いい時間
時間が取れて出かけた。
また雨だっていうし、太陽が出ている間にどうしてもどこかへ行ってみたかった。
なんかこう心も湿っちゃって変になっちゃいそうだったので。
紅葉を見てみたかったけれど、人の集まる観光地は嫌なので峠の旧道を走ってみる。

色が付き始めていてなかなかいい感じだ。
でも写真にはうまく収まってくれない。
写真と言ってもスマホだけどね。

いつも思うけれど写真を撮ろうなんて思っていると、そればかりに意識が集中して写真を撮ってた記憶しか残らなかっったり、写真を撮ることに縛られた行動になってしまったりする・・のでダメだ。
と言って何にも取らずに見るだけだと後で寂しい。
いい天気の下、太陽の光を浴びて湿った心も柔らかくなった気がした。
空の青、木々の赤、黄、緑、土の茶・・色々見てなんとなく満足。
帰りに気に入ったカフェにまた寄ってみる。

おっさんなのに毎回ケーキ食ってるところがあれですか。
コーヒーもおいしかった。何度も通ってると俺でも名前と味がわかるようになるのかなぁ・・
このお店、迫力のある生け花みたいなのから始まってその辺にある小さな置物までなんか凄みを感じるんですよ。本物感というか・・
囲炉裏の炭にも火が入ってた。
ものすごく居心地がいいというだけでなくてなんか心もほぐされそうです。
休日はすごく混むみたいで近寄れない。いまいいお店はSNSですぐ有名になるんでしょう。
隣のお客さんは店主?といい感じで話をしていた。
俺は話しかけるなオーラが透けて見えている思うけど多分そういうのも簡単に見ぬいて一番居心地のいい形にしといてくれる気がする。静かですいてる日に行ける機会があったらまた行きたい。
若い若いブラームスが書いたピアノソナタ第3番
この曲も本当に彼らしく、運命に縛られ苦悩と戦う・・みたいなテーマで書かれていますが、ちょっとやりすぎというか頑張りすぎというか笑っちゃう・・笑っちゃいけないのか・・若いよねー。
まだ二十歳の、これから世に出て暴れてやるんだという若者の情熱があふれちゃってますよね。
40歳を超えて交響曲を書いてた頃のブラームスとは別人のロマン派の星みたいなブラームスですよ。
いろんな部分でもうピアノの世界にとどまっていられずオーケストラの音響を感じさせる。
左手がやたらに超低域でごうごう言っいて若獅子が自分の強さを見せつけようとしているところみたいだ・・
その第2楽章。
あふれるエネルギーをどこに持って行っていいかわからない暴発しそうな若者・・の、恋の場面ですね。

この小節線より1拍ずれてる感じの旋律が何かやってやろうって感じですよね。
右上にごちゃごちゃ書いてあるのはどこかの詩人による恋の詩らしいですよ。
若いねー。

後半恋の歌を情熱的に歌って行く場面。チャイコフスキーの交響曲第5番ややマーラーの交響曲6番のAndante楽章のしめで熱く歌われているあれとおんなじ世界だ・・聴いていてオケの音楽を感じさせられる。書いた本人もそんなことを感じて書いてると思う。
そのクライマックス、思いが抑えられずに叫んじゃってどうにもならないところ・・
楽譜の詩に抱き合うとあるからそういう事でしょう。
この場面が変ニ長調であることに注目しておきたい。
その後のブラームスという人は、こういうの人前で見せちゃいけないと自分に言い聞かせているようなおっさんになっていくんだけど・・まだやってんだね。
それより色々見てたら、

こんなさらに派手な表現で暴れてる版があったんですよ、
改訂してるのかな?よくわからない。
交響曲第4番を書いているあのブラームスはかつて自分の書いたこれをどう見ていたんだろう・・
もしかしていたたまれなくなって、表現を一段落としたの?
その前にどちらが新しい版なんだろう?昔見た楽譜はfffの方だった。
これ本人以外の手によるものなのかな?
人生というか生きてくためには自分にとって大切な心地よい時間というのが必要だ。
ほっといてもそういうのがどんどんやってくる人もいるのかもしれないけれど、私のところへは待っていても来てくれない。
自分で勝手に何かしてこれが心地よい時間なんだと思わないと・・
ちょっと気がゆるんだり弱気になると、楽しかったはずなのに、俺何やってるんだろ?みたいな虚しさが襲ってきたりする。
先程ちょっとそうなりかけた。
危ういんだよ心って。
ネガティブ側に転ぶと雪だるま式にい落ちて言ったりするから・・
このブラームスのソナタが頭の中で流れたらそのむなしさもどこかへ行っちゃってくれた。
ありがとう音楽。
頑張りましょう私。
また雨だっていうし、太陽が出ている間にどうしてもどこかへ行ってみたかった。
なんかこう心も湿っちゃって変になっちゃいそうだったので。
紅葉を見てみたかったけれど、人の集まる観光地は嫌なので峠の旧道を走ってみる。

色が付き始めていてなかなかいい感じだ。
でも写真にはうまく収まってくれない。
写真と言ってもスマホだけどね。

いつも思うけれど写真を撮ろうなんて思っていると、そればかりに意識が集中して写真を撮ってた記憶しか残らなかっったり、写真を撮ることに縛られた行動になってしまったりする・・のでダメだ。
と言って何にも取らずに見るだけだと後で寂しい。
いい天気の下、太陽の光を浴びて湿った心も柔らかくなった気がした。
空の青、木々の赤、黄、緑、土の茶・・色々見てなんとなく満足。
帰りに気に入ったカフェにまた寄ってみる。

おっさんなのに毎回ケーキ食ってるところがあれですか。
コーヒーもおいしかった。何度も通ってると俺でも名前と味がわかるようになるのかなぁ・・
このお店、迫力のある生け花みたいなのから始まってその辺にある小さな置物までなんか凄みを感じるんですよ。本物感というか・・
囲炉裏の炭にも火が入ってた。
ものすごく居心地がいいというだけでなくてなんか心もほぐされそうです。
休日はすごく混むみたいで近寄れない。いまいいお店はSNSですぐ有名になるんでしょう。
隣のお客さんは店主?といい感じで話をしていた。
俺は話しかけるなオーラが透けて見えている思うけど多分そういうのも簡単に見ぬいて一番居心地のいい形にしといてくれる気がする。静かですいてる日に行ける機会があったらまた行きたい。
若い若いブラームスが書いたピアノソナタ第3番
この曲も本当に彼らしく、運命に縛られ苦悩と戦う・・みたいなテーマで書かれていますが、ちょっとやりすぎというか頑張りすぎというか笑っちゃう・・笑っちゃいけないのか・・若いよねー。
まだ二十歳の、これから世に出て暴れてやるんだという若者の情熱があふれちゃってますよね。
40歳を超えて交響曲を書いてた頃のブラームスとは別人のロマン派の星みたいなブラームスですよ。
いろんな部分でもうピアノの世界にとどまっていられずオーケストラの音響を感じさせる。
左手がやたらに超低域でごうごう言っいて若獅子が自分の強さを見せつけようとしているところみたいだ・・
その第2楽章。
あふれるエネルギーをどこに持って行っていいかわからない暴発しそうな若者・・の、恋の場面ですね。

この小節線より1拍ずれてる感じの旋律が何かやってやろうって感じですよね。
右上にごちゃごちゃ書いてあるのはどこかの詩人による恋の詩らしいですよ。
若いねー。

後半恋の歌を情熱的に歌って行く場面。チャイコフスキーの交響曲第5番ややマーラーの交響曲6番のAndante楽章のしめで熱く歌われているあれとおんなじ世界だ・・聴いていてオケの音楽を感じさせられる。書いた本人もそんなことを感じて書いてると思う。
そのクライマックス、思いが抑えられずに叫んじゃってどうにもならないところ・・
楽譜の詩に抱き合うとあるからそういう事でしょう。
この場面が変ニ長調であることに注目しておきたい。
その後のブラームスという人は、こういうの人前で見せちゃいけないと自分に言い聞かせているようなおっさんになっていくんだけど・・まだやってんだね。
それより色々見てたら、

こんなさらに派手な表現で暴れてる版があったんですよ、
改訂してるのかな?よくわからない。
交響曲第4番を書いているあのブラームスはかつて自分の書いたこれをどう見ていたんだろう・・
もしかしていたたまれなくなって、表現を一段落としたの?
その前にどちらが新しい版なんだろう?昔見た楽譜はfffの方だった。
これ本人以外の手によるものなのかな?
人生というか生きてくためには自分にとって大切な心地よい時間というのが必要だ。
ほっといてもそういうのがどんどんやってくる人もいるのかもしれないけれど、私のところへは待っていても来てくれない。
自分で勝手に何かしてこれが心地よい時間なんだと思わないと・・
ちょっと気がゆるんだり弱気になると、楽しかったはずなのに、俺何やってるんだろ?みたいな虚しさが襲ってきたりする。
先程ちょっとそうなりかけた。
危ういんだよ心って。
ネガティブ側に転ぶと雪だるま式にい落ちて言ったりするから・・
このブラームスのソナタが頭の中で流れたらそのむなしさもどこかへ行っちゃってくれた。
ありがとう音楽。
頑張りましょう私。
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