Szene am Bach
犬と川沿いを散歩していたら

後ろの倉庫が笑っていて

カワセミがいて

ねこもいて
人はいなかった。
気持ちのいい時間でした。
小川の情景
もう今じゃワルターなんて古臭くておかしな演奏なのかも。
高校生の頃毎日聴いた。
今でも聴きます。

冒頭から和音のイメージがあるけど、
最初の一音はみんなBなんだな・・
吹奏楽部とか、音大いったとかいう人はB♭をBとドイツ読みで扱ってべーと読みます。
BナチュラルはHと書いてハー
ついでにEフラットならEsエス。
これをSと読んで意味を持たせるとかやってる作品があるからいろんな国でドイツ読みするのかも。
私にとっては変ロかB♭だけど。
明治に入り西洋文化を入れろとなったとき音楽はドイツに学べと判断・指示した人がいたんでしょう。
当時ブラームスが全盛期くらいか。クラシックがクラシックじゃなくて現代音楽だったころ。
いまもその名残でそうなんだろうけど、
実際クラシックなんて大嫌い!でつまらないと感じている人達でした私の見たベーとか言ってる人は。
どうでもいいいけれど磁性体材料とか話しているとB-H曲線とかいうのがよく出てきます。
べーハーとか言いながらいつも音楽を思い出す。
鉄道関係は始めにイギリスから入れたしイギリス思考ですよね。。北海道と九州はちょっと違うかも。
医者はカルテにドイツ語で書くんでしたっけ?・・最近はなんかパソコンでプルダウンメニューみたいなので選んでくみたいなのだよな・・
この後出かけたんですが、いったお店も見に行った場所も通った道も
みんな失敗っぽかった。
そんな日もあるよね。
嫌な事ばっかり考えていたりするから蕁麻疹にもなるし、嫌なことも呼ぶんでしょう。
散歩気持ちよかったし、眼鏡もなおった・・
よかった。

後ろの倉庫が笑っていて

カワセミがいて

ねこもいて
人はいなかった。
気持ちのいい時間でした。
小川の情景
もう今じゃワルターなんて古臭くておかしな演奏なのかも。
高校生の頃毎日聴いた。
今でも聴きます。

冒頭から和音のイメージがあるけど、
最初の一音はみんなBなんだな・・
吹奏楽部とか、音大いったとかいう人はB♭をBとドイツ読みで扱ってべーと読みます。
BナチュラルはHと書いてハー
ついでにEフラットならEsエス。
これをSと読んで意味を持たせるとかやってる作品があるからいろんな国でドイツ読みするのかも。
私にとっては変ロかB♭だけど。
明治に入り西洋文化を入れろとなったとき音楽はドイツに学べと判断・指示した人がいたんでしょう。
当時ブラームスが全盛期くらいか。クラシックがクラシックじゃなくて現代音楽だったころ。
いまもその名残でそうなんだろうけど、
実際クラシックなんて大嫌い!でつまらないと感じている人達でした私の見たベーとか言ってる人は。
どうでもいいいけれど磁性体材料とか話しているとB-H曲線とかいうのがよく出てきます。
べーハーとか言いながらいつも音楽を思い出す。
鉄道関係は始めにイギリスから入れたしイギリス思考ですよね。。北海道と九州はちょっと違うかも。
医者はカルテにドイツ語で書くんでしたっけ?・・最近はなんかパソコンでプルダウンメニューみたいなので選んでくみたいなのだよな・・
この後出かけたんですが、いったお店も見に行った場所も通った道も
みんな失敗っぽかった。
そんな日もあるよね。
嫌な事ばっかり考えていたりするから蕁麻疹にもなるし、嫌なことも呼ぶんでしょう。
散歩気持ちよかったし、眼鏡もなおった・・
よかった。
Comment
仕事で英語を扱うこともあるせいか、リッピングした音源のタグはほぼ英語で入力しています。時々BやHを「どっちだったっけ?」とネットでチェックすることがありますね。口をついて出てくるのはバスーン(ファゴットがピンと来なかったりする)やイングリッシュホーン等、楽器もほとんど英語表記に慣れてしまっていますが、コールアングレやタンブールとか、多国語の味わいのある呼び方がありますよね。
quietplaceさん、こんばんは
さすがですね。
私はリッピングソフトがいくつか候補を拾ってくるので良さそうなのを選んで終わりです。
リッピング時のタグがいい加減だと後で苦労しますよね。
私は短期間で一気にリッピングしたのでリッピング時の作業に使い勝手の配慮が全く反映されていなくて
一部何だかわからないものがあります。
ありがとうございました。
ワタクシの高校生時代、昭和25年の暮(この時は高校2年生でした)、と言っても10月頃だろうか(レコード販売のタイミングもありますから)、ベートーヴェン交響曲9番合唱付が、トスカニーニ版とワルター版で同時に発売されました。
その頃ワタクシは学校から毎週土曜日4時間目を貸し与えられていて、レコードコンサートを開催することができましたので、毎週、教員会議室でレコードコンサートを開催していまして、レコードは尾張町という町のレコード販売店で毎月発売される新譜レコードの試聴版(白レーベルで販売店には配布されているのです)を借りてきて、解説書(ガリ版で多色刷りのものを自作していました)を印刷して、ワタクシのコンサートに来てくれた生徒たちに配布しながら好き勝手に音楽のことをしゃべりながらレコードを鳴らしていたのでした。
その頃のレコードはSP盤で片面4分ほどでした。
トスカニーニは早く棒を振る人だったので、ベートーヴェン9番交響曲は8枚で収まったのでしたが、ワルターは8枚半で、残りの半枚はブラームスの大学祝典序曲が入っていました。
レコード屋から金曜日の晩に両方一度に借りてきて、学校の会議室(ここにコンサート用のアンプ・スピーカーなど設備一式あります)で、まずトスカニーニ、次にワルター、聞き終えたところで、トスカニーニはどうだったかな?でもう一度聞き、ワルターもいいね、でまたワルターを聞き、とうとう一晩、誰もいない学校でトスカニーニとワルターで夜を明かしたことがありました。
その頃の学校の教師は、そんなワタクシにも寛大で、黙って学校に泊まり込んでいても何も言わなかったし、授業をサボっても文句も言わなかったのでした。
いよいよ高校を卒業する段になって、学校はワタクシのために全校生徒を講堂に集めてレコードコンサートをする企画をしてくれたのでした。
この時、R.シュトラウスのドン・キホーテ、オーマンディ、フィラデルフィアも選んで入れたので、その後暫く、ワタクシはドンキホーテの渾名で呼ばれる羽目になったのでした。
ヨリックさん、こんばんは
私の知っているワルターは最晩年のステレオ録音のワルターなんですね。
そのまえのニューヨークフィルとの録音の少しだけ持っていますが、
晩年とは全く違ったらしい破天荒なワルターの現役当時からヨリックさんは効いておられるんですよね。
何せマーラーと親友のようであり、ブルックナーやブラームスが生きている頃を知っているワルターとヴェルディから直接指示を受けたこともあるトスカニーニと・・ああすごいですね。
全校生徒が・・と言うのもすごいですね。
私の時代はもうクラシックなんて聞いているのは変わっているを通り越してちょっとおかしいといわれるくらいでした。
ステキな思い出をお持ちで、とてもうらやましいです。
SPって片面4分なんですか・・・
ありがとうございました。