニックダンスという曲があります。
オーバーチェアなんて言ってると序曲でいいだろと思うけど、交響的舞踊・・・じゃさすがに動きも止まっちゃいそうだ。

これラフマニノフと、指揮者のユージン・オーマンディでしょう?多分初演のための練習中じゃないかな?
歴史的な瞬間を目撃した・・みたいなのでしょ。
この曲を知ったのはもうおっさんになってからでした。
私にこの曲を教えてくれたのは学生のオーケストラで何の期待もなくたまたま行ってみたコンサートでした。
厳しいことをいえば演奏を人に聞かせるというよりは自分たちの思いでのため・・と言う内容だったと思うけど、曲の印象を強く私に残してくれたんだからい彼らには感謝したいありがとう・・
元々寡黙だったらしいラフマニノフは祖国のロシアに帰れなくなりアメリカに住んでからは心を閉ざしてしまった・・
作曲もあまりしなくなったみたいだ。
そのラフマニノフの人生の最後くらいに突然湧いたものがこの曲なんでしょう。
作曲者とホロヴィッツで弾いたらしい2台のピアノ版も聞いたけど、この曲に関してはオケ版の方が圧倒的に好きです。

始まってってすぐのティンパニ・・・

2台のピアノ版で
これは・・・
ピアノで作曲していた段階からティンパニのイメージがあったんだと思う。
音拾ってるだけでしょう・・
オケ曲をピアノで表現するときするとき、同じにやったらダメなんだよ世界みたいなのもあるんですよね。
ラフマニノフだったらもっと違う形でやれたと思うのに・・
偉そうでごめんなさい。

弱音で予告のように始まるこの曲・・微かな心音というか・・・生きてるよ・・みたいな、
突然軍隊的というか衝撃的にffで強奏されるこの部分、またしても最初の休符を感じないまま聴いてしまい1拍ずれて覚えてしまった・・未だにここはああなってるんだから・・とかいって意識しながら聴いてます。
この部分がそっくりそのまま
ショスタコーヴィッチの交響曲第15番の第4楽章に引用されています。
作曲者がこの曲も好きだったんだよってなことを言っているのかな?
いやもっと、音楽家としての自分の人生はラフマニノフに大きく影響を受けたんだ・・くらいの大きなことを言ってるのかもしれない。

ショスタコーヴィッチがまたこの曲の中にある引用について謎めいた証言を残していったらしく、その後のコアな聴き手や研究者を振り回し続けているみたいですね。
もうそういうところが彼の作風そのものですよね。
このシンフォニックダンス冒頭の引用も、偶然似てるだけという考えの人もいると思う。
一方、たまたま似ているだけのものまで引用だと言っちゃって・・というのもずっ続いていくんだと思う。
もし、作曲者が全部の引用をすべて詳細に解説したとしたら、そんなのはもう作曲家じゃないと思う。
言葉じゃ言えない音楽を通して伝わる何か・・を残そうとするのが作曲家なんだから。
そういえば大っ嫌いだから引用するというのもありますね。
バルトークがショスタコの7番を聴いて激怒し、自作のオケコンに引用した挙句笑い飛ばしているのが有名です。

バルトーク、オーケストラのための協奏曲 いっぱい出てきて馬鹿にした笑い・・
また7番のその主題が15番のこの楽章で展開部のパッサカリア主題として引用されている・・
と話がどんどんつながっていっちゃって終わりませんね。
あれショスタコの話になっちゃった。
その7番もそうだけど思うのは、世界が戦争状態になっているようなときでも重要な曲ができると敵国間でも演奏されてお互い聴いてたみたいなんですよね。
なんかそれスゲーなというかそこ感動するとこなのかな・・
最初に戻ってラフマニノフ自身も、自分の最後の大作となるこの曲の中に若いころからの自作の引用を沢山ちりばめているらしいです。
作曲家は作品の中に秘密の暗号を隠していつか誰かに気づかれることを楽しみにしていたと思う。
聞き手はいつも探りながら聴いていていいと思うし、探してあげなくちゃ・・
ラフマニノフの晩年の作品でシンフォニックダンスという曲があります。
オーバーチェアなんて言ってると序曲でいいだろと思うけど、交響的舞踊・・・じゃさすがに動きも止まっちゃいそうだ。

これラフマニノフと、指揮者のユージン・オーマンディでしょう?多分初演のための練習中じゃないかな?
歴史的な瞬間を目撃した・・みたいなのでしょ。
この曲を知ったのはもうおっさんになってからでした。
私にこの曲を教えてくれたのは学生のオーケストラで何の期待もなくたまたま行ってみたコンサートでした。
厳しいことをいえば演奏を人に聞かせるというよりは自分たちの思いでのため・・と言う内容だったと思うけど、曲の印象を強く私に残してくれたんだからい彼らには感謝したいありがとう・・
元々寡黙だったらしいラフマニノフは祖国のロシアに帰れなくなりアメリカに住んでからは心を閉ざしてしまった・・
作曲もあまりしなくなったみたいだ。
そのラフマニノフの人生の最後くらいに突然湧いたものがこの曲なんでしょう。
作曲者とホロヴィッツで弾いたらしい2台のピアノ版も聞いたけど、この曲に関してはオケ版の方が圧倒的に好きです。

始まってってすぐのティンパニ・・・

2台のピアノ版で
これは・・・
ピアノで作曲していた段階からティンパニのイメージがあったんだと思う。
音拾ってるだけでしょう・・
オケ曲をピアノで表現するときするとき、同じにやったらダメなんだよ世界みたいなのもあるんですよね。
ラフマニノフだったらもっと違う形でやれたと思うのに・・
偉そうでごめんなさい。

弱音で予告のように始まるこの曲・・微かな心音というか・・・生きてるよ・・みたいな、
突然軍隊的というか衝撃的にffで強奏されるこの部分、またしても最初の休符を感じないまま聴いてしまい1拍ずれて覚えてしまった・・未だにここはああなってるんだから・・とかいって意識しながら聴いてます。
この部分がそっくりそのまま
ショスタコーヴィッチの交響曲第15番の第4楽章に引用されています。
作曲者がこの曲も好きだったんだよってなことを言っているのかな?
いやもっと、音楽家としての自分の人生はラフマニノフに大きく影響を受けたんだ・・くらいの大きなことを言ってるのかもしれない。

ショスタコーヴィッチがまたこの曲の中にある引用について謎めいた証言を残していったらしく、その後のコアな聴き手や研究者を振り回し続けているみたいですね。
もうそういうところが彼の作風そのものですよね。
このシンフォニックダンス冒頭の引用も、偶然似てるだけという考えの人もいると思う。
一方、たまたま似ているだけのものまで引用だと言っちゃって・・というのもずっ続いていくんだと思う。
もし、作曲者が全部の引用をすべて詳細に解説したとしたら、そんなのはもう作曲家じゃないと思う。
言葉じゃ言えない音楽を通して伝わる何か・・を残そうとするのが作曲家なんだから。
そういえば大っ嫌いだから引用するというのもありますね。
バルトークがショスタコの7番を聴いて激怒し、自作のオケコンに引用した挙句笑い飛ばしているのが有名です。

バルトーク、オーケストラのための協奏曲 いっぱい出てきて馬鹿にした笑い・・
また7番のその主題が15番のこの楽章で展開部のパッサカリア主題として引用されている・・
と話がどんどんつながっていっちゃって終わりませんね。
あれショスタコの話になっちゃった。
その7番もそうだけど思うのは、世界が戦争状態になっているようなときでも重要な曲ができると敵国間でも演奏されてお互い聴いてたみたいなんですよね。
なんかそれスゲーなというかそこ感動するとこなのかな・・
最初に戻ってラフマニノフ自身も、自分の最後の大作となるこの曲の中に若いころからの自作の引用を沢山ちりばめているらしいです。
作曲家は作品の中に秘密の暗号を隠していつか誰かに気づかれることを楽しみにしていたと思う。
聞き手はいつも探りながら聴いていていいと思うし、探してあげなくちゃ・・
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