構成
ラヴェルの夜のガスパール、第3曲はスカルボという曲です。
Scarboで画像検索すると何だかかわいいようで怖いようで憎たらしいようなのが出てきます。
あれは元ネタの詩を書いたベルトランによるもの?
これは先日行った山の中のカフェのさらに先にあった砂防ダム。

これスカルボみたいでしょ?
この曲みんな大好きみたいで検索をすると
超絶難曲として知られている、スカルボは飛び回っていたずらをする悪魔・・・みたいな話が沢山出てきます。
夜のガスパールをソナタ形式-緩徐楽章- ロンド形式で構成されていると書いている人がいました。
いたっていいんですよね。
そしてそれを引用したブログもいくつか・・
ソナタ形式-緩徐楽章- ロンド形式で書かれた昔のソナタを意識している・・とか、古典的なソナタを思わせる・・
というならわかるんですけど・・私はこれを聴いてロンド楽章だとは感じないです。
ついでにオンディーヌがソナタ形式だと書いてあるのも読んだけれど、私はあれを聴いていてソナタ形式を感じたりもしないです。
私は時々Wikipediaと意見が合わない。
合わなくてもいいのか。
お前は馬鹿だからそんな風にしか感じないんだろうと思う人もいるんだろうけど、そりゃそれで仕方ない。
厳密には違うのかもしれないけれど、私にはこのスカルボはとても分かりやすい序奏付きのソナタ形式のように感じられます。
各主題の調整関係が・・とか、そんなのいいや。

ここは序奏。典型的な・・

これは第1主題じゃなくて導入主題的な・・スカルボ登場!みたいな・・
序奏冒頭に怪しく登場してるのもこれの断片ですよね。

このひょうひょうとした・・スカルボの姿ですよねこれを第1主題ととらえると

この飛び跳ねるような動きを持った和音的なテーマは第2主題。
第2主題が終わると展開部は第1主題で始まります。すぐに砕けていろんなことしだすのがいかにも展開部でしょう・・・
そこへだんだん第2主題が絡んできます。

このあたりは導入主題も出てきて3つの主題が絡み合ってものすごいことになっています。
音楽的にも技術的にも山場ですよね?
素晴らしい・・・これソナタ形式の展開部そのものでしょう?
第2主題で盛り上がり導入主題みたいなのが出たところで展開部が終了。
再び序奏が現れます・・

序奏の後、再現される第1主題は音価が倍に膨れ上がっている・・・
スカルボは膨れて巨大化し・・・と詩の中にあるのと対応してる。
その後何かさらに巨大化していくようなシーンの後突然第2主題の再現になだれ込むところも面白い。
最後は3つの主題が遠くに見えるように回想され、すっと消える。
序奏付きのソナタ形式なんてラヴェルから一番遠いところにありそうな気がするし、実際これはそんなものじゃないのかもしれない。
でもそれがここにあるような気がするのが私の中で面白い。
こういう曲ですからスポーツ観戦というかすごく難しそうなのをガンガン弾いているところを見て聴いて喜ぶというか・・悪く言えばサーカス的な聴き方もします。
難しいものを難しそうに弾いて見せてくれるのもいいけれど、手が鍵盤に吸い付くような・・とかなんかものすごく簡単なものを簡単に弾いてるように見えるのも萌えます。この動画がそうだとか言う事じゃなくて。
とはいえテクニックばっかりに注目したような聴き方だけで終わるような曲じゃないと思う。
ラヴェルをベートーベンみたいに聴いたらおかしいとは思う。
でも絶対音楽的に聴いても楽しめる内容を持ってるとも思うんです。
ラヴェルもピアノを弾いたみたいでピアノロールだったか録音だったか残っていたりするけれど、リストやブラームスみたいに自身が超絶技巧ピアニストなわけじゃなかったみたいだ。
ピアノコンチェルトを自分で初演すると言い出した時にはみんながなんとか辞めさせたいと考えたという。
作曲家が技術的限界にせまって作曲するときって何をどう考えて進めんのかな?
ストラヴィンスキーがペトルーシュカから三章を書いたときは、書いたそばからアルトゥール・ルービンシュタインが弾いてみたとかいうのを読んだことがあります。
きっと誰か心を許したすごい弾き手とやり取しながら書いたんだろななんて想像したりして。
これも例の人がオルガンで弾いていました。
面白さというかあぁいいなーという感じではオンディーヌのほうがよかったような。
Scarboで画像検索すると何だかかわいいようで怖いようで憎たらしいようなのが出てきます。
あれは元ネタの詩を書いたベルトランによるもの?
これは先日行った山の中のカフェのさらに先にあった砂防ダム。

これスカルボみたいでしょ?
この曲みんな大好きみたいで検索をすると
超絶難曲として知られている、スカルボは飛び回っていたずらをする悪魔・・・みたいな話が沢山出てきます。
夜のガスパールをソナタ形式-緩徐楽章- ロンド形式で構成されていると書いている人がいました。
いたっていいんですよね。
そしてそれを引用したブログもいくつか・・
ソナタ形式-緩徐楽章- ロンド形式で書かれた昔のソナタを意識している・・とか、古典的なソナタを思わせる・・
というならわかるんですけど・・私はこれを聴いてロンド楽章だとは感じないです。
ついでにオンディーヌがソナタ形式だと書いてあるのも読んだけれど、私はあれを聴いていてソナタ形式を感じたりもしないです。
私は時々Wikipediaと意見が合わない。
合わなくてもいいのか。
お前は馬鹿だからそんな風にしか感じないんだろうと思う人もいるんだろうけど、そりゃそれで仕方ない。
厳密には違うのかもしれないけれど、私にはこのスカルボはとても分かりやすい序奏付きのソナタ形式のように感じられます。
各主題の調整関係が・・とか、そんなのいいや。

ここは序奏。典型的な・・

これは第1主題じゃなくて導入主題的な・・スカルボ登場!みたいな・・
序奏冒頭に怪しく登場してるのもこれの断片ですよね。

このひょうひょうとした・・スカルボの姿ですよねこれを第1主題ととらえると

この飛び跳ねるような動きを持った和音的なテーマは第2主題。
第2主題が終わると展開部は第1主題で始まります。すぐに砕けていろんなことしだすのがいかにも展開部でしょう・・・
そこへだんだん第2主題が絡んできます。

このあたりは導入主題も出てきて3つの主題が絡み合ってものすごいことになっています。
音楽的にも技術的にも山場ですよね?
素晴らしい・・・これソナタ形式の展開部そのものでしょう?
第2主題で盛り上がり導入主題みたいなのが出たところで展開部が終了。
再び序奏が現れます・・

序奏の後、再現される第1主題は音価が倍に膨れ上がっている・・・
スカルボは膨れて巨大化し・・・と詩の中にあるのと対応してる。
その後何かさらに巨大化していくようなシーンの後突然第2主題の再現になだれ込むところも面白い。
最後は3つの主題が遠くに見えるように回想され、すっと消える。
序奏付きのソナタ形式なんてラヴェルから一番遠いところにありそうな気がするし、実際これはそんなものじゃないのかもしれない。
でもそれがここにあるような気がするのが私の中で面白い。
こういう曲ですからスポーツ観戦というかすごく難しそうなのをガンガン弾いているところを見て聴いて喜ぶというか・・悪く言えばサーカス的な聴き方もします。
難しいものを難しそうに弾いて見せてくれるのもいいけれど、手が鍵盤に吸い付くような・・とかなんかものすごく簡単なものを簡単に弾いてるように見えるのも萌えます。この動画がそうだとか言う事じゃなくて。
とはいえテクニックばっかりに注目したような聴き方だけで終わるような曲じゃないと思う。
ラヴェルをベートーベンみたいに聴いたらおかしいとは思う。
でも絶対音楽的に聴いても楽しめる内容を持ってるとも思うんです。
ラヴェルもピアノを弾いたみたいでピアノロールだったか録音だったか残っていたりするけれど、リストやブラームスみたいに自身が超絶技巧ピアニストなわけじゃなかったみたいだ。
ピアノコンチェルトを自分で初演すると言い出した時にはみんながなんとか辞めさせたいと考えたという。
作曲家が技術的限界にせまって作曲するときって何をどう考えて進めんのかな?
ストラヴィンスキーがペトルーシュカから三章を書いたときは、書いたそばからアルトゥール・ルービンシュタインが弾いてみたとかいうのを読んだことがあります。
きっと誰か心を許したすごい弾き手とやり取しながら書いたんだろななんて想像したりして。
これも例の人がオルガンで弾いていました。
面白さというかあぁいいなーという感じではオンディーヌのほうがよかったような。
Comment
スカルボの譜面は初めて見ましたが、ラヴェルはどちらかと言えば、厳格なリズムでは再現することの困難なパッセージを実に厳格かつ精緻な筆致で仕上げていますよね。自身の理想を楽譜で表現するということにかけては本当に天才だと思います。
協奏曲の初演を止められたという話も初めて聞きます。左手協奏曲の初演前に、演奏者のヴィトゲンシュタインによく理解して欲しいと思い、ちゃんとことわってから丹念に「両手で」弾いたとか。自分で作ったものとはいえ、片手の作品を両手で弾くって、ちょっと困難なのではと思うのですが。さすがとしか言えません。
quietplaceさん、こんばんは
ラヴェルも、ピアノの曲もオーケストラのスコアも見ていて飽きない作曲家ですね、
楽譜の風景だけで楽しませてくれます。
協奏曲の初演の時の話は、唯一作曲のレッスンを受けた弟子のマニュエル・ロザンタールという人の本に出てきます。
急にショパンのエチュードを勉強し始めた・・みたいな。
ラヴェルの近くにずっといた人でラベルへの尊敬と愛情が強く表れた素晴らしい本でした。