ブログが話し相手な人
また、水泡になるような湿疹が勢いづいてきた。
なにかのアレルギーなのかもしれないけど何だろう?

自分アレルギー?
この自分が嫌で接触すると出てくるという不可避的な。
こういうことを言って私大変アピールみたいなのが大っ嫌いなのに自分は平気で書いちゃうんだから。

子供じゃないんだから馬鹿なこと言ってないで医者へ行くか。
今週はレッスンがあるから楽器練習したいなじゃなくて。
子供じゃないといいつつ、実際ある面で子供にも至っていないというこ・・もういいから。

車を置きちょっとした山道を登ってみると海が見えてくる。
麓に比べてはるかに涼しく空気も気持ちがいい。
でも、なんとなく気になっていることがあった。

上の方に見える男女の人影。
先ほど嫌な感じで追い越しをかけていったオープンカーの二人だろう。
どこに誰がいようと勝手だし相手も私のことなんか知りもしない。
なのになぜか私を嫌がっているはずだとかなんとか思ってしまう病気が治らない。何が病気だというところでしょう。
多分一生治らない。
こんな私でもこんなところでならこんにちわー位はいえるはず・・
なのに降りて来た彼らと無言ですれ違う。
私が彼らに感じたのと同じことを、多分彼らも私に感じているだろう。

ああいうところにある民宿に泊まって魚かなんか食ったらうまいのかなぁ?
人間拒否症には民宿は恐怖の館だけどな。
北海道の端の方とか、昔のユースホステルみたいなので人と交流とか言うのが楽しいんでしょう?
そういうのが絶対嫌でビジネスホテルにばっかり泊まってた。
誰もいない静かな世界を手に入れたのかと思ったところ
下の方ででっかい声の会話が聞こえ始める。
先程の二人が後から来た全然知らない人と盛り上がっているようだ。
楽しそうだね・・
いちいち疎外感と自己嫌悪を感じるのが嫌なら自分もあそこへ行けばいいだろう。
そんなもんじゃないことお前が一番よく知ってるだろと自分から返ってくる。

昔真冬に宗谷岬へ行ったとき、同じバスでやってきた何組かの物好きが帰りのバスを待つ間自然にあつまって親し気に楽しく会話を始めた。旅の素敵な1ページみたいだ。
その輪に入れず一人寒風にさらされほっつき歩いているみっともない馬鹿がいた。
あの集団がこちらを意識しているのもわかる。
他人が何を感じていようが関係ないのに、自分をあざ笑う声を聞くような気がする。
思えば昔からいつでも必ずこのパターンだな俺は・・とその時も思っていた。
寂しいと思うなら、自分もその輪に入ればいいだけだ。
だけだじゃねーよばーか。

牧場なんだと思うけれど牛の姿は見えない。
どこかすぐそこで鳴き声が聞こえるけれど。
目の前の笹の葉の間からは雉の声だろうか・・・
可愛いねなんて思っているけれど実際お前近寄るんじゃねーよと威嚇しているのかもしれない。
下の会話はまだ続いているけれどそろそろ締めどころを探り始めているようにも聞こえる。
アマチュア吹奏楽団みたいなのに入ったとき、楽器をやりたいという事のほかにもしかすると人と知り合ってこの孤独人間から脱出できるかもしれないという下心みたいなものがあった。
殆ど同じ時期に同窓会をという機運が盛り上がってスマホ時代の今はあっという間に大きなネットワークができたりもしていた。
呼んでくれる人があって、こんな自分を変えるチャンスだと思い出て行ったりもした。

結果的には、ブログが唯一の話し相手みたいになっちゃった自分が今ここにいるだけ。
ここに依存している感があり、ちょっとまずいなとも思ってる。
コメントのやり取りもうまくできず、同種の趣味を持つ人とみたいなのもできない。
ただ延々一人でなんか言ってるだけ
ブログが流行ったのってもう20年くらい前になるんじゃないか。
終わりかけたころにやってきて、一人延々と・・

長年自分のいる場所じゃないと思ったブログを書いてみようと思ったのは
吹奏楽団で知り合った人とのちょっとしたやり取りがきっかけだった。
何も残らなかったけれどこれが残ったともいえるか。
今話し相手がここしかないから、これ消えないでずっと残ってほしい。
何でこんなになっちゃったのかはよく分かったけれど、
なんでこんなになっちゃったんだろうと毎日つぶやいている。
ちょっと下ったところには

子牛という程じゃないけれどまだ大人じゃないと思う。
牛の中学生くらいかな。
https://www.youtube.com/watch?v=MK3AHJNYE4A
中学生の頃にラジオでこれを聴きブラームスにもオルガン作品があるのかと驚いた。
そんな驚けるほどブラームスを聞いてもいなかったと思うけどいいじゃない。
孤独の中に死んでいったブラームスは、その最後の頃にオルガンのための音楽を何曲か残した。
CD買ったはいいけど渋すぎていまいち来るものを感じられず聴いてなかった。
今ちょっと聞いてみると何だかちょっと聴いてみたい気もしてくる。
歳食ったんだなぁ。
テープに録ったこんなのを毎夜聴いてる中学生という時点でもう人生間違ってたような気がする。
でもそこでそれに気づいたとしてももうどうにもできなかったと思う。
ここまで来ちゃった。
ここまで来れたともいえるか。
まあいいじゃない。
昨日初めてシャインマスカットを採って食った。
ブログが唯一の話し相手とか変態みたいだけど今まで写真なんか撮っても見せる相手もいなかったのを思えば・・
フェイスブックとかインスタとか20年くらいたつとやってみたくなるんだろうか?
もうそんなもんあるかわかんないし自分がいるかもわからない。
なにかのアレルギーなのかもしれないけど何だろう?

自分アレルギー?
この自分が嫌で接触すると出てくるという不可避的な。
こういうことを言って私大変アピールみたいなのが大っ嫌いなのに自分は平気で書いちゃうんだから。

子供じゃないんだから馬鹿なこと言ってないで医者へ行くか。
今週はレッスンがあるから楽器練習したいなじゃなくて。
子供じゃないといいつつ、実際ある面で子供にも至っていないというこ・・もういいから。

車を置きちょっとした山道を登ってみると海が見えてくる。
麓に比べてはるかに涼しく空気も気持ちがいい。
でも、なんとなく気になっていることがあった。

上の方に見える男女の人影。
先ほど嫌な感じで追い越しをかけていったオープンカーの二人だろう。
どこに誰がいようと勝手だし相手も私のことなんか知りもしない。
なのになぜか私を嫌がっているはずだとかなんとか思ってしまう病気が治らない。何が病気だというところでしょう。
多分一生治らない。
こんな私でもこんなところでならこんにちわー位はいえるはず・・
なのに降りて来た彼らと無言ですれ違う。
私が彼らに感じたのと同じことを、多分彼らも私に感じているだろう。

ああいうところにある民宿に泊まって魚かなんか食ったらうまいのかなぁ?
人間拒否症には民宿は恐怖の館だけどな。
北海道の端の方とか、昔のユースホステルみたいなので人と交流とか言うのが楽しいんでしょう?
そういうのが絶対嫌でビジネスホテルにばっかり泊まってた。
誰もいない静かな世界を手に入れたのかと思ったところ
下の方ででっかい声の会話が聞こえ始める。
先程の二人が後から来た全然知らない人と盛り上がっているようだ。
楽しそうだね・・
いちいち疎外感と自己嫌悪を感じるのが嫌なら自分もあそこへ行けばいいだろう。
そんなもんじゃないことお前が一番よく知ってるだろと自分から返ってくる。

昔真冬に宗谷岬へ行ったとき、同じバスでやってきた何組かの物好きが帰りのバスを待つ間自然にあつまって親し気に楽しく会話を始めた。旅の素敵な1ページみたいだ。
その輪に入れず一人寒風にさらされほっつき歩いているみっともない馬鹿がいた。
あの集団がこちらを意識しているのもわかる。
他人が何を感じていようが関係ないのに、自分をあざ笑う声を聞くような気がする。
思えば昔からいつでも必ずこのパターンだな俺は・・とその時も思っていた。
寂しいと思うなら、自分もその輪に入ればいいだけだ。
だけだじゃねーよばーか。

牧場なんだと思うけれど牛の姿は見えない。
どこかすぐそこで鳴き声が聞こえるけれど。
目の前の笹の葉の間からは雉の声だろうか・・・
可愛いねなんて思っているけれど実際お前近寄るんじゃねーよと威嚇しているのかもしれない。
下の会話はまだ続いているけれどそろそろ締めどころを探り始めているようにも聞こえる。
アマチュア吹奏楽団みたいなのに入ったとき、楽器をやりたいという事のほかにもしかすると人と知り合ってこの孤独人間から脱出できるかもしれないという下心みたいなものがあった。
殆ど同じ時期に同窓会をという機運が盛り上がってスマホ時代の今はあっという間に大きなネットワークができたりもしていた。
呼んでくれる人があって、こんな自分を変えるチャンスだと思い出て行ったりもした。

結果的には、ブログが唯一の話し相手みたいになっちゃった自分が今ここにいるだけ。
ここに依存している感があり、ちょっとまずいなとも思ってる。
コメントのやり取りもうまくできず、同種の趣味を持つ人とみたいなのもできない。
ただ延々一人でなんか言ってるだけ
ブログが流行ったのってもう20年くらい前になるんじゃないか。
終わりかけたころにやってきて、一人延々と・・

長年自分のいる場所じゃないと思ったブログを書いてみようと思ったのは
吹奏楽団で知り合った人とのちょっとしたやり取りがきっかけだった。
何も残らなかったけれどこれが残ったともいえるか。
今話し相手がここしかないから、これ消えないでずっと残ってほしい。
何でこんなになっちゃったのかはよく分かったけれど、
なんでこんなになっちゃったんだろうと毎日つぶやいている。
ちょっと下ったところには

子牛という程じゃないけれどまだ大人じゃないと思う。
牛の中学生くらいかな。
https://www.youtube.com/watch?v=MK3AHJNYE4A
中学生の頃にラジオでこれを聴きブラームスにもオルガン作品があるのかと驚いた。
そんな驚けるほどブラームスを聞いてもいなかったと思うけどいいじゃない。
孤独の中に死んでいったブラームスは、その最後の頃にオルガンのための音楽を何曲か残した。
CD買ったはいいけど渋すぎていまいち来るものを感じられず聴いてなかった。
今ちょっと聞いてみると何だかちょっと聴いてみたい気もしてくる。
歳食ったんだなぁ。
テープに録ったこんなのを毎夜聴いてる中学生という時点でもう人生間違ってたような気がする。
でもそこでそれに気づいたとしてももうどうにもできなかったと思う。
ここまで来ちゃった。
ここまで来れたともいえるか。
まあいいじゃない。
昨日初めてシャインマスカットを採って食った。
ブログが唯一の話し相手とか変態みたいだけど今まで写真なんか撮っても見せる相手もいなかったのを思えば・・
フェイスブックとかインスタとか20年くらいたつとやってみたくなるんだろうか?
もうそんなもんあるかわかんないし自分がいるかもわからない。
Comment
人の想いに形はありませんから、大丈夫。自分の形で過ごしてゆきましょうよ。
ワタシは美術・絵画を銭金関係なく・自分なりにとことん突き詰めて止めることができたから(目的は描かないで済む自分になること)・書くってすごく楽・だってシュミだから・シュミはいいですよ・自分を責めないで済むし・楽しくなければ放っておけばいい。誰の縛りも受けない・自分の世界観を楽しめば宜しい・ワタシのブログはそんなつもりで書いてますよ^^
unagiさん、こちらでははじめまして。
仰ることわかります。
瞬間的に仲間に入れてもらっても、やっぱり孤独に感じたりします。話に入れなかったりして聞いてばかりだったり、対等に話せなかったりすると強く感じます。実際自分が考えてたようには上手く行かないという感じがするんですよね。
でも楽しそうにワイワイ話してる人達を見ると、あー、やっぱりああいうの楽しそうだなと思ったり。
だけど良く考えてみれば伴侶もいるわけで、全くの孤独では無いんですよね。
決して社交的では無くても、(そしてそれが実は羨ましいと思っていても←私ですが)そういう人も居なければ世の中成り立たないんですよね。
人前でどんどん積極的になれなくても、ブログで言いたいこと言ったりする、で、良いと思います!
100人人がいて、99人に嫌われていたとしても、家族だけは自分の事本当に心配してくれてる、気にしてくれている…
そう思って過ごしていますよ。
マーニさん、こんにちは
そうですね、私は私でしかあれないので、
私で行きたいと思います。
ありがとうございました。
waravinoさん、こんにちは
コメントありがとうございます。
そうですね、私もここに自分を置いて
自分を発見したいと思います。
ありがとうございました。
ね~み♪ さん、こんにちは
コメントありがとうございます。
うれしいです。
私も、家族がいるから生きてられるというかいなかったらどうなってただろう?と思っています。
そして、やりたいこと、出来るようになりたいことがあるというのが支えというか・・
間違っていようが傍から馬鹿にされようが文句言われようが・・そういう事があるってなんか素晴らしいですよね。
その内容をここに書き綴れるようになったら素晴らしいなと思いますがまだまだはるか先かもしれません。
でもなんか書くと読んでくれる人がいるかもしれないと思うと、
何だかでっかい力をもらえるような気がしますね。
そしてコメントをいただけたりすると生きててよかったような気がします。
ありがとうございました。
初めまして
今回のタイトルにひかれて拝読しました。。。
私(50代)も友達いないので、
プログで他人様と接しているって感じです。
知らない人と語らうとか嫌い、人嫌い。
だから常に批判の目しかないんですよね。
1人が最高ですよ、、、誰も私を気にとめないから
頭に中で言いたい放題を言ってるほうが楽
無言で居られる人が良いです。(それは仮想離婚中の夫!w)
『子牛という程じゃないけれどまだ大人じゃないと思う。
牛の中学生くらいかな。』
この言葉、面白い 新鮮です!
だから人様のプログは楽しい!
オヤジ狩されるような気分を味わいました。w
あきさん、こんにちは
はじめまして。
コメントありがとうございます。嬉しいです。
人生も後半になると、自部を大事に自分の好きに生きたもん勝ちですね。
私もリアル人間が苦手というか無理ですが、完全遮断は嫌なので
ブログがあってよかったと思っています。
無理をしないで楽しく生きたいですね。
ありがとうございました。