夜逃げした
阪神大震災のことを思い出していたら、子供の頃祖父が関東大震災の実体験を話してくれたことを思い出した。
体一つで逃げればいいのにみんな衣類を担いだり家財道具を乗せた大八車を引いて逃げた。
そのうち背中の荷に火が付き生きたまま焼けていくという話。
逃げるときはとにかく逃げなくちゃいけないのか。

この時じゃないけれどある日、北海道十勝平野の端のほうで朝日に輝く風景をながめてた。
右手にはちょっとした茂み・・その下は深いところに山からの川が流れて・・
グルォオオオ・・っという犬が威嚇するときのような唸り声が聞こえる。
ようなじゃなくて間違いなく威嚇をしておりお前の身の安全は保障しないというような意志が伝わってくる。
その声の低さ、太さから体の大きさも感じ犬なんかでは絶対にないこともよくわかる。
ヒグマ・・・
もし熊に遭遇したら絶対に背を向けることなく静かに後ずさりし・・
その時もそれは頭に浮かんでいたけれど、実際私は車めがけて一目散に走ってしまった。
やたらに逃げてもいけないんだろうけどでも今まだ生きてる。
取引先とか地域で有名だった飲食店の経営者が実は夜逃げしたのだという話をいくつか聞いてきた。
逃げるたってその先でどうするの?なんて思うけれど、ほかならぬ自分も夜逃げをしたことがある。
詳細を書いてもしょうがないけど身も心も拘束され続けるような状態が長く続いていると一種の洗脳状態のようになり通常の手続きを踏んで会社を辞めるという一般的思考ができなくなる。もう一つ理由があって自分の名を捨てどこかで生きていくしかないとう思考へ追い詰められた。
トリガとなったのは携帯にかかってきた一本の電話。
理不尽・・いや・・これに絶え乗りえてどうなるんだろう?
ふと、ここにいても人生が無駄になるだけなんじゃないのか?という思いがよぎった。
その時そばにいた後輩もまた訳ありで他とは少し違うところにいた。その男に冗談めかして
俺逃げるわ。
俺もそのほうがいいと思う・・あんた気づくの遅いよなに今頃言ってんの・・
全部わかってますよみたいな静かな笑顔に、ありがとうじゃないけれど。
縦列駐車状態で自由に出入りできなかった寮の駐車場はその日たまたま自分の車が素直に出られる状態であることを頭の中で確認する。誰にも気づかれないよう夜まですごし・・。
そう思った瞬間からなぜか笑いが止まらなくなってしまい、きつい現場なのに午後はずっと笑ってた。
他の人間がお前何なんだ?とつられて笑っていたのを覚えている。
よく、あんなに楽しそうだったのにそんなことするわけ・・みたいな話があるけれど表面に見えてるもので分かったような気になるのは間違いなんだろうなと思う。
逃げ出すところの記憶はなぜかなく、深夜吉野家で釣りをもらってないというと今渡しただろと切れている顔を見てここでトラブルになっている場合じゃないと思ったところから記憶が始まる。
エンジン付けっぱなしでコンビニの駐車場で仮眠中ふと目が覚めると向かいの家のベランダから寝間着姿でこちらを見下ろす人影が家へ入っていくところだった。まずい文句を言おうとしていると車を急発進してまた逃げる。
たまたま目覚めた瞬間が自分にとって都合がよすぎるということをしばらく考えていた。
ジャンヌダルクが神の声を聞いたみたいな話の超絶劣化版である。
地元付近を通過する際実家に近寄る気はなかったけれど、一度だけ相手にしてくれた旧友のアパートを探しうろうろした記憶がある。見つけたところで会えるわけでもないのに。
深夜走行する巨大トレーラーの後ろについて箱根を超え、平塚の手前くらいでもう明るくなっていた4車線道路では逆走するおばさんとすれ違った。
なにやってんだ!と思ったけれど、自分も何やってんだ。
三浦半島を横断すると造船所へ出勤していく人の列。
いつも通りの問題ない景色なんだろうそれを見てああ俺逃げてるんだったと思った。
どこから乗ったのか渋滞する首都高でラジオから流れた流行歌がダメでもいいからやってみろと歌ってた。
・・・長いしもういいか。
名前を変え、職を探して生きていこうとか思っていた。
持ってきたのは衣類数点、カバンじゃなくゴミ袋に投げ入れただけ。
とりあえずの拠点としてウィークリーマンションを借りて一晩過ごし、翌日アパートを探そうと入った不動産屋で保証人もなしで借りられる話なんか一つもないと一喝されふっと我に返った。
正気になってみれば逃げなければならない理由もなく・・
今なら保証人も何もなしで生きていく方法というのも簡単に見つけられるのかもしれないけれどそんなものを見つけられずあそこで立ち往生してよかった。
すぐに頓挫して当然の稚拙な話じゃないかというところでしょうけれど頭がおかしくなっていると表向きまともな顔をして変なことを強行してしまうということなわけで。
ずっとあのまま行ってたら・・そもそも逃げずにずっと頑張ちゃってたら・・
人というのは怖いから、いけると踏むと助ける育てるという体で相手の人格を踏みにじり死ぬまで利用しようとするしそのことに本人が気づいていなかったりもする。
https://www.youtube.com/watch?v=MOoqqDVYzx8
いけにえの踊り。
生贄って究極の人権侵害である気もするけれどやっぱりシャーマンみたいなのによる一種の洗脳状態にあって自らそうなろうと思うわけでしょうかね・・
大事なのは自分だと思えば気付いて逃げないと。
複雑な変拍子や不協和音で難曲といわれるけれど、

でも聴く分にはむしろ極めて自然でわかりやすく、音楽を知り始めた中学生の私は一聴して魅せられた。
これ面白いのは単一のパートで見ると意外にきれいな協和音なのね。
それらが重なってああなるというのもなんかちゃんと論理的説明がつくんでしょう?
https://www.youtube.com/watch?v=_PAZjKvl-CQ
これデュトワが初めてN響を振ったときのじゃないかな?
私が音楽に興味を持ち始めてラジオで聴いたのはこれだったんじゃないだろうか?
もう35年かもっと前だろうか映っている面々が若く懐かしい。
このころからすこし後とくらいまでの面子が、テレビの中から私に音楽やオーケストラや・・を教えてくれた。
もうこの世にいない人がいるのも知ってる。
あの頃まさか自分が夜逃げするとは思わないし、この指揮者がセクハラで失脚するとも思ってなかった。
最近また密かに復活しているらしいけど。
演奏は嫌いじゃないので実演に行ってみたと思うけれど今人からもコンサートからも逃げてるし指揮者の年齢的に無理かな。
なんであれ、命があってこそ。
体一つで逃げればいいのにみんな衣類を担いだり家財道具を乗せた大八車を引いて逃げた。
そのうち背中の荷に火が付き生きたまま焼けていくという話。
逃げるときはとにかく逃げなくちゃいけないのか。

この時じゃないけれどある日、北海道十勝平野の端のほうで朝日に輝く風景をながめてた。
右手にはちょっとした茂み・・その下は深いところに山からの川が流れて・・
グルォオオオ・・っという犬が威嚇するときのような唸り声が聞こえる。
ようなじゃなくて間違いなく威嚇をしておりお前の身の安全は保障しないというような意志が伝わってくる。
その声の低さ、太さから体の大きさも感じ犬なんかでは絶対にないこともよくわかる。
ヒグマ・・・
もし熊に遭遇したら絶対に背を向けることなく静かに後ずさりし・・
その時もそれは頭に浮かんでいたけれど、実際私は車めがけて一目散に走ってしまった。
やたらに逃げてもいけないんだろうけどでも今まだ生きてる。
取引先とか地域で有名だった飲食店の経営者が実は夜逃げしたのだという話をいくつか聞いてきた。
逃げるたってその先でどうするの?なんて思うけれど、ほかならぬ自分も夜逃げをしたことがある。
詳細を書いてもしょうがないけど身も心も拘束され続けるような状態が長く続いていると一種の洗脳状態のようになり通常の手続きを踏んで会社を辞めるという一般的思考ができなくなる。もう一つ理由があって自分の名を捨てどこかで生きていくしかないとう思考へ追い詰められた。
トリガとなったのは携帯にかかってきた一本の電話。
理不尽・・いや・・これに絶え乗りえてどうなるんだろう?
ふと、ここにいても人生が無駄になるだけなんじゃないのか?という思いがよぎった。
その時そばにいた後輩もまた訳ありで他とは少し違うところにいた。その男に冗談めかして
俺逃げるわ。
俺もそのほうがいいと思う・・あんた気づくの遅いよなに今頃言ってんの・・
全部わかってますよみたいな静かな笑顔に、ありがとうじゃないけれど。
縦列駐車状態で自由に出入りできなかった寮の駐車場はその日たまたま自分の車が素直に出られる状態であることを頭の中で確認する。誰にも気づかれないよう夜まですごし・・。
そう思った瞬間からなぜか笑いが止まらなくなってしまい、きつい現場なのに午後はずっと笑ってた。
他の人間がお前何なんだ?とつられて笑っていたのを覚えている。
よく、あんなに楽しそうだったのにそんなことするわけ・・みたいな話があるけれど表面に見えてるもので分かったような気になるのは間違いなんだろうなと思う。
逃げ出すところの記憶はなぜかなく、深夜吉野家で釣りをもらってないというと今渡しただろと切れている顔を見てここでトラブルになっている場合じゃないと思ったところから記憶が始まる。
エンジン付けっぱなしでコンビニの駐車場で仮眠中ふと目が覚めると向かいの家のベランダから寝間着姿でこちらを見下ろす人影が家へ入っていくところだった。まずい文句を言おうとしていると車を急発進してまた逃げる。
たまたま目覚めた瞬間が自分にとって都合がよすぎるということをしばらく考えていた。
ジャンヌダルクが神の声を聞いたみたいな話の超絶劣化版である。
地元付近を通過する際実家に近寄る気はなかったけれど、一度だけ相手にしてくれた旧友のアパートを探しうろうろした記憶がある。見つけたところで会えるわけでもないのに。
深夜走行する巨大トレーラーの後ろについて箱根を超え、平塚の手前くらいでもう明るくなっていた4車線道路では逆走するおばさんとすれ違った。
なにやってんだ!と思ったけれど、自分も何やってんだ。
三浦半島を横断すると造船所へ出勤していく人の列。
いつも通りの問題ない景色なんだろうそれを見てああ俺逃げてるんだったと思った。
どこから乗ったのか渋滞する首都高でラジオから流れた流行歌がダメでもいいからやってみろと歌ってた。
・・・長いしもういいか。
名前を変え、職を探して生きていこうとか思っていた。
持ってきたのは衣類数点、カバンじゃなくゴミ袋に投げ入れただけ。
とりあえずの拠点としてウィークリーマンションを借りて一晩過ごし、翌日アパートを探そうと入った不動産屋で保証人もなしで借りられる話なんか一つもないと一喝されふっと我に返った。
正気になってみれば逃げなければならない理由もなく・・
今なら保証人も何もなしで生きていく方法というのも簡単に見つけられるのかもしれないけれどそんなものを見つけられずあそこで立ち往生してよかった。
すぐに頓挫して当然の稚拙な話じゃないかというところでしょうけれど頭がおかしくなっていると表向きまともな顔をして変なことを強行してしまうということなわけで。
ずっとあのまま行ってたら・・そもそも逃げずにずっと頑張ちゃってたら・・
人というのは怖いから、いけると踏むと助ける育てるという体で相手の人格を踏みにじり死ぬまで利用しようとするしそのことに本人が気づいていなかったりもする。
https://www.youtube.com/watch?v=MOoqqDVYzx8
いけにえの踊り。
生贄って究極の人権侵害である気もするけれどやっぱりシャーマンみたいなのによる一種の洗脳状態にあって自らそうなろうと思うわけでしょうかね・・
大事なのは自分だと思えば気付いて逃げないと。
複雑な変拍子や不協和音で難曲といわれるけれど、

でも聴く分にはむしろ極めて自然でわかりやすく、音楽を知り始めた中学生の私は一聴して魅せられた。
これ面白いのは単一のパートで見ると意外にきれいな協和音なのね。
それらが重なってああなるというのもなんかちゃんと論理的説明がつくんでしょう?
https://www.youtube.com/watch?v=_PAZjKvl-CQ
これデュトワが初めてN響を振ったときのじゃないかな?
私が音楽に興味を持ち始めてラジオで聴いたのはこれだったんじゃないだろうか?
もう35年かもっと前だろうか映っている面々が若く懐かしい。
このころからすこし後とくらいまでの面子が、テレビの中から私に音楽やオーケストラや・・を教えてくれた。
もうこの世にいない人がいるのも知ってる。
あの頃まさか自分が夜逃げするとは思わないし、この指揮者がセクハラで失脚するとも思ってなかった。
最近また密かに復活しているらしいけど。
演奏は嫌いじゃないので実演に行ってみたと思うけれど今人からもコンサートからも逃げてるし指揮者の年齢的に無理かな。
なんであれ、命があってこそ。
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