世の中処刑場
最近暑すぎるせいか蚊が全くいない気がする。
暑いのは嫌だけどその点だけ見ると快適でありがたい。
お盆休みに入ったところくらいだったかアジア系料理みたいな店に行ってみた。
女性ばかりでいっぱい。
テーブルの隣に本棚があり、いくつも置いてある本を見るとどうもこのお店はベトナム狙いらしい。

アジアンガーリックポークというプレート。女性基準な量と思ったけれどゆっくり食べればこれで十分だった。
食べるとおいしいよ。おいしいけど豚のみそ漬けみたいな和食という味でエスニック感はない。
でもそれでいいと思う。
本当に異国情緒豊かな味だと俺は食えないと思うから。
トマトの上に乗っている三つ葉みたいなあれはパクチーであろう。
今のところ私にとってパクチーはどくだみのようにしか感じられず難しい課題だ。
嫁さんのカレーはココナッツミルクとパクチーと何だか猛烈に辛い何かと謎の香辛料と・・・江戸時代からの薬壺を開けて舐めたような味がした。
でも、いいのである。
思えば昔はマンゴーも自分にとっては異国感がありすぎな味で食べられなかった。しかし長い時間をかけていつの間にか食えるようになり、今は複数の飲み物からマンゴージュースを選ぶまでになり・・
無理やりでも何度も食っているといつか急にその良さに気付いて美味しいと思い始める可能性があると思う。
音楽も同じ。意味不明な騒音の連続にしか聞こえない曲も何度も聴いているとふとした一瞬に耳が留まり、そこをきっかけに急に曲への理解が進んだりする。20年目くらいで急に内容が見通せて好きになった曲もある。
真っ暗だったところに小さな明かりがともって何か見えたかと思ったら、急に日が昇っちゃってすごい景色が展開したみたいな感じ。
時間をかけてゆっくりと構えればいいのだ。

昔から何でも覚えるのに人より時間がかかるという事を自覚してきたけど、何にもできないわけじゃなくて時間をかければできるものも・・・
でも楽器やろうとして思うのはただ時間をかければいいというものではないらしいという事。
一生できないのではないという考えに変わりはないのだけれど、何かの工夫なしには永久に前へ進まない。
少し前のことだけど、楽器のレッスンへ向かう途中これから処刑台に向かうような気分と覚悟になっている自分に気付いた。
いつまでたってもかけらもちゃんとできない自分は処刑されてしかるべきみたいな・・・
即座に頭の中で断頭台への行進という曲がループして笑った。
https://www.youtube.com/watch?v=3iMsnCG3N3w
大変有名なベルリオーズの幻想交響曲だけど、嫌いと言う人も多い。
どこに面白さがあるか焦点の合わせようで違って見えると思うけれど、どう感じるかは人それぞれの自由ですよね。
時代背景から考えてもオーケストレーションが二世代くらい先を行くぶっ飛びアイディアだらけなのが笑う。作曲面でも終楽章なんか笑っちゃうけどね。
3楽章の終わりにティンパニを4人でたたいて雷という部分がやたらに有名だけれど、ネタ臭いというか正直聴いていてあまりおもしろいと思わない。
それより次の第4楽章からティンパニが常時二人体制となってとなって猛然と叩き始めるのが面白い。
まだペダルティンパニなんかなかったころにいろんな音を扱おうとすると二人必要だったとか言う以上のことをやっていて・・

旋律的な動きをするのもそうだけれど、

最後は3人で三和音をやっていて、ありそうでないというかこんなの異常事態でなんだこれ!とか言って喜ぶとこですよこれは。
でもそう思って聴かないと聞き流しちゃうでしょう?
実際ここは協和音というよりゴォーみたいな轟音が聴こえてくるんだけれど、実演でみる三人の奏者の撥が動いている様子は視覚的にもかなりの衝撃を受けると思う。
歌劇場指揮者としてワーグナーを振って影響をうけたマーラーだけれど、コンサートでは幻想交響曲を他と比べずば抜けた頻度で振ったようだ。
大好きだったんでしょうね。
彼の交響曲第2番、特に終楽章で

ここなんか自分もやってみたかったんだろうなぁ・・と思ったり。
マーラーはその後も2組のティンパニを駆使する曲を書いているけれど、一番ティンパニで遊んでいるのは2番の5楽章だと思う。

ここは当初から特別な音を響かせたかったらしいけれど、ティンパニに音階をやらせようと思ったのは後からのようだ。

もう一回これの最初の音は重音みたいに書いてあって、両手の撥で同時に叩けという意味にも見える・・・
でまたマーラーは4番の3楽章で

ティンパニに両手で同時に叩かせることで通常とはまたく異なる特別な場面だと視覚的に教える演出をしている。
ここは断頭台の上に据えられていよいよというところでしょう。最後の音が消える瞬間は首が落ちたところ・・
次に目覚める瞬間がいきなり笑えるし、その後もずっと・・・
とこういうの書いても誰が読むんだろうと思うけど、書いてて自分が楽しいからいいの。
この楽章は音色旋律とか冒頭からコントラバスが何だこれとかいろいろあって興味が尽きない。

女性だけで動かしているらしいこのお店、親しく友達みたいな間柄なのかもしれないけれど客に聞こえるような位置や音量で話していいことと悪いことがあ・・・といちいち気になる私は無駄に嫌なおっさんですね。そんな人来なくていいというところでしょう。
心が満たされないから人の粗ばかり気になっちゃうんだと思う。
二人でやっているのかと思っていたけれど、帰り際階段を下りているとすれ違った何人かのお店関係者らしい人の笑顔でのあいさつが気持ちよく、ネガティブみたいなのが一掃される。
詳細は書けないけれど最近大きな出来事が身近で起きた。
私がじゃないけれど他人事とは思えないし思ってはいけないんでしょうね。
どんなに強い信念をもって自分は正しいと主張しても、全体の意に添わなければそれは間違いとみなされ本人もろとも潰され流され排除されてしまうのが人間社会というものでしょう。
・・・あたりまえか。
そしてその先にあるのはもう二度と這い上がれないような奈落の底だったりする。
今足元にあり安定しているように見える地表は、すぐわきで谷へ向かって垂直に落ちているような狭いものなんじゃないか。
世の中も人生も、常に処刑場に直結した法廷みたいなものかもしれませんね。
全く予期していないのにふと気づけば被告人席に座っている。
対応を間違えば驚きの取り返しがつかない決定がなされるかもしれない。
媚び諂うではいけないと思うけれど、でも常に自分で自分を謙虚に監視していないと世の中リアルに怖いと思う。
暑いのは嫌だけどその点だけ見ると快適でありがたい。
お盆休みに入ったところくらいだったかアジア系料理みたいな店に行ってみた。
女性ばかりでいっぱい。
テーブルの隣に本棚があり、いくつも置いてある本を見るとどうもこのお店はベトナム狙いらしい。

アジアンガーリックポークというプレート。女性基準な量と思ったけれどゆっくり食べればこれで十分だった。
食べるとおいしいよ。おいしいけど豚のみそ漬けみたいな和食という味でエスニック感はない。
でもそれでいいと思う。
本当に異国情緒豊かな味だと俺は食えないと思うから。
トマトの上に乗っている三つ葉みたいなあれはパクチーであろう。
今のところ私にとってパクチーはどくだみのようにしか感じられず難しい課題だ。
嫁さんのカレーはココナッツミルクとパクチーと何だか猛烈に辛い何かと謎の香辛料と・・・江戸時代からの薬壺を開けて舐めたような味がした。
でも、いいのである。
思えば昔はマンゴーも自分にとっては異国感がありすぎな味で食べられなかった。しかし長い時間をかけていつの間にか食えるようになり、今は複数の飲み物からマンゴージュースを選ぶまでになり・・
無理やりでも何度も食っているといつか急にその良さに気付いて美味しいと思い始める可能性があると思う。
音楽も同じ。意味不明な騒音の連続にしか聞こえない曲も何度も聴いているとふとした一瞬に耳が留まり、そこをきっかけに急に曲への理解が進んだりする。20年目くらいで急に内容が見通せて好きになった曲もある。
真っ暗だったところに小さな明かりがともって何か見えたかと思ったら、急に日が昇っちゃってすごい景色が展開したみたいな感じ。
時間をかけてゆっくりと構えればいいのだ。

昔から何でも覚えるのに人より時間がかかるという事を自覚してきたけど、何にもできないわけじゃなくて時間をかければできるものも・・・
でも楽器やろうとして思うのはただ時間をかければいいというものではないらしいという事。
一生できないのではないという考えに変わりはないのだけれど、何かの工夫なしには永久に前へ進まない。
少し前のことだけど、楽器のレッスンへ向かう途中これから処刑台に向かうような気分と覚悟になっている自分に気付いた。
いつまでたってもかけらもちゃんとできない自分は処刑されてしかるべきみたいな・・・
即座に頭の中で断頭台への行進という曲がループして笑った。
https://www.youtube.com/watch?v=3iMsnCG3N3w
大変有名なベルリオーズの幻想交響曲だけど、嫌いと言う人も多い。
どこに面白さがあるか焦点の合わせようで違って見えると思うけれど、どう感じるかは人それぞれの自由ですよね。
時代背景から考えてもオーケストレーションが二世代くらい先を行くぶっ飛びアイディアだらけなのが笑う。作曲面でも終楽章なんか笑っちゃうけどね。
3楽章の終わりにティンパニを4人でたたいて雷という部分がやたらに有名だけれど、ネタ臭いというか正直聴いていてあまりおもしろいと思わない。
それより次の第4楽章からティンパニが常時二人体制となってとなって猛然と叩き始めるのが面白い。
まだペダルティンパニなんかなかったころにいろんな音を扱おうとすると二人必要だったとか言う以上のことをやっていて・・

旋律的な動きをするのもそうだけれど、

最後は3人で三和音をやっていて、ありそうでないというかこんなの異常事態でなんだこれ!とか言って喜ぶとこですよこれは。
でもそう思って聴かないと聞き流しちゃうでしょう?
実際ここは協和音というよりゴォーみたいな轟音が聴こえてくるんだけれど、実演でみる三人の奏者の撥が動いている様子は視覚的にもかなりの衝撃を受けると思う。
歌劇場指揮者としてワーグナーを振って影響をうけたマーラーだけれど、コンサートでは幻想交響曲を他と比べずば抜けた頻度で振ったようだ。
大好きだったんでしょうね。
彼の交響曲第2番、特に終楽章で

ここなんか自分もやってみたかったんだろうなぁ・・と思ったり。
マーラーはその後も2組のティンパニを駆使する曲を書いているけれど、一番ティンパニで遊んでいるのは2番の5楽章だと思う。

ここは当初から特別な音を響かせたかったらしいけれど、ティンパニに音階をやらせようと思ったのは後からのようだ。

もう一回これの最初の音は重音みたいに書いてあって、両手の撥で同時に叩けという意味にも見える・・・
でまたマーラーは4番の3楽章で

ティンパニに両手で同時に叩かせることで通常とはまたく異なる特別な場面だと視覚的に教える演出をしている。
ここは断頭台の上に据えられていよいよというところでしょう。最後の音が消える瞬間は首が落ちたところ・・
次に目覚める瞬間がいきなり笑えるし、その後もずっと・・・
とこういうの書いても誰が読むんだろうと思うけど、書いてて自分が楽しいからいいの。
この楽章は音色旋律とか冒頭からコントラバスが何だこれとかいろいろあって興味が尽きない。

女性だけで動かしているらしいこのお店、親しく友達みたいな間柄なのかもしれないけれど客に聞こえるような位置や音量で話していいことと悪いことがあ・・・といちいち気になる私は無駄に嫌なおっさんですね。そんな人来なくていいというところでしょう。
心が満たされないから人の粗ばかり気になっちゃうんだと思う。
二人でやっているのかと思っていたけれど、帰り際階段を下りているとすれ違った何人かのお店関係者らしい人の笑顔でのあいさつが気持ちよく、ネガティブみたいなのが一掃される。
詳細は書けないけれど最近大きな出来事が身近で起きた。
私がじゃないけれど他人事とは思えないし思ってはいけないんでしょうね。
どんなに強い信念をもって自分は正しいと主張しても、全体の意に添わなければそれは間違いとみなされ本人もろとも潰され流され排除されてしまうのが人間社会というものでしょう。
・・・あたりまえか。
そしてその先にあるのはもう二度と這い上がれないような奈落の底だったりする。
今足元にあり安定しているように見える地表は、すぐわきで谷へ向かって垂直に落ちているような狭いものなんじゃないか。
世の中も人生も、常に処刑場に直結した法廷みたいなものかもしれませんね。
全く予期していないのにふと気づけば被告人席に座っている。
対応を間違えば驚きの取り返しがつかない決定がなされるかもしれない。
媚び諂うではいけないと思うけれど、でも常に自分で自分を謙虚に監視していないと世の中リアルに怖いと思う。
Comment
unagiさん こんにちわ。
ベルリオーズの幻想曲いいですよね。
学生の頃、これを聴きながら、鈍行で横浜まで行ってしまった事を思い出しました。
浮足だってふわふわした記憶も思い出しました。曲の背景も熱病みたいな。。
私はスコアを見ないので、スコアを見ながら聴いたら、特別なんでしょうね。
私には、まだまだ先の世界です。
さちさん、こんにちは
幻想交響曲お好きなんですね。
いろんな楽しみ方がありますし、
我を忘れちゃうほど楽しみなものがあるって
素晴らしいですよね。
さちさんはピアノが弾けるから
そこが羨ましいです。
ありがとうございました。