昔の話とピアノ

雨が続いていた日、近くの大衆食堂。
一人では何度か来たことがあるけど、こういうとこ敬遠しがちな嫁さんがついて来たというところが画期的であった。
隣の家族はがっつり系定食の他ラーメンを頼んでみんなでつついてる。
お母さん野菜残しちゃだめでしょう。

ごはん大盛り無料なんて聞くとときめいちゃうけどね。
ミックスフライ3種より2種類の方が価格が上なのは妥協のないイカと鯵をお楽しみくださいという話であろうか?
改装されて綺麗になってるけどずっと昔からあるんだろうねここ。
昔、勤め先の創業者が昔話をするのを聞いていたら戦前か戦中の話に定食屋というのが出てきた。
定食屋ってそんな昔からあったんですか?なんて聞いたらなにそんなとこに疑問持ってんだお前みたいな反応が返ってきたりして。
昔と言えば、
小学校も5、6年生になると社会科の授業は担任じゃなく定年間近の頑固爺さんみたいな先生に教わったのだけれど、時々授業と関係ないいろんな話を聞かせてくれたなかに子供のころ満州でという話があった。
ある夜、突然一人の男が訪ねてきた。
知らない男で、ロシア人だ。
何の用だ?
この家にピアノがあるはずです。
わずかな時間でいいので弾かせてもらえないでしょうか?
両親の真似だろういぶかしがるような言い方で
いいけど、終わったら電気消して出ていってよ。
いえ、明かり入りません。
真っ暗なはずの部屋から聞こえてきたのは
驚くような美しいピアノの音色であった・・
というもの。
美しい曲というのが誰の何だったかという話は出なかったと思うし聞いたってわからなかったろう。
そしてそこには誰の曲かなんてわからない人間も圧倒するような音楽があったんだとも思う。
記憶としては若い兵士というイメージで徴兵され長くピアノを弾けないでいた愛好家が昼間ピアノの音を聴きたまらず・・
今思うとその真っ暗なというのはすごく弾ける人というのをこえてやっぱり職業的ピアニストだったのかなぁ・・と思ってみたり。
ロシア・・
その人の先生はスクリャービンから直接教わったようなとんでもない人だったとかもしかするとスクリャービン本人から教わった人だったとか・・と勝手に想像を膨らまして何の意味があるわけでもないけれど。
https://www.youtube.com/watch?v=7ClDFmFmr0k
こんな超絶爆低音とかじゃなかったと思うけど。
この人が弾くと難しい曲もものすごく簡単そうに見えて自分にもできるんじゃないかとおも・
実際そうは思わないけどそんな感じがある反面、やっぱり見せる芸も持ってる人で・・
毎晩七輪で焼いたイワシを食ってる頑固爺という風貌の先生だったけど、あの当時ピアノがあるような家の子だったのか。
ピアニストはその後どうなったんだろう?
再びピアノに触れられる日々に戻れたんだろうか?
満州とロシア人で検索すると思ってるのとは違う方面の話が押し寄せてくる。
聞いた時点で40年くらい前の話だったんだろうか
そこからから35年くらいたった。
無数にあったはずの夜を知る人はどんどんいなくなっていき、消えていく。

仕事で一度だけ行ったこのあたりは昔の満州の南の端あたりじゃないか
延々麦畑が広がっているようなところが驚くような短期間でどんどん都市化してゆく。
多くの人と同じくそれをそんなの張りぼてだとか言って馬鹿にするのは簡単だし、一部そう思う事もある。
仕事でかかわる数人だけだけど話している若い彼らはいちいち日本を馬鹿にしたりしない代わりに間違っても上に見たりはしない。もう終わった国で相手にしていないというところかもしれない。
先日もめた時、私たちは日本のように高い技術や精度を持ちあわせていないので・・
言葉の向こうにこいつらこう言っとけば喜んで黙るだろうと考えているのが透けて見える気がして笑った。
プライド自負自信って、関係ない他人にはなんの価値もなかったりするんだよね。
何が正しいかとかどっちが偉いかとかそんなのなんの役にも立たないし価値もない気がする。
全然行ったことのない私が言うのもおかしいけれど、いろんな国のいろんな人の所へ直接行ってみることは大事だと思う。
飛行機に乗りたくないとかコロナのおかげでどっかいかされなくてすむとか思ってる私は確かにもう終わった人ですね。

どちらかと言えば値上げ傾向だと思う世の中にあって値下げ的な改定か・・
すごいな。どうしちゃったんだろう?

何にも言ってないのに私の方のご飯が嫁さんの1.5倍くらいで持ってきてくれるところがいいですよね。
大盛なんて言えば嫁さんに怒られるんだけど、嫁さんは自分のが多いとこっちへよこしてくるので結局大盛になる。
いくつか聞いた昔の話を思い出せば、
腹いっぱい飯が食えるって、当たり前のようで大変ありがたいわけですよね。
Comment
昔は理不尽な理由から戦争に駆り出され、命を落とした才能ある若者たちが数知れずいたのでしょう。
戦争がいかに馬鹿らしいものであったのか、やはり語り継いでいかなくてはいけません。
今はコロナの問題で少し難しくなっているけれど、やろうと思えば何でもできる時代に育った私は、一体何をして来たのだろう。
折角の人生、勿体ない過ごし方をしているなあと、しみじみ思います。
大衆食堂も最近は見かけなくなりました。お腹空いてるときにこれ以上のご馳走はありませんね!
田中角栄という人は、誰彼の別なく「お前、飯食ったか?」と声をかけたそうです。「未だなら、うちで食っていけ」という意味でしょう。
大抵の人は、これで角さんに参っちゃったらしいですね。お互いに飢えを経験した世代ですのでねえ。
こまちょんたさん、こんにちは
そうですね。
いま、自由が当たり前のようにありますけれど
こんなことはこれはであんまりなくてとてもと音い事なんですよね。
私も含めてですが、しかし人間てどんなになっても文句ばっかり言っちゃって・・
私も自分はこれでいいのかと思います。
思ってるだけじゃいけないとも思うんだけど。
いろんなお店に行ってみるとあれですね、豪華とか珍しいもいいけど
自分の欲してる感じにピタッと答えてくれるお店が見つかった時が一番幸せで
ごちそうですね。
どうもありがとうございました。
kuroyuonsenさん、こんにちは
食べることは人間の、根底ですもんね。
そしてそこにいろんな深い世界があると思います。
昔は壮絶な経験の末に今があるという人がたくさんいたんですね。
それが力になって。
どうもありがとうございました。
unagiさん、こんにちは。
戦時中の満州でロシア人のピアニストが日本人の家庭にピアノを弾きに来るというシチュエーションがあり得たのか!というところからして実に興味深い話ですね!ちょっと前に見た「戦場のピアニスト」にも通ずるような。
ホロヴィッツの弾くスクリャービンでこの作曲家のピアノ曲を知ってしまったが故に、ホロヴィッツ以外が弾くピアノソロはすべて物足りなく感じてしまいます(笑)。
ばけぺんさん、こんにちは
戦争とか侵略とかいろいろ私の中で真っ黒いイメージもあるのですが、満州ってどんなところだったんだろう?と思うことがあります。
悪いイメージよりもむしろ・・みたいな
指揮者の朝比奈さんの本で配線の瞬間からの死の恐怖と、誰かが命懸けでかくまってくれたから今生きてられるという話を読んで
また複雑です。
この曲スクリャービン自身ののピアノロールと言われるものがあって聞いたのですが、先にホロヴィッツを聞いちゃったのでずっとシンプルに聴こえて逆びっくりでした。
この人創造的演奏家というか、魅せてくれる芸人ですよねやっぱり。
どうもありがとうございました。