あえていわないとか
本当はすごくできるのに、あえてそれを言わずに隠すのが美徳みたいなのがありますよね。
私はできることもないので特に関係ありません・・
嘘。
自分のアピールはもともとないからいいとして人がアピールしているのをおかしいとか嫌だ感じるようになってしまい、それも人とうまくやれない原因の一つになってしまったと思うんですよね。
それは間違いだし損だとも思うし、実際困る。
教えられるといらんことほど馬鹿正直に受け止めてしまうのがいけないと思う。
必要なことはいまだに覚えないのに。

先日ワルターコロ響のブラ3が編集ミスだ・・なんて思いながら該当箇所の楽譜を見ていたんですが、
そこにティンパニのCをB(B♭)に変えろという指示を見つけました・・

これがチャイコフスキーのスコアにあったってなにも驚かないんですけどね。
ペダルやそのほかの仕組みで音程を素早く変えられるティンパニがもうこの頃には普及していて何も珍しくなかったでしょう。
楽器自体も3つとか4つとか置いといてみたいな・・
ただこのブラームスというおっさんは、40歳過ぎて交響曲を書くようになってからティンパニを2つしか使わないという昔の古典派みたいなフォーマットをあえて採用して自作を縛った。
(4番の3楽章で3つ使うけど)
昔に戻ってるんじゃなくてこれも積極的な表現なんでしょうね。
それだけにここは新鮮というか何か一言いいたい・・
ここ、相当悩んだんじゃないかなぁ・・・
ティンパニ、使う音は2つのみというこだわりと、音楽的にどうしてもここでBがほしいという欲求と・・

自筆譜にはまだ書いてないんですよ・・
昔からの製法でやってますとか言ってるんだけど、実はここだけ電気炉使ってんだよ・・
えっ炭火じゃないんですか?
仕上がりを考えたら絶対奏すべきなんだ・・
大事なのはやり方じゃなくて出来たもの物の方だからね・・・・
えっ?炭火だけでやってるって・・
みたいな
全然違うかなんだこれ・・
知らない、使えなかったんじゃなくてあえてやってるわけですよね、ドとソしか使いません見たいなの。
コンサートにブラームスを聴きに行くと、後期ロマン派の重厚な音楽なのにティンパニが2つだけ・・トランペットも二人だけ・・みたいなのは視覚的にインパクトを感じます。
そうすると・・
4番のフィナーレ後半のここ、ティンパニが歯抜けなのが有名で(?)

昔は書いてなくてもここで叩かせたりもしたみたいですが、ここはわかっててあえて空白なんだから、この空白感を聴いて楽しめばいいんだろうなぁ・・
というよりこの空白自体が実は積極的な表現なんだったりして・・
19世紀、ブラームスと同時代を生きたこともあるブルーノ・ワルターとコロンビア響の演奏はここ叩かせないんですよね。
でも他のところで楽譜にない音を追加させたりもしていて単純な原典主義じゃないんでしょう。
シューベルトのグレートで楽譜に全然ない音をたたかせたりもするし・・
師匠のマーラーは・・・4番が嫌いで一度も降らなかったみたいだ。
ブラームスも交響曲を書く前、

ドイツレクイエムなんかを見るとロマン派的な歌うティンパニをやっているんですよね・・
この頑なに渋い方向に進もうとしたところがブラームスの音楽そのものですよね・・・
作品だけでなく普段の言動から派手を嫌い質素を好むみたいなのをやっていたようだ。
でも、それ本心だったのかな?
この人も自分で自分の殻を作ってそこに収まろうと勝手にやってた人なんじゃないかなぁ・・
積極的なアピールを見るといいなと思っていても逃げちゃうようなとこがあったんじゃないかなぁ・・
敵も多く作ったらしいし、チャンスなんていくらでもあったはずなのに結婚しなかった。
派手路線のワーグナー派がいたからその対極路線をいったけど、もし誰もいなければ自分がその路線も担ってやったりしたんじゃないかなぁ・・
本当は4管編成とかやってみたかったんじゃないのか・・
そんなこと考えても仕方ないんだけど。。
そういう人生を生きてきてどうでしたか?
という問いに答えてる・・訳じゃないだろうけど、でもそういう曲がこの人の交響曲第4番でしょう?
私はできることもないので特に関係ありません・・
嘘。
自分のアピールはもともとないからいいとして人がアピールしているのをおかしいとか嫌だ感じるようになってしまい、それも人とうまくやれない原因の一つになってしまったと思うんですよね。
それは間違いだし損だとも思うし、実際困る。
教えられるといらんことほど馬鹿正直に受け止めてしまうのがいけないと思う。
必要なことはいまだに覚えないのに。

先日ワルターコロ響のブラ3が編集ミスだ・・なんて思いながら該当箇所の楽譜を見ていたんですが、
そこにティンパニのCをB(B♭)に変えろという指示を見つけました・・

これがチャイコフスキーのスコアにあったってなにも驚かないんですけどね。
ペダルやそのほかの仕組みで音程を素早く変えられるティンパニがもうこの頃には普及していて何も珍しくなかったでしょう。
楽器自体も3つとか4つとか置いといてみたいな・・
ただこのブラームスというおっさんは、40歳過ぎて交響曲を書くようになってからティンパニを2つしか使わないという昔の古典派みたいなフォーマットをあえて採用して自作を縛った。
(4番の3楽章で3つ使うけど)
昔に戻ってるんじゃなくてこれも積極的な表現なんでしょうね。
それだけにここは新鮮というか何か一言いいたい・・
ここ、相当悩んだんじゃないかなぁ・・・
ティンパニ、使う音は2つのみというこだわりと、音楽的にどうしてもここでBがほしいという欲求と・・

自筆譜にはまだ書いてないんですよ・・
昔からの製法でやってますとか言ってるんだけど、実はここだけ電気炉使ってんだよ・・
えっ炭火じゃないんですか?
仕上がりを考えたら絶対奏すべきなんだ・・
大事なのはやり方じゃなくて出来たもの物の方だからね・・・・
えっ?炭火だけでやってるって・・
みたいな
全然違うかなんだこれ・・
知らない、使えなかったんじゃなくてあえてやってるわけですよね、ドとソしか使いません見たいなの。
コンサートにブラームスを聴きに行くと、後期ロマン派の重厚な音楽なのにティンパニが2つだけ・・トランペットも二人だけ・・みたいなのは視覚的にインパクトを感じます。
そうすると・・
4番のフィナーレ後半のここ、ティンパニが歯抜けなのが有名で(?)

昔は書いてなくてもここで叩かせたりもしたみたいですが、ここはわかっててあえて空白なんだから、この空白感を聴いて楽しめばいいんだろうなぁ・・
というよりこの空白自体が実は積極的な表現なんだったりして・・
19世紀、ブラームスと同時代を生きたこともあるブルーノ・ワルターとコロンビア響の演奏はここ叩かせないんですよね。
でも他のところで楽譜にない音を追加させたりもしていて単純な原典主義じゃないんでしょう。
シューベルトのグレートで楽譜に全然ない音をたたかせたりもするし・・
師匠のマーラーは・・・4番が嫌いで一度も降らなかったみたいだ。
ブラームスも交響曲を書く前、

ドイツレクイエムなんかを見るとロマン派的な歌うティンパニをやっているんですよね・・
この頑なに渋い方向に進もうとしたところがブラームスの音楽そのものですよね・・・
作品だけでなく普段の言動から派手を嫌い質素を好むみたいなのをやっていたようだ。
でも、それ本心だったのかな?
この人も自分で自分の殻を作ってそこに収まろうと勝手にやってた人なんじゃないかなぁ・・
積極的なアピールを見るといいなと思っていても逃げちゃうようなとこがあったんじゃないかなぁ・・
敵も多く作ったらしいし、チャンスなんていくらでもあったはずなのに結婚しなかった。
派手路線のワーグナー派がいたからその対極路線をいったけど、もし誰もいなければ自分がその路線も担ってやったりしたんじゃないかなぁ・・
本当は4管編成とかやってみたかったんじゃないのか・・
そんなこと考えても仕方ないんだけど。。
そういう人生を生きてきてどうでしたか?
という問いに答えてる・・訳じゃないだろうけど、でもそういう曲がこの人の交響曲第4番でしょう?
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