水に流すじゃねーよ
外食はずっと控えていて連休中はスーパーなんかも極力いかないようにしていたけれど、ドライブスルーとかで買ったものを人の全然来ないような屋外で食ったことは何度かあった。

電車誰も乗ってないな。
とはいえ今でなくてもいいような店に人だかりができ、日帰り温泉のあるゴルフ場の駐車場に車があふれかえっているのを見かけたりもした。
誰も来ないような林道を行くと県外ナンバーの車がとまっている。県名と車種に覚えがあり別な日に山の上の農道で見かけた家族連れじゃないかな。
河原でバーベキューでもしているのかと思ったけれど誰もいない?
通過してからまさか目張りしてみたいなの?とか思ったけどちがうだろう。
あそこ、昔こじ開けられたような金庫が沈んでるのを見たことがある。
謎の書類を燃やしている人を見たこともある。
見られたくない人御用達みたいな。
さらに進むと山菜やタケノコとなんかあるわけないし登山に入るようなとこでもないのに無人の県外ナンバーな車。
実家にとめると周囲の目があるからこんなとこに停めてるとか?
考えすぎというかどうでもよく大きなお世話か。

これは連休前のその河原。
子供のころのピンポイントな思い出がある場所で、それでじゃないけど時々ここへ来ることがある。
今の楽器を始めた時も家で音を出せないと思いここへ来た。後日それは騒音だと言われたりして山の神様もいい迷惑である。
中学に入ったくらいか、この水はどこから来るのか知りたいと川をさかの登ってみたときはまだ林道は全通していないし自転車しか持ち合わせない自分にとっは霊山を分け入るみたいな神秘体験であった。
霧のなかで最初の一滴みたいなものを見つけたることができたときは・・

でもそれは支流の水源で本当の水源地へはまだいけていないことに気付いたのはしばらく後。
見たいと思ったそこへ行ったからってどうという事もないんだろうけど、でもそういうことじゃないだろう。
死ぬまでにそこへ行くことがあるだろうか?
体力的行くなら今じゃないかと思うけれど今だ動かず。

しずくの一滴から始まって小さな流れはやがて大河となり・・と言えばスメタナの交響詩モルダウであるけれど、ベートーベンの運命とか恥ずかしくてかけない曲ってのがあんのね。
あの川も曲名も、現地じゃというか日本以外ではモルダウと言わずにヴルタヴァ‥と言う話を書くのももう陳腐く。
なのであの曲を含んで構成される連作の
https://www.youtube.com/watch?v=nKlPvUbKdns
一曲目。
ヴィシェフラートは高い城。なにが高いってそのヴルタヴァ川からそそり立つ絶壁の上にある古城のことであるそうだ。
作曲当時すで古城であったんだろう、曲も城の繁栄の後没落が描かれていて、ちょっと夏草や兵どもが夢のあと的な感じも・・だけど

いきなりハープで始まる冒頭、日本で言えば琵琶法師の平家物語というか吟遊詩人みたいなのが語り始めると言うところでしょう。
一番頭のこの主題は城そのものを表しているのだけど、でもそれだけではないことが全曲を聞き通すと一番最後にわかる。
ああこれは彼らの最も大事なもの誇りを表していたんだ!・・

と初めて聴いたときには目玉が飛び出るくらい驚き圧倒され、感動した。
今でも聴けば感動する。
よくあるような手法だといってしまえばそれまでだけどそうじゃなくて
音楽って、すごいな。

いいねー、水。
嫌なことも都合の悪いこともみんな流しちゃいたいけど。
しかしこんな山奥なのにふと見るとゴミが浮いてんの何なの。
罰が当たると思うけど・・
いや、罰なんかないから。
そういう人はやりたい放題楽しく人生を謳歌し、抱えた負も誰かが代わりに背負ってくれる。
背負ったのが擦り切れ朽ちていくのをみて笑ってみたり。
感染症問題とかじゃなくて、ちょっと人と関わるといきなりいろんな人をみる。
本物の人でなしだと思った人もいる。
だけど何が正しいかじゃなく、実際図々しくうまくやったもん勝ち。
そうかじゃあなんて自分も同じことをしてみればあっという間に社会不適合者の誹りを受けるだろう。
なにがちがうの?ってそりゃいろいろ違うんだろう。
色んな人がいていろいろと組み合わさって出来上がてるのが世の中だよね。

ちょっとあるこうか。
神様はいちいち全部を監視しフォローしてくれるわけないしそんな為にいる訳でもない。
それでも神様か仏様か先祖か、何かそいう言う存在を感じずにいられなかったことが私にもあった。

下流の砂防堰みたいなのにはものすごい土砂が。
長年にわたってではなく、昨年の台風一回でじゃないかなこれ。
嫌なことを流すはいいけど、どっかでかわりにうけとめた誰かがダメージを受けていたりして。
しかしあの鋼管組んだようなのは強いな。

10年くらい前のここ。
こんな感じがストレスのない世界って感じですか。
間違えて社会人吹奏楽団みたいなのに入っちゃったとき、借りた楽器をここへもってきて吹いた。
中学生のころあれだけ吹いてたんだから・・・あれ?
なんで鳴らないの?
楽器壊れてんじゃないの?
お前が壊れてんだよと言う話だけど。
あの時日が暮れて結構暗かった。こんな人里離れた山奥の暗闇には異様な恐ろしさがあるのに平気でいつまでもやってた。
そんなんじゃ何の意味もないだけじゃなくどんどんおかしくなってくからやめなきゃいけない事に気付いたのは最近。

山を下りればいつものここ。
暴れ川だったのを昭和の初めごろに直線化したらしくすぐそばを惰行する市境が昔の川の位置だろう。
今日も生きてる。
新緑がきれい。
この記事ちょっと前に書いたけどなんとなくほっといてあった。
だけど捨てることもないかと思って。
俺はブログで何をやってんなかなって、人間と話をしないから代わりにここに話しかけてんの。
出歩いたり食べ歩いてブログを書いてた人が何とか工夫をして自分のブログテーマを曲げずに貫こうとしているのをみると応援したくなります。
みんな頑張れ

電車誰も乗ってないな。
とはいえ今でなくてもいいような店に人だかりができ、日帰り温泉のあるゴルフ場の駐車場に車があふれかえっているのを見かけたりもした。
誰も来ないような林道を行くと県外ナンバーの車がとまっている。県名と車種に覚えがあり別な日に山の上の農道で見かけた家族連れじゃないかな。
河原でバーベキューでもしているのかと思ったけれど誰もいない?
通過してからまさか目張りしてみたいなの?とか思ったけどちがうだろう。
あそこ、昔こじ開けられたような金庫が沈んでるのを見たことがある。
謎の書類を燃やしている人を見たこともある。
見られたくない人御用達みたいな。
さらに進むと山菜やタケノコとなんかあるわけないし登山に入るようなとこでもないのに無人の県外ナンバーな車。
実家にとめると周囲の目があるからこんなとこに停めてるとか?
考えすぎというかどうでもよく大きなお世話か。

これは連休前のその河原。
子供のころのピンポイントな思い出がある場所で、それでじゃないけど時々ここへ来ることがある。
今の楽器を始めた時も家で音を出せないと思いここへ来た。後日それは騒音だと言われたりして山の神様もいい迷惑である。
中学に入ったくらいか、この水はどこから来るのか知りたいと川をさかの登ってみたときはまだ林道は全通していないし自転車しか持ち合わせない自分にとっは霊山を分け入るみたいな神秘体験であった。
霧のなかで最初の一滴みたいなものを見つけたることができたときは・・

でもそれは支流の水源で本当の水源地へはまだいけていないことに気付いたのはしばらく後。
見たいと思ったそこへ行ったからってどうという事もないんだろうけど、でもそういうことじゃないだろう。
死ぬまでにそこへ行くことがあるだろうか?
体力的行くなら今じゃないかと思うけれど今だ動かず。

しずくの一滴から始まって小さな流れはやがて大河となり・・と言えばスメタナの交響詩モルダウであるけれど、ベートーベンの運命とか恥ずかしくてかけない曲ってのがあんのね。
あの川も曲名も、現地じゃというか日本以外ではモルダウと言わずにヴルタヴァ‥と言う話を書くのももう陳腐く。
なのであの曲を含んで構成される連作の
https://www.youtube.com/watch?v=nKlPvUbKdns
一曲目。
ヴィシェフラートは高い城。なにが高いってそのヴルタヴァ川からそそり立つ絶壁の上にある古城のことであるそうだ。
作曲当時すで古城であったんだろう、曲も城の繁栄の後没落が描かれていて、ちょっと夏草や兵どもが夢のあと的な感じも・・だけど

いきなりハープで始まる冒頭、日本で言えば琵琶法師の平家物語というか吟遊詩人みたいなのが語り始めると言うところでしょう。
一番頭のこの主題は城そのものを表しているのだけど、でもそれだけではないことが全曲を聞き通すと一番最後にわかる。
ああこれは彼らの最も大事なもの誇りを表していたんだ!・・

と初めて聴いたときには目玉が飛び出るくらい驚き圧倒され、感動した。
今でも聴けば感動する。
よくあるような手法だといってしまえばそれまでだけどそうじゃなくて
音楽って、すごいな。

いいねー、水。
嫌なことも都合の悪いこともみんな流しちゃいたいけど。
しかしこんな山奥なのにふと見るとゴミが浮いてんの何なの。
罰が当たると思うけど・・
いや、罰なんかないから。
そういう人はやりたい放題楽しく人生を謳歌し、抱えた負も誰かが代わりに背負ってくれる。
背負ったのが擦り切れ朽ちていくのをみて笑ってみたり。
感染症問題とかじゃなくて、ちょっと人と関わるといきなりいろんな人をみる。
本物の人でなしだと思った人もいる。
だけど何が正しいかじゃなく、実際図々しくうまくやったもん勝ち。
そうかじゃあなんて自分も同じことをしてみればあっという間に社会不適合者の誹りを受けるだろう。
なにがちがうの?ってそりゃいろいろ違うんだろう。
色んな人がいていろいろと組み合わさって出来上がてるのが世の中だよね。

ちょっとあるこうか。
神様はいちいち全部を監視しフォローしてくれるわけないしそんな為にいる訳でもない。
それでも神様か仏様か先祖か、何かそいう言う存在を感じずにいられなかったことが私にもあった。

下流の砂防堰みたいなのにはものすごい土砂が。
長年にわたってではなく、昨年の台風一回でじゃないかなこれ。
嫌なことを流すはいいけど、どっかでかわりにうけとめた誰かがダメージを受けていたりして。
しかしあの鋼管組んだようなのは強いな。

10年くらい前のここ。
こんな感じがストレスのない世界って感じですか。
間違えて社会人吹奏楽団みたいなのに入っちゃったとき、借りた楽器をここへもってきて吹いた。
中学生のころあれだけ吹いてたんだから・・・あれ?
なんで鳴らないの?
楽器壊れてんじゃないの?
お前が壊れてんだよと言う話だけど。
あの時日が暮れて結構暗かった。こんな人里離れた山奥の暗闇には異様な恐ろしさがあるのに平気でいつまでもやってた。
そんなんじゃ何の意味もないだけじゃなくどんどんおかしくなってくからやめなきゃいけない事に気付いたのは最近。

山を下りればいつものここ。
暴れ川だったのを昭和の初めごろに直線化したらしくすぐそばを惰行する市境が昔の川の位置だろう。
今日も生きてる。
新緑がきれい。
この記事ちょっと前に書いたけどなんとなくほっといてあった。
だけど捨てることもないかと思って。
俺はブログで何をやってんなかなって、人間と話をしないから代わりにここに話しかけてんの。
出歩いたり食べ歩いてブログを書いてた人が何とか工夫をして自分のブログテーマを曲げずに貫こうとしているのをみると応援したくなります。
みんな頑張れ
Comment