仮に勘違いでも自信があったほうがよかったのか
また、夢を見た。
夢が自分は深層で何を欲しているのかを教えてくれる。
あ、そっちか。
一歩進んだりしてたよ、夢の中では。

お寺の藤がきれい。後ろではちょうど正午の鐘が突かれてた。
真昼間だし花にも勢いがあって諸行無常感はあんまりない。
犬と散歩しているとお母さんが小さな女の子と川遊びをしてい・・あれなんだあの子か。
あのお母さん、幼いころ昼間は向かいの家に預けられていて幼馴染みたいなもんだ。ちょうど今連れてるあの小さな女の子にそっくりだった。
女の子だし年齢差があるためか成長したその後の彼女については全く記憶もないしみんな忘れてた。
数年前まちがえて突入した社会人吹奏楽団には中核メンバーとして場を仕切り存在感を出している女性がいて、そのちょっとかわった名前に聞き覚えがあるような気がしてた。
それがあの子と同一人物なんじゃないかと考えるまで、それから実際に確かめようと話しかけてみるまでには結構な時間がかかった。
どんな楽器を選ぶかは性格を表してもいると思うけれど記憶にあるあのおとなしい女の子と勝気な楽器と人間性全然結びつかなくて・・・いいその後があったのね。
彼女のお腹が大きくなり始めているのに気づいたとき、自分たちはちょうど不妊治療を諦めた頃。
それでじゃないけどその吹奏楽団は非常にみっともない形で逃げたのでもう誰にも顔を合わせたくないし、合わせられないと思っている。
彼女も私に気付いたがそのままやりすごそうとするそぶりを確認、そのまま素通りすればよかったのだけどなぜか
大きくなったね。
お母さんにそっくりじゃない
なんて話しかけてみる。
笑顔で常識的な応答が返ってきたけれど知らない人と話しているかのような印象がないでもない。
覚えてる?なんて問えば笑顔で家の方角を指さすのだけどこのやり取りはちょっとおかしい。あの時久しぶりだねってな会話はしているんだから・・何十年ぶりにあったわけじゃない。
笑顔の向こうに終わりにしたい気持ちが透けた気がしてそこで終了。
他人の反応を勝手に悪い方へ読み替える病的なフィルタを持っているので、感じたこれらは真実とは違うかもしれない。
そう信じて事を起こせは逆にもっとひどい方だったこともあるけど。
別に何を感じたというわけでもない。
何となく心に残ったからこんなところに書いている。

人のいないここでまた。
短い時間でも日の光に当たり風に吹かれ緑が目に入ると違うよね。
考えようによってはこんなとこで飯なんて最高の贅沢みたいだ。
普段から人と喋んないようなのはせめて日の光に当たるとかしないと鬱病かなんかになっちまうのではないか?
そんなのはいいとして久しぶりなマックの脂に体がやられてしまいこれ以降2日くらい調子が悪かった。

交通量はあってほとんど物流。
厳しいところ支えてくれてありがとう。
夜中に訳の分からないところに激痛が走り目が覚める。
なにこれ?胃が痛いってこうだっけ?
寝てると痛いので起きてみるとやっぱり痛い・・いろんな格好でいてーとやってると犬が起きだしてくる。
以前同じことがあったのを思い出す。かかりつけの医者に問うとそれは筋肉痛だと言われた。
やぶ医者だろ・・・あそこ・・
とか考えつつ犬に見守られているうちにスッと痛みが消えて睡魔に引き込まれていくのを感じた。
痛かったあたりが楽になることに幸せを得たような気持ちで・・・・
多分幸運にもふとんの上で死ねる場合、最後はこんな感じだと思う。
あれほど痛みにのたうち回っていた人がもう大丈夫だよなんて言ったりする。
2日くらい前から誰もいない部屋の隅に向かって手を振ったりしていた。
私の時にはこの犬が来てくれると思ってる。
まだ死にたくないし別に死んだわけではなかったので朝になると目が覚めた。
生きていられるなら音楽聴かないと。
https://www.youtube.com/watch?v=M3kmE250i2A
シューマンの交響曲第4番は4番目に書かれたんじゃなく出版が3番より後になったから・・出版社も刷って売れるかどうか命がけで判断していたわけでしょう、売れそうなものから世に出てくから。
ロマン派もいろいろだけどシューマンは超絶ロマンティック作曲家だ。
私はこの曲に一人の青年の姿を感じるのね。
主調がニ短調で、いかにも文学的な暗く重い人生とは運命とは・・みたいな序奏で始まり、なんか一生懸命闘ってますみたいな主部に入る。
だけど展開部に入ると急に明るい日が差してきて悟りを開いたというか

神の啓示でも受けたかのような大騒ぎポジティブが下りて爆発すんのね。
それから明るく軽やかに走り出して頑張りますの再現部は省略されたまま俺はやれるぜ!っと調子よく終わる。
のに、次の楽章は冒頭から

へし折れちゃって腐ってて笑う。
私にはどうしてもこのチェロとオーボエのユニゾンがかび臭い四畳半のちゃぶ台の上に伏せてるように聴こえちゃって。
すかさず冒頭の運命とは人生とはの序奏が出てきてこの男うまくいかなくて腐ってんだなと教えてくれる。
すると今度はせせらぎの音、柔らかな風が小さな花を揺らし明るくやわらかな日差しに包まれるトリオがきて・・

腐ってた人はここでまた息を吹き返す。
でまた頑張るか!ってなスケルツォが始まるとまたあの小川とお花たちが・・でも今度はフルートなんかが濃く乗っかってなんだか花の香りがするのね・・濃い花の香・・この野郎、女ができやがったな。
もちろんシューマンはそんなこと言ってないけれど、音楽を聴くって色々だからね。
スケルツォもH名の香りに包まれて終わるとフィナーレへのブリッジは日本の夜明けぜよみたいな壮大な何かがやってきそうな音楽で・・でもやってくるのは冒頭から調子よく明るく騒いでる感じ。
そのまま走って最後は浮かれて踊っちゃって…そのまま圧倒的な勝利で終結。
この曲、素直に聴けば苦悩を乗り越え明るい勝利へ・・なんだけど、先日聴きながら思ったのは
この男はなんか英雄的な人間というより、ちょっとおちょうし者の勘違い馬鹿というかドンキホーテ的な人じゃないの?
みたいなこと。
若いときにはそういうのが必要なのかもね。
嘘でも間違いでもいいから・・最初から、始まる前からお前には無理だからどいてろを真に受けちゃって何にもしないまま・・毎回そんなこと書かなくていいか。
たださ、年齢とともに己を知るという事も必要でそ・・
いいから。
この記事もともとは全然違う話で他人への攻撃を書き殴る所から始まったものだった。
でもいろいろ書き足してくうちにそんなくだらないものをここに置いときたくなくなり消した。
嫌なものはうまくかわして、できるだけ頑張ってみるしかないだろう。
また来年ここへきてあーいいなーとか思っていられるように。
夢が自分は深層で何を欲しているのかを教えてくれる。
あ、そっちか。
一歩進んだりしてたよ、夢の中では。

お寺の藤がきれい。後ろではちょうど正午の鐘が突かれてた。
真昼間だし花にも勢いがあって諸行無常感はあんまりない。
犬と散歩しているとお母さんが小さな女の子と川遊びをしてい・・あれなんだあの子か。
あのお母さん、幼いころ昼間は向かいの家に預けられていて幼馴染みたいなもんだ。ちょうど今連れてるあの小さな女の子にそっくりだった。
女の子だし年齢差があるためか成長したその後の彼女については全く記憶もないしみんな忘れてた。
数年前まちがえて突入した社会人吹奏楽団には中核メンバーとして場を仕切り存在感を出している女性がいて、そのちょっとかわった名前に聞き覚えがあるような気がしてた。
それがあの子と同一人物なんじゃないかと考えるまで、それから実際に確かめようと話しかけてみるまでには結構な時間がかかった。
どんな楽器を選ぶかは性格を表してもいると思うけれど記憶にあるあのおとなしい女の子と勝気な楽器と人間性全然結びつかなくて・・・いいその後があったのね。
彼女のお腹が大きくなり始めているのに気づいたとき、自分たちはちょうど不妊治療を諦めた頃。
それでじゃないけどその吹奏楽団は非常にみっともない形で逃げたのでもう誰にも顔を合わせたくないし、合わせられないと思っている。
彼女も私に気付いたがそのままやりすごそうとするそぶりを確認、そのまま素通りすればよかったのだけどなぜか
大きくなったね。
お母さんにそっくりじゃない
なんて話しかけてみる。
笑顔で常識的な応答が返ってきたけれど知らない人と話しているかのような印象がないでもない。
覚えてる?なんて問えば笑顔で家の方角を指さすのだけどこのやり取りはちょっとおかしい。あの時久しぶりだねってな会話はしているんだから・・何十年ぶりにあったわけじゃない。
笑顔の向こうに終わりにしたい気持ちが透けた気がしてそこで終了。
他人の反応を勝手に悪い方へ読み替える病的なフィルタを持っているので、感じたこれらは真実とは違うかもしれない。
そう信じて事を起こせは逆にもっとひどい方だったこともあるけど。
別に何を感じたというわけでもない。
何となく心に残ったからこんなところに書いている。

人のいないここでまた。
短い時間でも日の光に当たり風に吹かれ緑が目に入ると違うよね。
考えようによってはこんなとこで飯なんて最高の贅沢みたいだ。
普段から人と喋んないようなのはせめて日の光に当たるとかしないと鬱病かなんかになっちまうのではないか?
そんなのはいいとして久しぶりなマックの脂に体がやられてしまいこれ以降2日くらい調子が悪かった。

交通量はあってほとんど物流。
厳しいところ支えてくれてありがとう。
夜中に訳の分からないところに激痛が走り目が覚める。
なにこれ?胃が痛いってこうだっけ?
寝てると痛いので起きてみるとやっぱり痛い・・いろんな格好でいてーとやってると犬が起きだしてくる。
以前同じことがあったのを思い出す。かかりつけの医者に問うとそれは筋肉痛だと言われた。
やぶ医者だろ・・・あそこ・・
とか考えつつ犬に見守られているうちにスッと痛みが消えて睡魔に引き込まれていくのを感じた。
痛かったあたりが楽になることに幸せを得たような気持ちで・・・・
多分幸運にもふとんの上で死ねる場合、最後はこんな感じだと思う。
あれほど痛みにのたうち回っていた人がもう大丈夫だよなんて言ったりする。
2日くらい前から誰もいない部屋の隅に向かって手を振ったりしていた。
私の時にはこの犬が来てくれると思ってる。
まだ死にたくないし別に死んだわけではなかったので朝になると目が覚めた。
生きていられるなら音楽聴かないと。
https://www.youtube.com/watch?v=M3kmE250i2A
シューマンの交響曲第4番は4番目に書かれたんじゃなく出版が3番より後になったから・・出版社も刷って売れるかどうか命がけで判断していたわけでしょう、売れそうなものから世に出てくから。
ロマン派もいろいろだけどシューマンは超絶ロマンティック作曲家だ。
私はこの曲に一人の青年の姿を感じるのね。
主調がニ短調で、いかにも文学的な暗く重い人生とは運命とは・・みたいな序奏で始まり、なんか一生懸命闘ってますみたいな主部に入る。
だけど展開部に入ると急に明るい日が差してきて悟りを開いたというか

神の啓示でも受けたかのような大騒ぎポジティブが下りて爆発すんのね。
それから明るく軽やかに走り出して頑張りますの再現部は省略されたまま俺はやれるぜ!っと調子よく終わる。
のに、次の楽章は冒頭から

へし折れちゃって腐ってて笑う。
私にはどうしてもこのチェロとオーボエのユニゾンがかび臭い四畳半のちゃぶ台の上に伏せてるように聴こえちゃって。
すかさず冒頭の運命とは人生とはの序奏が出てきてこの男うまくいかなくて腐ってんだなと教えてくれる。
すると今度はせせらぎの音、柔らかな風が小さな花を揺らし明るくやわらかな日差しに包まれるトリオがきて・・

腐ってた人はここでまた息を吹き返す。
でまた頑張るか!ってなスケルツォが始まるとまたあの小川とお花たちが・・でも今度はフルートなんかが濃く乗っかってなんだか花の香りがするのね・・濃い花の香・・この野郎、女ができやがったな。
もちろんシューマンはそんなこと言ってないけれど、音楽を聴くって色々だからね。
スケルツォもH名の香りに包まれて終わるとフィナーレへのブリッジは日本の夜明けぜよみたいな壮大な何かがやってきそうな音楽で・・でもやってくるのは冒頭から調子よく明るく騒いでる感じ。
そのまま走って最後は浮かれて踊っちゃって…そのまま圧倒的な勝利で終結。
この曲、素直に聴けば苦悩を乗り越え明るい勝利へ・・なんだけど、先日聴きながら思ったのは
この男はなんか英雄的な人間というより、ちょっとおちょうし者の勘違い馬鹿というかドンキホーテ的な人じゃないの?
みたいなこと。
若いときにはそういうのが必要なのかもね。
嘘でも間違いでもいいから・・最初から、始まる前からお前には無理だからどいてろを真に受けちゃって何にもしないまま・・毎回そんなこと書かなくていいか。
たださ、年齢とともに己を知るという事も必要でそ・・
いいから。
この記事もともとは全然違う話で他人への攻撃を書き殴る所から始まったものだった。
でもいろいろ書き足してくうちにそんなくだらないものをここに置いときたくなくなり消した。
嫌なものはうまくかわして、できるだけ頑張ってみるしかないだろう。
また来年ここへきてあーいいなーとか思っていられるように。
Comment
はじめまして オッカイポと申します。貴ブログを読ませていた
だきました。失礼ながらコメントさせて頂きます。
私も拙ブログにて、アナログレコード評らしきものを書いています。
貴ブログのように深く切り込んだ文章は書けませんが、音楽が好き
というだけで、続けております。シューマンのややもすれば病的な
音楽は、なぜか心惹かれます。
週刊誌的になりますが、シューマン、クララ、ブラームスの関係に
も興味があります。シューマンの力添えで、ブラームスが世に出て
クララへの切ない思慕から、ブラームスの音楽にロマンティックな
隠し味が感じられる・・・やはり週刊誌的ですね。
今後ともよろしくお願いいたします。
オッカイポさん、こんにちは
コメントをいただけて嬉しいです。
私も音楽が好きだというだけですが、それでいいしそれがすべてですよね。
人生は楽しみやり切ったもの勝ちだと思いますが
私も旅が好きなので旅がしたいです。
今ちょっといけない感じなのですが、
いつか旅へ出たいと思います。
どうもありがとうございました。