もう終わり?
犬の散歩から帰ってくればもう昼飯にも遅いような時間。

地元の元商店街の裏みたいなところにあるてんぷら屋に行った。
スマホで何でも分かる時代の波はここにも押し寄せているのか、隠したような場所にあるお店はいつもいっぱい。
たまたま二人掛けのテーブルが空いてた。遅い時間じゃないと入れないと思う。
隣の夫婦はどこか遠くから来たようだ。

メニューはフライ系と天ぷら系に分かれるけれどミックスフライ定食を頼むとフライ系はほとんど網羅されるのでもうこれ一択。
嫁さんのから揚げが多すぎてまわってくるわけで、すごいボリュームは満足を超えてしまうんだから今度はもっと小さな丼でもいいかもしれない・・・と前回思ったのにまた同じことを凝り返す。
でもこれ!っと決めて頼むのも楽しみだもんね。
私たちの後からもう終わり?と言いながら入ろうとするお客さん登場。
えー・・何人様ですか・・えーっと・・・どうしようかな・・
この店のおばさんは、忙しかったりもう終わるつもりだったところに客が来ると切羽詰まった感がそのまま顔と言動に出ちゃうから・・
お客さんもやめると言わず粘ってる感じでその辺よくわかってんのかな?
しばらく入り口付近で押し問答みたいになってた。
でも、入れたみたい。
わるかったかな?とか言いながら。
知らないとなんだあの態度は?とか思ってしまいそうだけどおばさんに悪気は全くないことが前回判った。
余裕が出てくれば親切で丁寧、いいお店。

いつもどこへ行っても私たちが一番最後の客になるんだけど。
20年かもっと前、別なところにあったこのお店に入ったことがあった。
若い奥さんが料理を持ってきたと言う記憶があるのだけど、同じ人なのかなと毎回考えながら食ってる。
食い過ぎたので腹ごなしに歩いてみると公園があった。
そういえばこんなところに公園を整備したという話を聞いたのも20年どころかもっと前のような気もするけど実際来たのは初めてか。

だだっ広い中の美しい富士山もいいけど、
こんな富士山の方がリアルに本音を語りだしそうな気がする。
写真を撮ろうとすると通行人のおっさんがなんで俺の写真撮ってんだという顔をしている。
そういう人よくいるよね。
なにみてんの?みたいなの。
昔頭病気の時はそれに悩まされた。

ちょっと離れたところにあるこの神社、ここにあるのは知ってるどころの騒ぎじゃないけれど境内に入ったのは35年ぶりかもしかすると初めてだったかも。
田舎のちいさな神社と言えば元旦とお祭りの日以外は締め切られてひっそりとしているもんだけれど、驚いたことに社務所には明かりが灯り御朱印承りますとかお守りとか・・いろいろにぎやかに営業中であった。
社殿も戸が開いて明かりが灯ってる・・
この神社、鉄道を敷くため撤去されることになったとき明治天皇が「あの神社はよけるように」と命じ・・というようなことを昔本で読んだ。
そんな情報がいちいち天皇に行くのかな?ほんとかな?と思わなくもないけれど、祭られているのは鎌倉時代に後醍醐天皇側についた武将なのであって話の筋は通っていると思うし神社も塚もそのままの位置にあることは事実。
鉄道開通の明治22年、1889年はパリ万国博覧会の年でパリにはエッフェル塔が建ち・・それよりエジソンが発明した蝋管蓄音機で世界初のアーティストによる録音、ブラームスのピアノ演奏が録音されたというのが圧倒的に興味深い。
作曲家であると同時に超絶ピアニストでもあったブラームスの演奏と言えば地球外生命体なんかよりよっぽど見てみたい聞いてみたいものなのではあるけれど・・実際、残っている物は劣化が激しすぎいろんな手を使ってみても演奏そのものはもうほとんど聞こえず、今なんかなってたかな?くらいだったと思う。
聞こえたとしてもシャイなブラームスはちゃんと弾かずにやっつけ演奏みたいなのをしていたという話もある。
あんなに見たいと思ったのに、みえちゃったら・・みたいな話はいろんなところにあると思う。
こういうのは聴こえないところにロマンがあるんだろう。
最後の交響曲第4番はもう数年前に完成してた。
どうしても結果というか後ろから眺める格好になるから最後の交響曲が作曲家最後の姿であるような気がしてしまうけど、
でも違うのね。
単純に残された時間がなく書けなかった・・のではないのね。
https://www.youtube.com/watch?v=P0rnjsclOlo
5番として準備していたものが二重協奏曲に転用されているという話も有名。
これを聴きながら第5交響曲を想像してみるのも楽しいけれど、
でも幻の交響曲第5番は、聴けなかったからいいんだろうなぁ・・

さくら
明治天皇があそこはよけなさい・・というのを本で読んだのは中学生のころでクラシック音楽とか言い出す少し前だ。
そのころはそんな本読んでるとかじゃなくてスポーツとかカラオケとかファミコンとかテレビドラマとか外へ出て人とぶつかり・・と思うけれどもうその時点はそんな人間になっちゃってたんだからしょうがない。
じゃあどこまでさかのぼれば間違ってない自分があるのかと考えると、生まれない方がよかったということになっちゃうので考えない。
自虐癖で自分が重要なわけがないと思っているし、自分の地元に歴史的に重要な何かなんてあるわけがないという思いもあるかもしれない。
でもそんなことはないのか。
考えてみれば重要でない人とか重要でない場所なんてこの世にはないのかもしれない。
そういう事にしたい人間はいると思うけれど、そんなの関係ないんだから。

地元の元商店街の裏みたいなところにあるてんぷら屋に行った。
スマホで何でも分かる時代の波はここにも押し寄せているのか、隠したような場所にあるお店はいつもいっぱい。
たまたま二人掛けのテーブルが空いてた。遅い時間じゃないと入れないと思う。
隣の夫婦はどこか遠くから来たようだ。

メニューはフライ系と天ぷら系に分かれるけれどミックスフライ定食を頼むとフライ系はほとんど網羅されるのでもうこれ一択。
嫁さんのから揚げが多すぎてまわってくるわけで、すごいボリュームは満足を超えてしまうんだから今度はもっと小さな丼でもいいかもしれない・・・と前回思ったのにまた同じことを凝り返す。
でもこれ!っと決めて頼むのも楽しみだもんね。
私たちの後からもう終わり?と言いながら入ろうとするお客さん登場。
えー・・何人様ですか・・えーっと・・・どうしようかな・・
この店のおばさんは、忙しかったりもう終わるつもりだったところに客が来ると切羽詰まった感がそのまま顔と言動に出ちゃうから・・
お客さんもやめると言わず粘ってる感じでその辺よくわかってんのかな?
しばらく入り口付近で押し問答みたいになってた。
でも、入れたみたい。
わるかったかな?とか言いながら。
知らないとなんだあの態度は?とか思ってしまいそうだけどおばさんに悪気は全くないことが前回判った。
余裕が出てくれば親切で丁寧、いいお店。

いつもどこへ行っても私たちが一番最後の客になるんだけど。
20年かもっと前、別なところにあったこのお店に入ったことがあった。
若い奥さんが料理を持ってきたと言う記憶があるのだけど、同じ人なのかなと毎回考えながら食ってる。
食い過ぎたので腹ごなしに歩いてみると公園があった。
そういえばこんなところに公園を整備したという話を聞いたのも20年どころかもっと前のような気もするけど実際来たのは初めてか。

だだっ広い中の美しい富士山もいいけど、
こんな富士山の方がリアルに本音を語りだしそうな気がする。
写真を撮ろうとすると通行人のおっさんがなんで俺の写真撮ってんだという顔をしている。
そういう人よくいるよね。
なにみてんの?みたいなの。
昔頭病気の時はそれに悩まされた。

ちょっと離れたところにあるこの神社、ここにあるのは知ってるどころの騒ぎじゃないけれど境内に入ったのは35年ぶりかもしかすると初めてだったかも。
田舎のちいさな神社と言えば元旦とお祭りの日以外は締め切られてひっそりとしているもんだけれど、驚いたことに社務所には明かりが灯り御朱印承りますとかお守りとか・・いろいろにぎやかに営業中であった。
社殿も戸が開いて明かりが灯ってる・・
この神社、鉄道を敷くため撤去されることになったとき明治天皇が「あの神社はよけるように」と命じ・・というようなことを昔本で読んだ。
そんな情報がいちいち天皇に行くのかな?ほんとかな?と思わなくもないけれど、祭られているのは鎌倉時代に後醍醐天皇側についた武将なのであって話の筋は通っていると思うし神社も塚もそのままの位置にあることは事実。
鉄道開通の明治22年、1889年はパリ万国博覧会の年でパリにはエッフェル塔が建ち・・それよりエジソンが発明した蝋管蓄音機で世界初のアーティストによる録音、ブラームスのピアノ演奏が録音されたというのが圧倒的に興味深い。
作曲家であると同時に超絶ピアニストでもあったブラームスの演奏と言えば地球外生命体なんかよりよっぽど見てみたい聞いてみたいものなのではあるけれど・・実際、残っている物は劣化が激しすぎいろんな手を使ってみても演奏そのものはもうほとんど聞こえず、今なんかなってたかな?くらいだったと思う。
聞こえたとしてもシャイなブラームスはちゃんと弾かずにやっつけ演奏みたいなのをしていたという話もある。
あんなに見たいと思ったのに、みえちゃったら・・みたいな話はいろんなところにあると思う。
こういうのは聴こえないところにロマンがあるんだろう。
最後の交響曲第4番はもう数年前に完成してた。
どうしても結果というか後ろから眺める格好になるから最後の交響曲が作曲家最後の姿であるような気がしてしまうけど、
でも違うのね。
単純に残された時間がなく書けなかった・・のではないのね。
https://www.youtube.com/watch?v=P0rnjsclOlo
5番として準備していたものが二重協奏曲に転用されているという話も有名。
これを聴きながら第5交響曲を想像してみるのも楽しいけれど、
でも幻の交響曲第5番は、聴けなかったからいいんだろうなぁ・・

さくら
明治天皇があそこはよけなさい・・というのを本で読んだのは中学生のころでクラシック音楽とか言い出す少し前だ。
そのころはそんな本読んでるとかじゃなくてスポーツとかカラオケとかファミコンとかテレビドラマとか外へ出て人とぶつかり・・と思うけれどもうその時点はそんな人間になっちゃってたんだからしょうがない。
じゃあどこまでさかのぼれば間違ってない自分があるのかと考えると、生まれない方がよかったということになっちゃうので考えない。
自虐癖で自分が重要なわけがないと思っているし、自分の地元に歴史的に重要な何かなんてあるわけがないという思いもあるかもしれない。
でもそんなことはないのか。
考えてみれば重要でない人とか重要でない場所なんてこの世にはないのかもしれない。
そういう事にしたい人間はいると思うけれど、そんなの関係ないんだから。
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