大阪とアーケードとスコア
昔のことを思い出すとついでにいろいろでてきて・・
最初の就職先は新たな事業を立ち上げるためエンジニアが必要とだという話に私の専攻が合致し・・
4年生の今頃だったかお前どうせもう授業なんかないんだろうアルバイトに来いと呼ばれ、間に受け行ってみるとやるはずだった事業は頓挫というかなかったこととなっており全然畑違いな現場に人工として投入される。
だまされたと思ったけれどすぐに心理的拘束状態に置かれ・・そういうのは実際どこにでもよくあることで文句を言たってしょうがないだろう。
それで3年目くらいだったのか、

通天閣は新今宮とか動物園前という駅で降りて北へ行くんだと思うけれど、10日間くらいだたろうか同じ駅の南側付近に仕事でいったことがあった。よく聞くあいりん地区ではなくてそのすぐ東側になるのか・・記憶としては飛田新地のすぐ横。
店名だけ書かれた表札みたいな電光看板が並んでいるようす、少しだけ残った高い塀の話・・
朝現場に向かう途中吉野家で朝飯を食っているとおっさんが入ってきて、
つけものと・・ライス。
は?
ライス・・
牛丼じゃなくてライスを注文。
店員が合計金額を言うと
あ・・・
味噌汁も漬物も辞めてライスだけ。
予想を超える衝撃を受けた記憶があるからライス辞退で漬物とみそ汁だったかもしれない。
馬鹿にして笑おうという話じゃなく、いろんなリアルがあることを知った。
あの時冬だったと思う、現場につくと救急車が静かにとまっていることがよくあった。
道に寝てるおっさんがいるだろ、朝になって動かないと…と誰かが
すぐそばにあって何度も歩いたアーケードには居酒屋みたいなのがたくさんあっておっさんたちが昼間っから飲んでた。
日雇いに行って金が入るとなくなるまで飲んで、金がなくなるとまた今日の日雇い募集みたいな列に並んで・・
100円台からあるような立ち食いのうどん屋に入って食った覚えもある。
Googleストリートビューは人のいない早朝に撮られたみたいで歩き回ってみてもうどん屋のほか焼き付いた記憶の絵は見つけられなかった。
もう20年以上になるし大きく変わっちゃったのか。この際行ってみよかなぁ・・
なんか活気はあって人であふれていた気がする。
人込みの中でおっさんが立って焼きそば食ってたり・・
正直仕事としてはどうということもなかったのだけれど、ちょっと特殊な内容に対し全国から集まった色んな人のいる場で良くしてもらいいろんな話から世界の広さを教えてもらった。
今思い出せる思い出が残ったとはいえるか。
その10年後くらいの正月休みに思い付きでまだ嫁さんじゃない嫁さんと大阪にいったことがあった。

通天閣も串揚げ屋もあんまり興味がなく、あの時のアーケードを探したけれど多分見当違いな場所を歩き嫁さんを連れまわせる感じでもなかったのでたどり着かなかった。
歩道のアスファルトの上に直接奇麗な羽毛布団を敷いて寝ているおっさん。
自転車の上に家庭用のおもちゃみたいなタコ焼き器を置いて100円とか書いてるおっさん。
夜逃げしてなんて書いたけれど私もあそこへ行ったかもしれないし、あそこにすらいられずもうどこにもいなかったかもしれない。
休日なしで働き続けたけれど土曜の晩から逃げて大阪にいった記憶がもう一つあった。
少し頭がおかしくなっているので観光とかいう発想はでてこない。
普段音楽を聴けてもいなかったけれど・・都会に来ればスコアが、珍しいスコアがあると思った。
今はネット上で珍しい曲のスコアも見放題だけれど当時そんなものは田舎の楽器屋なんかに置いてあるわけもなく、私にとって複雑な音楽のスコアは遥か西方にあるという幻のありがたいお経みたいな存在であった。
ネットも使えずどうやって調べたのか・・車を駅近くの立体駐車場にとめて近鉄にひと区間だけ乗ったという記憶。

行きたい楽器屋を目指していると見覚えのあるあのグリコが突然出てきてああここ?と思ったけれど頭おかしいのでそれ以上の興味をそこに置かなかった。
心斎橋筋だっけアーケードの中にあったYAMAHAの直営店で春の祭典のスコアをみつけて買って帰った。
今ならDoverのスコアなんていろんなとこで安く売ってるよなんて言わなくもないけどその時はそうじゃないから。
だけど、手に入れた奇跡の碑文を実際眺められたのは会社を辞めた後だったと思う。
あれはもう末期のころだったのかな。
https://www.youtube.com/watch?v=K-cHhYwQWmQ
第二部 生贄の儀式。
音はなく静まり返っているはずなのに、超自然的なものすごい騒がしさが辺りを包んで・・
そういえば大阪行きの際、名阪国道を降り奈良の山の中のホテルに泊まったら部屋の中で一晩中バチバチバチと空気が破裂するような音が鳴ってた。

夜の闇に精霊たちの声を聞き光を見る。
コントラバスの怪しいフラジオレットも面白いけどそれよりフルートにフラジオレットの指示があるのを見て萌えた。
こういうの、どうやってそれが作られているかの秘密は聞いてるだけじゃわかんないから・・

演奏するわけでなくても変拍子地帯はそれが実際どうなってるのか知ってそのつもりで聴くとノリがまた違ったりする。
で細かく見てみると・・上昇する木管にはフラッターの、ホルンにはベルアップの指示・・
一番いいのは現場で目で聴くことだけど、録音聴いてるだけだとベルアップの効果なんてそうそうわかんないでしょう?
他にもここでこんなことやってんの!?みたいな発見がこの曲の場合ほぼ全ページに見つかると思う。

嫁さんと行ったときの写真の中にYAMAHAの看板があった。
その時もあれが思い出だとか思ってたんだろう。
楽譜と一緒に袋の中に大人の音楽教室みたいなものについて手書きでいっしょにやりませんか?みたいなチラシが入っていて、やれるわけないだろと思いながらそれをしばらくどっかにしまっていた記憶がある。
色々しまった開かずの引き出しの中にまだあるかもしれない。

同じ最初の会社の仕事でフェリーに乗るため大阪南港にも何度も行ったけれど本当に通過するだけだった。
毎回渡った赤く巨大な南港大橋が強い印象となっており・・
写真をみるとこの時海遊館や大阪城ほか適当に思いつく名所数か所にもいってた。
梅田スカイビルの空中庭園だっけ普通の親父と娘の会話が新喜劇みたいだったのも忘れ難いけれど、一番覚えてるのはあの羽毛布団のおっさん。

大阪の海が悲しい色なのかはちょっとよくわからなかった。
10年後に行ったときに安い駐車場をみつけて車をとめたここは南港じゃないけどそっちの方だったと思う。
何でもそうだけど数年前のつもりのこれももう12年前だった。
12年て子供が学校終わっちゃう年月だよなぁ。
大阪また行ってみたいなと思ってる。
最初の就職先は新たな事業を立ち上げるためエンジニアが必要とだという話に私の専攻が合致し・・
4年生の今頃だったかお前どうせもう授業なんかないんだろうアルバイトに来いと呼ばれ、間に受け行ってみるとやるはずだった事業は頓挫というかなかったこととなっており全然畑違いな現場に人工として投入される。
だまされたと思ったけれどすぐに心理的拘束状態に置かれ・・そういうのは実際どこにでもよくあることで文句を言たってしょうがないだろう。
それで3年目くらいだったのか、

通天閣は新今宮とか動物園前という駅で降りて北へ行くんだと思うけれど、10日間くらいだたろうか同じ駅の南側付近に仕事でいったことがあった。よく聞くあいりん地区ではなくてそのすぐ東側になるのか・・記憶としては飛田新地のすぐ横。
店名だけ書かれた表札みたいな電光看板が並んでいるようす、少しだけ残った高い塀の話・・
朝現場に向かう途中吉野家で朝飯を食っているとおっさんが入ってきて、
つけものと・・ライス。
は?
ライス・・
牛丼じゃなくてライスを注文。
店員が合計金額を言うと
あ・・・
味噌汁も漬物も辞めてライスだけ。
予想を超える衝撃を受けた記憶があるからライス辞退で漬物とみそ汁だったかもしれない。
馬鹿にして笑おうという話じゃなく、いろんなリアルがあることを知った。
あの時冬だったと思う、現場につくと救急車が静かにとまっていることがよくあった。
道に寝てるおっさんがいるだろ、朝になって動かないと…と誰かが
すぐそばにあって何度も歩いたアーケードには居酒屋みたいなのがたくさんあっておっさんたちが昼間っから飲んでた。
日雇いに行って金が入るとなくなるまで飲んで、金がなくなるとまた今日の日雇い募集みたいな列に並んで・・
100円台からあるような立ち食いのうどん屋に入って食った覚えもある。
Googleストリートビューは人のいない早朝に撮られたみたいで歩き回ってみてもうどん屋のほか焼き付いた記憶の絵は見つけられなかった。
もう20年以上になるし大きく変わっちゃったのか。この際行ってみよかなぁ・・
なんか活気はあって人であふれていた気がする。
人込みの中でおっさんが立って焼きそば食ってたり・・
正直仕事としてはどうということもなかったのだけれど、ちょっと特殊な内容に対し全国から集まった色んな人のいる場で良くしてもらいいろんな話から世界の広さを教えてもらった。
今思い出せる思い出が残ったとはいえるか。
その10年後くらいの正月休みに思い付きでまだ嫁さんじゃない嫁さんと大阪にいったことがあった。

通天閣も串揚げ屋もあんまり興味がなく、あの時のアーケードを探したけれど多分見当違いな場所を歩き嫁さんを連れまわせる感じでもなかったのでたどり着かなかった。
歩道のアスファルトの上に直接奇麗な羽毛布団を敷いて寝ているおっさん。
自転車の上に家庭用のおもちゃみたいなタコ焼き器を置いて100円とか書いてるおっさん。
夜逃げしてなんて書いたけれど私もあそこへ行ったかもしれないし、あそこにすらいられずもうどこにもいなかったかもしれない。
休日なしで働き続けたけれど土曜の晩から逃げて大阪にいった記憶がもう一つあった。
少し頭がおかしくなっているので観光とかいう発想はでてこない。
普段音楽を聴けてもいなかったけれど・・都会に来ればスコアが、珍しいスコアがあると思った。
今はネット上で珍しい曲のスコアも見放題だけれど当時そんなものは田舎の楽器屋なんかに置いてあるわけもなく、私にとって複雑な音楽のスコアは遥か西方にあるという幻のありがたいお経みたいな存在であった。
ネットも使えずどうやって調べたのか・・車を駅近くの立体駐車場にとめて近鉄にひと区間だけ乗ったという記憶。

行きたい楽器屋を目指していると見覚えのあるあのグリコが突然出てきてああここ?と思ったけれど頭おかしいのでそれ以上の興味をそこに置かなかった。
心斎橋筋だっけアーケードの中にあったYAMAHAの直営店で春の祭典のスコアをみつけて買って帰った。
今ならDoverのスコアなんていろんなとこで安く売ってるよなんて言わなくもないけどその時はそうじゃないから。
だけど、手に入れた奇跡の碑文を実際眺められたのは会社を辞めた後だったと思う。
あれはもう末期のころだったのかな。
https://www.youtube.com/watch?v=K-cHhYwQWmQ
第二部 生贄の儀式。
音はなく静まり返っているはずなのに、超自然的なものすごい騒がしさが辺りを包んで・・
そういえば大阪行きの際、名阪国道を降り奈良の山の中のホテルに泊まったら部屋の中で一晩中バチバチバチと空気が破裂するような音が鳴ってた。

夜の闇に精霊たちの声を聞き光を見る。
コントラバスの怪しいフラジオレットも面白いけどそれよりフルートにフラジオレットの指示があるのを見て萌えた。
こういうの、どうやってそれが作られているかの秘密は聞いてるだけじゃわかんないから・・

演奏するわけでなくても変拍子地帯はそれが実際どうなってるのか知ってそのつもりで聴くとノリがまた違ったりする。
で細かく見てみると・・上昇する木管にはフラッターの、ホルンにはベルアップの指示・・
一番いいのは現場で目で聴くことだけど、録音聴いてるだけだとベルアップの効果なんてそうそうわかんないでしょう?
他にもここでこんなことやってんの!?みたいな発見がこの曲の場合ほぼ全ページに見つかると思う。

嫁さんと行ったときの写真の中にYAMAHAの看板があった。
その時もあれが思い出だとか思ってたんだろう。
楽譜と一緒に袋の中に大人の音楽教室みたいなものについて手書きでいっしょにやりませんか?みたいなチラシが入っていて、やれるわけないだろと思いながらそれをしばらくどっかにしまっていた記憶がある。
色々しまった開かずの引き出しの中にまだあるかもしれない。

同じ最初の会社の仕事でフェリーに乗るため大阪南港にも何度も行ったけれど本当に通過するだけだった。
毎回渡った赤く巨大な南港大橋が強い印象となっており・・
写真をみるとこの時海遊館や大阪城ほか適当に思いつく名所数か所にもいってた。
梅田スカイビルの空中庭園だっけ普通の親父と娘の会話が新喜劇みたいだったのも忘れ難いけれど、一番覚えてるのはあの羽毛布団のおっさん。

大阪の海が悲しい色なのかはちょっとよくわからなかった。
10年後に行ったときに安い駐車場をみつけて車をとめたここは南港じゃないけどそっちの方だったと思う。
何でもそうだけど数年前のつもりのこれももう12年前だった。
12年て子供が学校終わっちゃう年月だよなぁ。
大阪また行ってみたいなと思ってる。
Comment
読む者の脳裏にも焼き付くような強烈な印象ですね。吉野家ほか…
東京じゃなく、西遊記なんですね。
いろいろ心に響くものがあります。
いつも楽しく読ませていただいてます。
自分の生活する場所を、よその人がどう思うのか気になって、今まで色々なサイトを見てきましたが、今回のテキストがその中で一番心に残りました。
吉野家でご飯だけを注文、ショウガをてんこ盛りにして水をかけてかき込むオッサン&オバハンとか、このエリアでは当たり前の光景なんですけど、やっぱり普通の方から見たら、ショックなんでしょうね(笑)
ただそんな光景も、街の美化にともない確実に減ってきています。
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hobohoboさん、こんにちは
西遊記ですね。
いろんな記憶が、歳をとった今やっと落ち着いて眺められるようになった気がします。
そして、しょうもないと思っていたことも
みんな大事で得難いことだったのかなぁと思ったり。
コメントいただけて嬉しいです。
どうもありがとうございました。
まめさん、こんにちは
あーコメントいただけて嬉しいです。
あの時、自分がどこにいるのかよくわかっていませんでしたが
記憶にある場所がみんな意外な五度近くにあったことを知ったのはつい最近です。
ブログ拝見しつついつもそんなことを考えています。
ライス、しょうがをのせる手がありましたね。
あの衝撃的な記憶、20年たってこの辺では当たり前と教えてもらえて・・
嬉しいというかなんというか。
あの頃とはもういろいろ違うんでしょうか。
20年たって記憶も美化されてきているのかネガティブな印象ではなくなぜか肯定的な印象があります。
実際行くとなると怖いのかなと思う事もありますが、
遠からずまた行ってどこかの店に入って・・とやっていたいと考えています。
どうもありがとうございました。