比較と大丈夫
移動制限が解除になったけど私的にはむしろ・・
あの個人宅な店ならいいかな。

どうみても複数台用の駐車スペースを一台で塞ぐとか逆にすげーなな先客男女は草々に食べ終わって帰っていった。
雨があがったこの日は窓全開で風通しもよく、人もいないしソーシャルなんとかでもない。
お店の人が水をもってオーダーを捕りに来てくれるけれど

出来たものはあのカウンターに置いてくれるので自分で取りに行く。
その代わりご飯は自分で入れ放題のお替りし放題。
味噌汁もおなじで、2種類おかれた自家製ドレッシングもおいしい。
これまで何度か来るたびに、ご飯とみそ汁はそこに・ドレッシングは・・とか説明があったけど今日はなし。
来る人が常連で固まったのか、言わなくてもわかるだろう的な話か
どんぶりに大盛にしときながらお替りしちゃう美味しく炊けたご飯のほか野菜も何もみんなおいしく・・
嫁さんの日替わり定食なんかすごい安価で笑う。
低価格チェーンとは一線を画すどころか変に高くて気取った店よりおいしいく腹いっぱいになるし、毎日どこかで食わなきゃなんない営業とか運転手みたいな人にも使える価格設定。
以前おしゃべりなお客さんと店主が、
今はそうでなければお客さんは納得してくれないけれど実現しようとすれば厳しく、自宅を使い人も使わずセルフサービスにして何とかというところ・・というような話をしていた。

あのスイカ甘かった。
いい気分で食いながら近所の店がランチを始めたので行ってみたときのことを思い出していた。
お皿の上からこの値段じゃこれが精一杯ですよという声が聞こえるのはいいとしてでもちょっと間引き感が度を越してる感じで。
もっと安価でもずっと魅力的な店を知ってるとどうしても比べちゃうしね。
店の構えが違うんだしもっと価格を上げてできる内容にした方が・・大きなお世話ですね。
そのお店は最近ランチをやめたようだ。

普通に民家の玄関。
でもでっかい家だよね。
こういうリアル民家なお店でネックというかプレッシャーを感じるのはトイレですよね・・は今書かなくていいか。

近くの、なにということもないけれど静かな場所。
と思ったけどどこかへ抜ける裏道になのか意外に車が通ったりして。
ちっちゃく北海道みたいかなとか思いながらぼーっとしてると後ろを電車が通り過ぎていった。
昔毎日あれに乗ったんだから毎日ここを見たのかもしれないけれど何も思い出せないなぁ。ちょうどそのころの統合失調症的な記憶に私は長年縛られ、さっきの飯屋もこのあたりもつい最近まで絶対に近づいてはいけない場所だった。
時間てすごいな。
無駄に終わっちゃったけどもう言ったってしょうがない。
https://www.youtube.com/watch?v=2oYaEHzn6Kg
あの頃聴いてたなってだけだけど。
ショパンの演奏なんかほんとに腐るほどあるんだろけど毎回ルービンシュタインてのも見る人が見ればちょっとおかしいでしょ?
クラシックに限らないだろうけど、音楽って作曲家が作品を書きおろしたらそこで唯一絶対のものができるわけじゃないのね。
いろんな人が同じ楽譜を正しく演奏しても聴こえてくるものは同じにならないし、同じ人が同じ曲をやっても昨日と明日では違うものが聞こえたりする。
なぜってそりゃ人は心も体もみんな違い、そのどれもがみんな正しく正解は無数にあるから。
そして聴き手にも個性があるからその差分のぶつかり合いからいろんな衝撃が生まれ、そこにまた新しい何かが創造されるわけだ。変にアレンジするとかそういう意味でじゃなくて。
クラシック音楽は、同じ曲でもいろんな人のいろんな演奏を聴きまくるということも重要だったりするわけなん・・と音楽を聴くことの中にも比較による評価的な要素がみたいなことを言おうとして書き始めたんだけどまたしても
だけど俺は・・と自分を貶めるようなことを書こうとしてた。
そんな自分の一番大事なことでまで自虐書こうとしなくていいんだよそんなもん。
それより今日も楽器の練習をした。
レッスン前日になると無意識に力が入って変なことをするのは相変わらずだけど。
でも大丈夫。
最近思うけど俺に必要なのは大丈夫という実感じゃないか。
長年にわたって体のあらゆるところまで駄目だこりゃみたいなのがしみ込んじゃって巣くっちゃってるから何やっても駄目になっちゃうんだろう。
具体的には成功体験を重ねるということで、楽器なら大丈夫できると心底思えるまで練習するということですよね。
小さな子供からやり直すような話なわけだけど、でもそれができるなんてありがたい。
そんな屁理屈はいいから、やりたいことがあるのはありがたい。
楽器やるようになって音楽を聴く時間は激減したんだけど、でもいいよ。
聞くしかできなかった人で終わるのが一番怖いわ。
あの個人宅な店ならいいかな。

どうみても複数台用の駐車スペースを一台で塞ぐとか逆にすげーなな先客男女は草々に食べ終わって帰っていった。
雨があがったこの日は窓全開で風通しもよく、人もいないしソーシャルなんとかでもない。
お店の人が水をもってオーダーを捕りに来てくれるけれど

出来たものはあのカウンターに置いてくれるので自分で取りに行く。
その代わりご飯は自分で入れ放題のお替りし放題。
味噌汁もおなじで、2種類おかれた自家製ドレッシングもおいしい。
これまで何度か来るたびに、ご飯とみそ汁はそこに・ドレッシングは・・とか説明があったけど今日はなし。
来る人が常連で固まったのか、言わなくてもわかるだろう的な話か
どんぶりに大盛にしときながらお替りしちゃう美味しく炊けたご飯のほか野菜も何もみんなおいしく・・
嫁さんの日替わり定食なんかすごい安価で笑う。
低価格チェーンとは一線を画すどころか変に高くて気取った店よりおいしいく腹いっぱいになるし、毎日どこかで食わなきゃなんない営業とか運転手みたいな人にも使える価格設定。
以前おしゃべりなお客さんと店主が、
今はそうでなければお客さんは納得してくれないけれど実現しようとすれば厳しく、自宅を使い人も使わずセルフサービスにして何とかというところ・・というような話をしていた。

あのスイカ甘かった。
いい気分で食いながら近所の店がランチを始めたので行ってみたときのことを思い出していた。
お皿の上からこの値段じゃこれが精一杯ですよという声が聞こえるのはいいとしてでもちょっと間引き感が度を越してる感じで。
もっと安価でもずっと魅力的な店を知ってるとどうしても比べちゃうしね。
店の構えが違うんだしもっと価格を上げてできる内容にした方が・・大きなお世話ですね。
そのお店は最近ランチをやめたようだ。

普通に民家の玄関。
でもでっかい家だよね。
こういうリアル民家なお店でネックというかプレッシャーを感じるのはトイレですよね・・は今書かなくていいか。

近くの、なにということもないけれど静かな場所。
と思ったけどどこかへ抜ける裏道になのか意外に車が通ったりして。
ちっちゃく北海道みたいかなとか思いながらぼーっとしてると後ろを電車が通り過ぎていった。
昔毎日あれに乗ったんだから毎日ここを見たのかもしれないけれど何も思い出せないなぁ。ちょうどそのころの統合失調症的な記憶に私は長年縛られ、さっきの飯屋もこのあたりもつい最近まで絶対に近づいてはいけない場所だった。
時間てすごいな。
無駄に終わっちゃったけどもう言ったってしょうがない。
https://www.youtube.com/watch?v=2oYaEHzn6Kg
あの頃聴いてたなってだけだけど。
ショパンの演奏なんかほんとに腐るほどあるんだろけど毎回ルービンシュタインてのも見る人が見ればちょっとおかしいでしょ?
クラシックに限らないだろうけど、音楽って作曲家が作品を書きおろしたらそこで唯一絶対のものができるわけじゃないのね。
いろんな人が同じ楽譜を正しく演奏しても聴こえてくるものは同じにならないし、同じ人が同じ曲をやっても昨日と明日では違うものが聞こえたりする。
なぜってそりゃ人は心も体もみんな違い、そのどれもがみんな正しく正解は無数にあるから。
そして聴き手にも個性があるからその差分のぶつかり合いからいろんな衝撃が生まれ、そこにまた新しい何かが創造されるわけだ。変にアレンジするとかそういう意味でじゃなくて。
クラシック音楽は、同じ曲でもいろんな人のいろんな演奏を聴きまくるということも重要だったりするわけなん・・と音楽を聴くことの中にも比較による評価的な要素がみたいなことを言おうとして書き始めたんだけどまたしても
だけど俺は・・と自分を貶めるようなことを書こうとしてた。
そんな自分の一番大事なことでまで自虐書こうとしなくていいんだよそんなもん。
それより今日も楽器の練習をした。
レッスン前日になると無意識に力が入って変なことをするのは相変わらずだけど。
でも大丈夫。
最近思うけど俺に必要なのは大丈夫という実感じゃないか。
長年にわたって体のあらゆるところまで駄目だこりゃみたいなのがしみ込んじゃって巣くっちゃってるから何やっても駄目になっちゃうんだろう。
具体的には成功体験を重ねるということで、楽器なら大丈夫できると心底思えるまで練習するということですよね。
小さな子供からやり直すような話なわけだけど、でもそれができるなんてありがたい。
そんな屁理屈はいいから、やりたいことがあるのはありがたい。
楽器やるようになって音楽を聴く時間は激減したんだけど、でもいいよ。
聞くしかできなかった人で終わるのが一番怖いわ。
Comment
>近くの、なにということもないけれど静かな場所。
ちっちゃな北海道みたい、と、
丁寧に緑色の油絵の具を塗りこんだ絵のような自然です。
木々が吐き出す空気が濃密で、
なかなかこういう場所、ありませんよ。
>近くの と云える場所にお住まいなのが羨ましい。
年に3,4回は静岡の方へ参ります。
帰りに回り道をしてでも走ってみたい場所ですね。
どのあたりの道を走ればいいのか?
よろしかったら、ヒント、教えて下さませんか?
東京からだったら中央道よりも東名の方がいいのかしら、
こんにちは~。
うっわー、こりゃまた…。どんなにお得でおいしくても、もしもここしか開いてる店がなくても、私は絶対入れないです。
知らない人としゃべったりするのは、わりに平気なのになあ。私は何が怖いんでしょう。
近くに素敵な場所があるのですね。
いつも言うようだけど、羨ましい!
食事も美味しそう!!あ~~、お腹空いた!
こんにちは。
わたしも最近楽器を始めましたよ。
むか~~~し少しだけ習っていたのですがとっくに忘れていて、
たぶん構えかたとかが間違っているせいで腕や肩が痛いのかも・・・
やはりちゃんと先生について習うのが正しいですね。
聞くしかできなかった人、ほんとそう思います。
受けるだけの人、で終わるのはわたしも怖いです。
これまで受けたもの、を、自分のものにして鳴らしたな。
誰も聞いててくれなくてもいいから。
cosmosさん、こんにちは
今の時期、木々の緑がとても鮮やかなので
どこでも何でもものすごく美しく、心の中までしみてくるようですよね。
写真の場所は地帯というよりほんとにローカルな局所なのでご案内できるようなところではないのですが、
田舎なのでとおりからなんだかわからないような路地にふっとはいってみると
急にハッとする景色に出会うことがあります。
ものすごく局地的なんですけれど。
田園地帯みたいなところがあったら何でもないような路地を曲がってみてください。
こんな景色がきっと方々で待っているんだと思います。
自分もそういうのを発見することを楽しみにふらふらしたと思います。
どうもありがとうございました。
ぢょん でんばあさん、こんにちは
人の意識って単色じゃなく多層的なところが面白いですよね。
考えてみれば私は極度の人見知りであるのに
なんでこういうところには入れてるんだろう?
面白いですよね。
どうもありがとうございました。
こまちょんたさん、こんにちは
おいしくて居心地のいいお店は
大げさみたいだけど生きる活力をくれますよね。
一時期行けなくなったことでそのことを感じました。
こういうの、当たり前にあるんじゃなくて
ありがたいことなんですね。
どうもありがとうございました。
はなこさん、こんにちは
ああいいですね楽器。
やりたいと思ったもうそれだけで
生きてるという感じがしますよね。
音楽が好きだと、自分で、自分がというところへ行きますよね。
なんかこう、それが生きた印かと思ったりします。
頑張りましょうね。
どうもありがとうございました。