雨がいろんなことを教えてくれる。
ストーブつけるようなちょっと寒いような日。
朝方いやな夢を見て暗い気分のまま起きると、いつもは寝そべってる犬がすごい笑顔で絡みついてきてじゃれてくれた。長い時間ずーっと・・
わかるのかな?

そういうところ、人よりすごいもんね。
ありがとう。

雨だけど嫁さんが先週いったばかりのこの店にまた行きたいといいだした。
同じ店に繰り返し行くのはつまんないみたいなことをこないだ行ってたばかりなのに・・よっぽどよかったんだね。
そこそこ遠く雨の中の峠越えはあんまり気も進まないけど、まあ嫁ファーストというか。

今日はお客さん誰もいない。
時間も遅いからね。
窓の外は雨。

オムライスを頼んだ嫁さんには先にスープとサラダが。
細かい説明をしてくれるのは私たちが先週来たことは覚えてないという事だけどまあそりゃそうですよね。

先日終わ茶ってた気まぐれランチが今日はあった。
色々食えておいしかったよ。

オムライス登場。
いいじゃない。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1097&v=HVpz5KEwDxQ
ブラームスのヴァイオリンソナタ第1番。先日このお店に来たときはその第1楽章のような気分だった。
また来た今日は続きの3楽章。この楽章には「雨の歌」という歌曲の旋律が使われているとかその歌曲は誰に送られたかとか・・という話は今は置いといて。
雨音を聴きつつ、部屋の中で一人語るようなこの歌は大きな恋も経て色々あったよという人のものだと感じる。
今更めそめそ悲しむとか嘆きわめくとかじゃく、ちょっと悟ったような大人の語りというか。
でもそれだけじゃない。瞑想的な第2楽章のテーマが鳴ると力強く進もうとするんだよね。
過ぎ去った日々、もしかすると失ったものを振り返りつつも未来に希望を持ち、活力も持った充実した人の姿を感じ・・それは作曲当時の作者にも重なるところがあると思う。
晩年に書かれた3番は悲痛だもんね。
考えてみると年齢的には今の私にも重なる。
けど俺はこんな歌持ってないよ。
ゴールデンウィークは里帰りというか孫を見せに帰る的な時期でもあるんでしょう。
近所で見かけた犬と5歳くらいの子を連れたあのお母さんはランドセルをしょって小学校に通っていくのを毎朝見かけたあの子なんだよね?つい最近だったはずなのに。
みんなああやって進んでいくし時間はどんどん過ぎて行き乗っからなければ落ちて止まってるだけ。
5歳くらいでなにかが停止したまま40年すぎちゃったような俺はもう無駄だから死んだ方が・・・いいわけあるか。
人間は生きる理由を見失うと自分の体を自分で蝕み自滅させようとすると思う。
自分は無駄だという発想自体がそれなのかもしれない。
今ここで死んだらほんとに惨めじゃないか。
これを始めて聴いたのは14か15歳くらいだったかな、まだ頭のいかれる前。
同じころ、ブラームスってのは人生をかけて聴いていくものらしいというのをどこかで印象深く読んだことが忘れられない。
まだ自分に40代が来ること自体全然リアリティーもなかったと思う。その後自分が予想外なところへ落ちてゆくのを止めらず這いあがれもしないままだけれど、それでも今なりの、あの頃とは違うブラームスが聴こえてくるようになったよ。
音楽は輝かしく素晴らしい人生を送れた人のためだけあるのではないところが素晴らしいよね。

最後にまた2楽章が出てくると明るい光の中静かに終わってゆく。
むかし、二十歳くらいの頃にはこの終わり方が落ちのない映画みたいに思えて不満だった。
これだけいろいろ語ってきたのにやりかけで辞めちゃうみたいじゃないかなんて・・
だけど歳食ってくると思うんだよね。
こんな気持ちで締められるって、それが何よりだよね。
先週おまけじゃなくて本格的だと感激したデザートは

おまけっぽかった・・とか言わなくていいのね。
桜のムース。
桜が入ってるんですか?なんてわかってても聞いてみるとそこから会話が始まり、奥さんとしばらく話せた。
お店の前のあの桜ですか?
そんなわけないでしょみたいな。
でも近所のお菓子屋さんが八重桜の葉をもらいに来たとか・・
人と話すなんて当たり前なんでしょうけど、病的なところから出られず仕事以外で人と話す機会はほとんどないから。
人がこちらを人間と認識して普通に話をしてくれてる・・と自分の頭が感じるとなんか出てくんの。
なにかは知らない。
会計を済ますと奥さんは玄関先まで見送ってくれる。
今日は外まで来ないんのかそりゃそうだ雨だもんね。
車に乗ろうと小走りに走る後ろにふとシェフの気配を感じる。
見るとひさしがあるとはいえ土砂降りの雨が帽子にかかるのを気にしつつシェフは外に立って見送ってくれていた。
軽い会釈をしながら車をゆっくり走らせ・・普通は車走り出したら店に入っちゃうような雨だ・・外へ出て店の方を見ると・・あ
まだ立っていてくれるシェフがこちらに深い会釈を・・
その間十数秒かもしれないけれど・・あんな雨で。
そこに感激するのが客観的にどうなのかはわからないけれどその姿がずっと心に残った。
なんとなく沸いていたもう来ない感は消えていた。
いいことって突然ぽっとあったりするから、まだあんまり腐らずに・・
朝方いやな夢を見て暗い気分のまま起きると、いつもは寝そべってる犬がすごい笑顔で絡みついてきてじゃれてくれた。長い時間ずーっと・・
わかるのかな?

そういうところ、人よりすごいもんね。
ありがとう。

雨だけど嫁さんが先週いったばかりのこの店にまた行きたいといいだした。
同じ店に繰り返し行くのはつまんないみたいなことをこないだ行ってたばかりなのに・・よっぽどよかったんだね。
そこそこ遠く雨の中の峠越えはあんまり気も進まないけど、まあ嫁ファーストというか。

今日はお客さん誰もいない。
時間も遅いからね。
窓の外は雨。

オムライスを頼んだ嫁さんには先にスープとサラダが。
細かい説明をしてくれるのは私たちが先週来たことは覚えてないという事だけどまあそりゃそうですよね。

先日終わ茶ってた気まぐれランチが今日はあった。
色々食えておいしかったよ。

オムライス登場。
いいじゃない。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1097&v=HVpz5KEwDxQ
ブラームスのヴァイオリンソナタ第1番。先日このお店に来たときはその第1楽章のような気分だった。
また来た今日は続きの3楽章。この楽章には「雨の歌」という歌曲の旋律が使われているとかその歌曲は誰に送られたかとか・・という話は今は置いといて。
雨音を聴きつつ、部屋の中で一人語るようなこの歌は大きな恋も経て色々あったよという人のものだと感じる。
今更めそめそ悲しむとか嘆きわめくとかじゃく、ちょっと悟ったような大人の語りというか。
でもそれだけじゃない。瞑想的な第2楽章のテーマが鳴ると力強く進もうとするんだよね。
過ぎ去った日々、もしかすると失ったものを振り返りつつも未来に希望を持ち、活力も持った充実した人の姿を感じ・・それは作曲当時の作者にも重なるところがあると思う。
晩年に書かれた3番は悲痛だもんね。
考えてみると年齢的には今の私にも重なる。
けど俺はこんな歌持ってないよ。
ゴールデンウィークは里帰りというか孫を見せに帰る的な時期でもあるんでしょう。
近所で見かけた犬と5歳くらいの子を連れたあのお母さんはランドセルをしょって小学校に通っていくのを毎朝見かけたあの子なんだよね?つい最近だったはずなのに。
みんなああやって進んでいくし時間はどんどん過ぎて行き乗っからなければ落ちて止まってるだけ。
5歳くらいでなにかが停止したまま40年すぎちゃったような俺はもう無駄だから死んだ方が・・・いいわけあるか。
人間は生きる理由を見失うと自分の体を自分で蝕み自滅させようとすると思う。
自分は無駄だという発想自体がそれなのかもしれない。
今ここで死んだらほんとに惨めじゃないか。
これを始めて聴いたのは14か15歳くらいだったかな、まだ頭のいかれる前。
同じころ、ブラームスってのは人生をかけて聴いていくものらしいというのをどこかで印象深く読んだことが忘れられない。
まだ自分に40代が来ること自体全然リアリティーもなかったと思う。その後自分が予想外なところへ落ちてゆくのを止めらず這いあがれもしないままだけれど、それでも今なりの、あの頃とは違うブラームスが聴こえてくるようになったよ。
音楽は輝かしく素晴らしい人生を送れた人のためだけあるのではないところが素晴らしいよね。

最後にまた2楽章が出てくると明るい光の中静かに終わってゆく。
むかし、二十歳くらいの頃にはこの終わり方が落ちのない映画みたいに思えて不満だった。
これだけいろいろ語ってきたのにやりかけで辞めちゃうみたいじゃないかなんて・・
だけど歳食ってくると思うんだよね。
こんな気持ちで締められるって、それが何よりだよね。
先週おまけじゃなくて本格的だと感激したデザートは

おまけっぽかった・・とか言わなくていいのね。
桜のムース。
桜が入ってるんですか?なんてわかってても聞いてみるとそこから会話が始まり、奥さんとしばらく話せた。
お店の前のあの桜ですか?
そんなわけないでしょみたいな。
でも近所のお菓子屋さんが八重桜の葉をもらいに来たとか・・
人と話すなんて当たり前なんでしょうけど、病的なところから出られず仕事以外で人と話す機会はほとんどないから。
人がこちらを人間と認識して普通に話をしてくれてる・・と自分の頭が感じるとなんか出てくんの。
なにかは知らない。
会計を済ますと奥さんは玄関先まで見送ってくれる。
今日は外まで来ないんのかそりゃそうだ雨だもんね。
車に乗ろうと小走りに走る後ろにふとシェフの気配を感じる。
見るとひさしがあるとはいえ土砂降りの雨が帽子にかかるのを気にしつつシェフは外に立って見送ってくれていた。
軽い会釈をしながら車をゆっくり走らせ・・普通は車走り出したら店に入っちゃうような雨だ・・外へ出て店の方を見ると・・あ
まだ立っていてくれるシェフがこちらに深い会釈を・・
その間十数秒かもしれないけれど・・あんな雨で。
そこに感激するのが客観的にどうなのかはわからないけれどその姿がずっと心に残った。
なんとなく沸いていたもう来ない感は消えていた。
いいことって突然ぽっとあったりするから、まだあんまり腐らずに・・
Comment
犬の名前は、なんていうのかな? とっても良い表情しているんで、いつも嬉しくなってしまいます。
今回の料理の写真は、とりわけ美味しそう。
ずっと以前、ショパンの前奏曲の際、一度お便りしたことがありました。
お店から出てからの光景は、映画のワンシーンか、一幅の絵画を観ているような印象がありますね。感動しました。
あなたの抱えていたもの、今抱えているものの多くを知る由もないけれど、クラシックが大好きで、そのことを含めて言葉で「表現する」ということに夢中でいらっしゃるご様子、ひどく共感するものです。
どうか、奥様を大切に。
bb5は最高さん、こんばんは
イ長調の曲の時ですよね。
おぼえていますよ。
いつも読んでいてだけてとてもうれしいです。
ありがとうございます。
大袈裟ですが、生きてる気がします。
犬はモモというんですが家族なので本名ではあんまり呼ばないんですね。
コメントをいただけてとてもうれしいですし、励みになります。
犬と嫁さんも喜ぶと(恥ずかしいのでブログは内緒なんですが)思います。
ありがとうございました。
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